大晦日~平成7年も後わずかです

熊本の小泉八雲旧居の資料によると,明治24年,嘉納治五郎(東京帝国大学卒)は,小泉八雲と同じ時期に熊本県第五高等中学校(現熊本大学)の校長として就任していました。その後,八雲は東京帝国大学へと移りますが,彼が熊本を去ってから2年後には,今度は夏目漱石が第五高等中学校に赴任します。興味深いことに,東京帝国大学では小泉八雲の後任として夏目漱石が迎えられました。時代と場所を超えて,3人の歩みが静かに交差していることがうかがえます。
また,小泉八雲が明治37年9月26日,54歳で亡くなった12年後,夏目漱石もまた東京・雑司ヶ谷霊園に埋葬されました。同じ学び舎や職場を受け継ぎ,さらには同じ地に眠ることになったこの巡りあわせには,日本近代文学史の不思議な縁を感じずにはいられません。
アメリカの奴隷制
今回のNHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」において,アメリカの奴隷制に踏み込んだ黒人差別の描写がなされたことには,正直なところ大きな驚きでした。戦後の日本社会,とりわけ教育界やメディアにおいては,日教組や共産党,労組系団体の影響もあり,アメリカ批判につながる表現は長らく慎重に,あるいは意図的に避けられてきたという印象が拭えないからです。

・NHK「ばけばけ」より
実際,これまでのテレビドラマや映像作品では,日本軍部の暴走や国内の責任ばかりが強調され,戦争を取り巻く国際的な構造や,他国の歴史的な問題に目が向けられることはほとんどありませんでした。とりわけ,日本が先の戦争に突入していった背景として,欧米諸国による長年の植民地支配や人種差別体制を打破しようとする大東亜共栄圏(日本が提唱したアジア政策の理念で,東アジア・東南アジアから欧米列強の植民地支配を排除し、共存共栄の新しい秩序を築こうとする考え方)の構想が存在したという側面については,ほぼ触れられてこなかったと言ってよいでしょう。日教組が進んで大東亜戦争を太平洋戦争と呼んで,子どもたちに戦争を教えていました。
また,東京裁判において,インド代表の判事がただ一人,判決に異議を唱えた事実なども,公共放送の番組や学校教育の中で正面から語られることはほとんどありませんでした。こうした歴史的事実が語られないまま,日本側の過ちのみを繰り返し強調する姿勢は,果たして歴史を公平に見つめる態度と言えるのでしょうか。インドはこの東京裁判を挟んでイギリスの植民地支配から独立しています。そして,今でも先の戦争での日本に感謝している人がいるのです。
「ばけばけ」で示されたアメリカ社会の暗部への言及は,ようやく戦争と近代史を多面的に描こうとする試みの一端と受け止めることができます。公共放送であるNHKには,特定の価値観に偏ることなく,国際社会全体の歴史的責任や矛盾を含めて提示する役割があります。今回の黒人差別の描写を一過性のものに終わらせず,真にバランスの取れた歴史認識を視聴者に示していくことを,強く求めたいと思います。
先生方が深く教えなかったアメリカの奴隷制
社会科を教えていた父をはじめ,親しかった先生方にもそのことを尋ねてみましたが,「アメリカの黒人差別については,あまり詳しくは教えなかったね」と,どこか他人事のような反応が返ってきました。一方で,イギリスやフランス,スペイン,ポルトガルといった列強による植民地支配や奴隷貿易については,比較的詳しく学んだ記憶があります。なぜアメリカだけが,私の記憶の中で特別に意識されることなく扱われていたのか,当時は不思議に思いませんでした。

その疑問が腑に落ちたのは,高校時代,若い世界史の先生と授業後に雑談をしたときでした。その先生は,戦後の占領期において,GHQが日本の軍国主義を徹底的に解体するため,黒塗り教科書と同様に日教組や共産党といった勢力を事実上利用・支援していたこと,そして昭和20年代後半まで教育現場でもGHQは強い影響力を持っていたことを指摘しました。また,労働組合側も活動を進める中でアメリカに配慮し,国際法上問題のある焼夷弾攻撃や原爆投下の責任については深く踏み込まず,日本の軍部に責任を集中させる語り方が定着していった,というのです。
その話を聞いたとき,私は強く納得しました。戦争責任について,日本の過ちばかりを厳しく糾弾する先生方が多かった一方で,アメリカ側の問題については余り語られなかった理由が,そこにあるように思えたからです。正義感の強かった高校生時代にローリングストーンズやボブディランを入口に,歴史教育や戦後日本の価値観形成にまで思いを巡らせることになった経験は,今でも私の中に深く残っています。
GHQへの忖度
背景の一因として,戦後GHQの占領政策のもとで事実状作られた「日教組」や「日本共産党」などが,対米関係への過度な配慮,いわば忖度によって,日本の軍部批判のみに焦点を当てる歴史観を固定化してきたことが挙げられるでしょう。こうした左派的な組合活動や市民運動の思想的DNAが,新聞・テレビといったいわゆるオールドメディアに,現在も色濃く残っているとの指摘があります。
さらにここ数か月の「台湾有事」での報道を見ると,首相批判には極めて厳しい一方で,中国に対しては一貫して擁護的な姿勢を崩さない報道姿勢が目立ちます。その背景もまた,このDNAと広告収入が激減する中,表向き日本企業を経由して流入する中国マネーや,親中的立場を取る政治家の影響があるとの見方も否定できません。

ニューオリンズ・ジャズ
学生時代,私はブルースやジャズが好きで,よくジャズ喫茶に通っていました。ジャズと聞いてまず思い浮かぶのがニューオーリンズです。同地はジャズ発祥の地として知られ,音楽・料理・文化が融合した独特の魅力を持つ都市です。混血者(クレオール)たちによって誕生した異人種・異文化音楽だったのです。植民地時代の影響を色濃く残し,かつて奴隷の積出港であった歴史も刻まれています。南北戦争後,奴隷解放によって食事や労働以外の自由な時間を得た黒人たちが歌い始めたことが,ジャズの原点とされています。ブルースもまた,解放後の黒人が生み出した霊歌やバラッドの影響を受けた音楽です。

さらにニューオーリンズは,アメリカ合衆国の独立以前からフランスやスペインの植民地の中心地であり,黒人や混血者であるクレオールによって異文化音楽が育まれました。小泉八雲の最初の妻マティは,白人農園主と黒人奴隷の母との間に生まれた女性であり,八雲がクレオール文化に惹かれた背景とも重なります。決定的だったのは,1884年のニューオーリンズ万国博覧会で日本の展示に触れたことでした。この出会いが,彼の来日を後押ししたのです。ニューオーリンズは,八雲の文学的感性を刺激し,作家としての才能を大きく開花させた土地であったと言えるでしょう。
ブラウン・シュガー
私が中学・高校生だった頃,ローリング・ストーンズの「ブラウン・シュガー」がヒットしていました。私はブラウン・シュガーの意味が,「砂糖きびを搾った薄茶色の砂糖~奴隷制や黒人女性」を指し,その歌詞の日本語訳「ゴールドコーストの奴隷船 綿花畑行き 市場で売られた。ニュー・オーリンズで傷跡のある奴隷商人のおやじはうまくやっていると思っている。聞こえてくるだろ おやじが夜中に女たちをひっぱたく音が。」に触れ,そこで描かれていた情景を通して,初めてアメリカにおける奴隷制度の過酷さを具体的に知ることになりました。

アフリカから連れて来られ,綿花畑へ送られ,市場で売買され,暴力と搾取にさらされる人々の姿は,正義感溢れる高校時代の私に強い衝撃を与えました。
私たちの世代は,学校教育の中で植民地政策やリンカーン,南北戦争などいわゆる黒人問題について大まかには学んでいました。しかし,奴隷制の実態や日常的な暴力,差別の深刻さについて,踏み込んで教えられた記憶はほとんどありません。この曲をきっかけに自分で調べていく中で,黒人奴隷制度がいかに非人道的で,社会の深部にまで根を張っていたかを知り,改めて驚かされました。

※ また,日本でも有名なフォスターは,こうした黒人霊歌風の作風で多くの曲を書いたが,突然の不作による黒人一家の離散の悲劇を描いた「ケンタッキーの我が家」をはじめ,「故郷の人々(スワニー河)」,「主人は冷たい土の中に」,「おおスザンナ」などもプランテーションソングと呼ばれる。当時は,まだ奴隷制度が残っていた頃であり,歌詞中に黒人を表す差別的な単語が用いられているのです。このようなアメリカな都合の悪い歴史もきちんと伝え,先の戦争に至った多くの要因を教えていくべきだと思うのですが,…。
