菊の想い出から紅葉がりまで

①菊についての想い出

 定年後,私は毎年「仙巌園の菊まつり」を楽しみにしています。今年も,仙巌園の専門スタッフや一流の愛好家の方々が丹精込めて育て上げた作品が所狭しと並び,いずれも見事な仕上がりでした。園内には菊花三重塔や花籠など多彩な展示が施され,思わず見入ってしまいました。お馴染みの篤姫の菊人形の飾りも例年通り華やかで,今年も見ごたえがありました。

・篤姫の菊人形

 私が小・中学校の頃を思い出すと,当時は年配の男性の先生方を中心に,菊づくりが学校内で盛んに行われていました。校舎横の中庭には,夏休み前後から秋にかけて先生方の菊鉢がずらりと並び,子どもたちが遊び場として使えない時期が続いたものです。先生方は育てた菊の校内審査を経て,そのまま校区の文化祭などに出品していました。

 当時の私には,先生方がなぜそこまで菊づくりに熱中するのか理解できませんでした。担任の先生も休み時間になるとしばしば教室から姿を消し,菊の世話に向かっていました。私たちが近くで遊んでいると,いつの間にか菊の育て方についての講義が始まります。興味のなかった私にとってはその時間がなかなか辛く,それ以来,先生の菊鉢のそばには近づかないようにしていました。

校区文化祭

 また,私が校区公民館の主事を兼務していた教頭時代のことです。毎年開かれる校区文化祭は二日間の日程で,初日は校区民の作品を展示する展示会,翌日は舞台発表という流れでした。展示会の準備は公民館役員の方と協力して行いましたが,書道・絵画・工芸品などの作品募集をかけ,軽トラックを借りてPTA以外の家庭から運べない大きな作品を回収・返却して回る作業は,毎年のことながら大変なものでした。

 さらに,菊の展示場所をめぐる調整も大変でした。当初は「早い者勝ち」で展示場所を選んでもらっていましたが,よくトラブルが発生していたのです。そのため,私は作品の大きさや出品点数を踏まえて,全体のバランスを見ながら展示場所を決めるやり方に変えました。すると今度は,展示者の中から「この人の後に並べられるなら今後一切参加しない」と強い抗議を受けることがありました。やむなく場所を入れ替えると,今度はその相手からクレームが入り,板挟みとなってしまいました。最終的には,日替わりで展示場所を入れ替えることで双方の了承を得て,ようやく解決にこぎ着けたという苦い経験があります。

 また,子どもたちが近くで遊んでいて展示作品の一部を壊してしまったこともあり,常に気が抜けませんでした。わずか二日間の文化祭ではあるものの,その準備から後片づけ,さらには作品の返却までの数週間は,私にとっては緊張と心配で気が抜けない日々の連続でした。

②今年の紅葉について

 昨日,紅葉を探しに蒲生へ行ってきました。前日のテレビで京都の紅葉名所が紹介されていたからです。さすが紅葉の名所だけあってテレビ画面でも奇麗だと感心しましたが,あの人混みを見るととても落ち着きません。その点,南国・鹿児島には静かに楽しめる紅葉スポットがたくさんあり,人も少なくてゆっくり味わえます。帰り道に蒲生町に新しくオープンした「イマムラ青果」に立ち寄りました。野菜も他の道の駅より安くて新鮮なことに驚きました。

 品ぞろえも豊富で私は「オレンジ白菜」というものを初めて知り思わず購入しました。また,12月にスイカが売り場に何個も並べられているのを見て思わず購入しました。12月にスイカを食べたのは初めてで,しかも帰宅してスイカを切ってみると,なんと大好きな黄色スイカでした。妻に「スイカの紅葉はどうよう」と洒落を言いましたが,値段がちょっと高かったこともあり全然受けませんでした。

・黄色スイカとオレンジ白菜

 私が子どもの頃,自宅の畑で育てていたスイカは,今ほど糖度は高くありませんでしたが,シャキシャキとした歯ごたえが格別でした。また,畑でそのまま頬張ったもぎたてのトマトやキュウリの口元での香りは一段と強く,店で買うものとはまったく別物でした。しかし,ハウス栽培が盛んになるにつれ,11月に二十世紀梨が食べられるなど,かつて当たり前だった「季節感」がなくなって旬の果物の楽しみが薄れてきて,ふと寂しく思うことがあります。

・11月に購入した20世紀梨

イチョウのじゅうたん

 私が教頭として勤務していた学校に数本の大きなイチョウの木がありました。応接室の窓越しには,黄金色に染まった葉が一面に広がり,その光景はまるで絵葉書のようでした。毎年この時期の2〜3週間は,私にとっても楽しみのひと時でした。

 やがて葉が落ちはじめ,校庭に黄色いじゅうたんが広がると,今度は子どもたちが,落ち葉を友だちとかけ合って楽しそうに遊んでいました。それ以前に勤務した別の学校で,校庭の砂埃とともにイチョウの落ち葉について苦情が寄せられたこともあり,当時の私は毎日せっせと掃き掃除をしていました。イチョウの葉は他の広葉樹に比べ腐葉土になるまでに時間がかかるため,垣根の近くに穴を掘って埋めたり,ごみとして処分したりしていました。落ちた実が腐った際の強い匂いもあり,この時期は黄色に染まったイチョウの美しさより,何かと余計な仕事が増えたと感じていました。

地域の高齢者からの声

 そんなある日,近くの製茶会社の隠居された先代社長が学校を訪れ,「先生,毎日の庭掃除も大変ですね」と声をかけてきました。そして続けて,「私はこのイチョウの紅葉や落ち葉を毎年楽しみにしていて,校庭一面に敷き詰められた黄色いじゅうたんもまた好きなんですよ。また,子どもたちへも,遊びの中で四季の移ろいを教えています。ですから,そんなに急いで掃除しなくてもよいではありませんか」と,穏やかに諭すように話しかけてくださいました。

 現在,多くの学校は不審者対策から門を閉めていますが,当時の学校は地域に開放していましたので,イチョウの季節になると,銀杏を拾いに来る人や紅葉を見に立ち寄る高齢の方々も多いでした。私はそれから,イチョウの木から葉がすべて落ちるまで,子どもたちに運動場と緑地帯の場所を区切って,落ち葉を掃かなくてもいいと伝えました。その社長さんが言う通り,四季の移ろいを感じる優しい子どもたちを育てることが大切だと思ったからです。今の年齢であれば当然同じことを言うと思いますが,当時は日々業務に追われそんな余裕はありませんでした。

・我が家の紅葉

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