戦後80年記念(その一)

令和7年(2025)の大みそかにあたって

 令和7年(2025)は,昭和20年(1945)8月15日の終戦から80年という節目の年に当たります。そのため「戦後80年記念」を冠した番組や特集が数多く企画され,改めて戦争と平和について考える機会となり,私にとっても忘れがたい一年となりました。

 しかし,その内容の多くは,これまでの主張の繰り返しで真新しいものがなく,残念な思いが募りました。このままであれば来年度以降もこの繰り返しなのでしょう。

 大正14年(1925年)8月16日生まれの義父は,今年生誕百年を迎える節目の年でした。義父が80歳で亡くなっていますので,今年で20回忌になります。さらに,その5か月後,私の父も亡くなりましたので,二人の父を思い返す年になりました。

GHQと労働組合

 戦後,GHQ(連合国軍総司令部)は日本の軍国主義的精神を排除し,民主化を推進するために労働組合を利用しました。とりわけ教員の組合「日教組」の結成を後押しし,教育面でアメリカ式の民主化を推し進めてきました。また,戦前から弾圧されていた日本共産党員を多数解放し,労働者階級が団結することで,支配者層の解体に努めました。 

 しかし冷戦など国際情勢の変化により,共産主義勢力の台頭を警戒し,政策を大きく転換しました。その結果,労働組合内部の共産主義者と袂を分かつようになりましたが,戦後の日本の労働組合の活動と発展に大きな影響を与えたのです。

 ただ,終戦直後の労働組合や教育現場がアメリカの意向を強く意識していたことも否定できません。特に教育では,戦争責任を日本の軍国主義に限定し,アメリカの戦争責任や欧米の植民地政策などには踏み込まない傾向が見られ,その思想をオールドメディアが引き継いでいるのが,現在の反日と言われるゆえんだと私は思っています。

義父の戦後

 義父は大正14年8月16日生まれですから,昭和20年8月15日の終戦の日は,19歳の最後の日でしたので,玉音放送と共に戦争は終わり,翌日は二十歳の誕生日となったのです。人々が「戦後」と呼ぶ時代は,義父にとって二十歳の誕生日と同時に始まったのです。

 青春のすべてを戦争に翻弄され,希望よりも不安が支配する時代を生き抜いた末に迎えた二十歳の戦後は,決して晴れやかなものではなかったでしょう。しかし同時に,どん底からの再出発でもありました。一面焼け跡の中から始まった新しい人生には,苦労とともに未来への希望も確かにあったはずです。やがて昭和29年結婚と同時に佐世保自衛隊での新しい生活は,義父にとって夢と希望に満ちた,新しい幕開けだったのでしょう。

日本の敗戦の要因

 ところで,80年前の日本の敗戦の要因は,原子爆弾の投下だけではありません。ソ連の対日参戦,主要都市に対する焼夷弾攻撃,さらには海上封鎖や物資不足など,複合的な要因が積み重なった結果であったと言われています。終戦間近の日本はすでに制空権を完全に失い,上空からの援護もないまま,なけなしの戦力の戦艦「大和」を中心とした艦隊を前線へ送り出そうとしていました。

 しかし,肝心の燃料すら確保できない状況で下されたのは,沖縄までの片道燃料のいわゆる「海上特攻命令」でした。その作戦さえ,坊ノ岬沖海戦において無残な結末を迎えます。「大和」は圧倒的な航空攻撃の前に,あまりにもあっけなく沈みました。その戦いの中で生き残り,辛うじて帰還した義父の乗っていた「涼月」の姿は,当時の日本軍の置かれていた現実そのものを象徴していたのかもしれません。

 坊ノ岬沖で「大和」が無残に沈む光景を目の当たりにした涼月の乗組員たちは,口に出すことはなく,この戦争の無謀さを痛感していたことでしょう。命からがら生還した義父たちは,佐世保海軍工廠(軍需工場)近くで見た長崎原子爆弾投下,ようやく9日後の「玉音放送」で終戦を迎えるのです。それまでに失ったものの大きさを思えば,父たち乗組員の虚脱感や絶望は,想像して余りあります。

・ 佐世保海軍工廠と終戦直後の佐世保

NHKの連続テレビ小説

 朝の連続テレビ小説は,戦争の時代を描いた作品が多いという印象を,私は長く抱いていました。しかし,大ざっぱに数を数えてみると,半分も無かったのです。

 調べてみると,「ばけばけ」までの全113作品のうち,物語の中心として戦争期を描いている作品は44回にとどまっています。さらに,終戦直後の荒廃した社会から物語が始まる作品が7回,戦後の平和な時代を描いた作品が41回ありました。そのほか,明治期を舞台とする作品は6回で,数字の上では戦争期を扱った作品は半数にも達していませんでした。

 私は,朝ドラは戦争情景を描く番組のようなイメージがあったのです。戦争の描写は,意外にも半分以下でした。それでも戦争ものが多いという印象が強く残るのは,「あんぱん」「虎に翼」「ゲゲゲの女房」「マッサン」「カーネーション」など,戦時下の厳しさや人々の苦悩,暴力描写が多く印象が強かったからなのでしょう。

 しかしその一方で,近年の朝の連続テレビ小説には,戦後80年という節目を強く意識しているためか,日本の軍部の責任を強調する描写が目立つように感じられます。その結果,アメリカによる焼夷弾攻撃や原子爆弾投下といった,当時の国際法との関係が問われる行為については,十分な批判や検証につながっていないのではないか,という疑問も残ります。

 特に最近では,「虎に翼」などに見られるように,軍部だけでなく日本人庶民の側にも責任を求める視点が強調される作品がありました。戦争を支えた社会全体を見つめ直すという意図は理解できるものの,その描き方によっては,戦争犯罪の普遍的な問題を考えるというより,日本そのものを批判する内容として受け取られてしまう危うさも感じます。

・NHKホームページより

 本来,戦争を描くことは,特定の国や立場を断罪することだけが目的ではなく,なぜその悲劇が起きたのかを多角的に問い直し,同じ過ちを繰り返さないための視点を提示することに意味があるはずです。朝ドラが持つ影響力の大きさを考えると,来年は戦後81年目に入ります。今後はより国際的でバランスの取れた戦争描写がなされることを期待したいと思います。

敗戦国の責任のみ描写するドラマ

 今週放送されたNHKの朝の連続テレビ小説「ばけばけ」では,主人公・八雲が知事の娘からのプロポーズの場面で,自身の過去を告白する様子が描かれていました。八雲は,かつてアメリカ・オハイオ州において黒人女性と結婚したことで激しい差別を受けた経験を語ります。「この男はブラックと結婚した。しかも,もっと酷いことに混血の女とだ」と非難され,当時のオハイオ州では黒人(異人種)との結婚自体が違法であり,混血であることは二重の違反とされ,正式な婚姻届すら受理されなかったというのです。この結婚を理由に,八雲はシンシナティの新聞社を退社せざるを得ませんでした。

 また,NHKの朝ドラの中で,ここまで正面からアメリカ社会における人種差別の実態が描かれたことに,正直なところ強い驚きを覚えました。これまでの朝ドラでは,戦時中の空襲や原爆投下といった出来事は描かれてきましたが,ドラマの中で,アメリカの責任や問題性が真正面から深く論じられることは,余りなかったと記憶しています。

 むしろ,描写の多くは日本の軍部の責任追及に終始し,一般市民を無差別に標的とした焼夷弾攻撃や原爆投下といった,明確な国際法違反行為について,アメリカ側の責任が問われることは避けられてきました。先の大戦が,アメリカの植民地主義的政策や覇権拡大の一環として進められた側面に触れることは,「都合が悪かった」のではないかと指摘する専門家も少なくありません。

 今回の「ばけばけ」で描かれたアメリカ社会の人種差別など,日本で深く「語られてこなかった歴史」に光を当てることは,ごく自然なことだと思います。日本の過ちを直視すること共に,これまで意図的に,あるいは無意識のうちに回避されてきた他国の問題にも,公平な視点を向ける姿勢こそが,真に「二度と戦争を起こさない」ための成熟したメディアのあるべき姿ではないでしょうか。

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