回覧板の広報紙

町内会の回覧板に目を通すと,管轄の交番からの広報紙が挟まれています。これまでは「交通事故防止」や「不審者対応訓練の実施」など,地域に根ざした身近な安全対策の取組紹介が中心でした。日々の暮らしを守るための具体的な呼びかけに,地域と警察のつながりを感じていたものです。
ところが近年は,「うそ電話詐欺」への警戒や国際電話を悪用した犯罪への注意喚起,マイナ免許証に関するオンライン講習の案内,さらには狩猟期間中の事故防止など,内容が一段と多様化しています。犯罪の手口が高度化・広域化するなかで,警察の取り組みもまた時代に即して変化していることがうかがえます。
小さな紙面ですが,そこには社会の移り変わりが映し出されています。新たな犯罪が静かに忍び寄る現実に向き合い,地域と警察が情報を共有し,ともに備える姿勢が,これまで以上に求められているのではないでしょうか。
学校の安全管理
教頭時代,子どもたちやPTA役員,教育委員会,地域,警察などから不審者情報が寄せられていました。情報が入れば直ちに校内で共有し,対策を検討して電話連絡網で全家庭に連絡します。そして各学級での安全指導や集団下校など,迅速な対応をとってきました。今の様にメールがない時代でしたので,一度連絡網を出すと学校に待機していなければなりませんでした。

そんな中,今から25年前に発生した大阪教育大学附属池田小学校事件は,全国の学校にも大きな衝撃を与えました。その頃の勤務地は地方ののどかな学校でしたが,その影響は大きく,多くの保護者が強い不安を抱くこととなりました。
その結果,わが子の安全を案じた保護者の方々が,子どもたちを正門まで車で送り迎えする状況が続きました。長蛇の車の列で,正門前は渋滞気味になっていたので,徒歩での通学を呼びかけると,「教頭先生の子どもは学校の敷地内に住んでいるから,親の心配が分からないのだ」と返されました。そして状況が改善されまで数か月の期間を要しました。あの出来事は地域での取組など,学校の安全神話を根底から覆し,教職員や保護者に子どもたちの環境づくりの難しさを改めて考えさせられた事件でした。

以降,学校の警備体制の強化は全国的な課題となり,校門を閉めたり,サスマタなどの防犯器具の整備したりするなど不審者に対する対策は日常の一部となりました。職員も何か起きてからでは遅いという緊張感が常にありました。
また,本事件をはじめ全国で発生した子どもを巻き込む事件が,大きな社会問題となったことをを受けて,「イカのおすし」の合言葉をはじめ,各学校で具体的な安全対策が進められました。当時,私も校区内で新たに「子ども110番の家」へ加盟していただけるよう,日々奔走していたことを思い出します。

一方で,子どもたちは地域の中で人との関わりを通しながら育つ存在です。過度な制限は成長の機会を狭めかねません。安全確保と豊かな交流,その両立に葛藤を抱えつつ道を探ることも教頭の役割でした。
また,教頭の業務で毎日の戸締りも大切な仕事です。施錠確認に加え,施設設備の破損や下駄箱・机の乱れまで目を配ります。小さな乱れが生徒指導上の課題につながることがあるからです。校舎内外を巡回すれば最低でも一時間ほどを要しますが,学校の一日を静かに締めくくる大切な時間となっていました。

・鹿児島県警ホームページより
ちょいとブレーク


国の危機管理について思うこと
話はかわりますが,常々思っていることに,学校を含め国の大きな責務の中に「子どもたちや国民の命を守る」ことがまず第一にあると思うのです。
今回の選挙で自民党が大きく議席を伸ばし,多くの政策を実現できるようになりました。例えば台湾有事をめぐって憲法改正を含め安全保障の議論がこれまでと同じで,選挙で示された国民の声が政治に反映されなければ,民主主義とは名ばかりの国であると,世界中からそしりを受けるでしょう。
恐らく,今後のメディア報道の在り方をめぐっては,自民党の政策を「暴走」と批判し,国民を戦争に巻き込むと偏向して報じることが予想されます。今回,野党が「中道」を掲げ,自分たちが中立で自民党は極右で戦争に突き進むと,対立構図に現れていると思えるからです。国民の生命と財産を守ることがイデオロギーを通して語られるべきではないと思います。
メディアの偏向報道
戦後一貫して,日本のオールドメディアをはじめ左派勢力は,政府批判を軸にその影響力を削ぐことを存在意義としてきたとの見方があります。戦後の占領期にはGHQの方針に沿う形で,また日米同盟が深化する中では反米を強調する立場から論陣を張ってきたと私は思っています。近年は安全保障や世界的な軍事関係,国際情勢の大きな動きよりもそれまでの左派の理念を優先する論調ばかりが目立っているように感じます。これまでの国政選挙の結果は,こうした姿勢や一部メディアの報道も影響していたのでしょう。

憲法論議でも「改正=戦争」と単純に結び付けるのではなく,世界的な常識である「抑止力」を含む現実的な安全保障を冷静に議論すべき時期です。世界情勢が緊迫する中,今回の衆議院選挙を受け,政治は責任ある結論を示すことが求められています。
今回は恐らく憲法改正までは出来ないでしょうが,戦後自民党は「憲法改正を党是」としてきて,初めて三分の二以上の議席を与えられました。世界情勢が緊迫する中で課題を先送りせず,最低提案するだけでも責任ある決断を示すことが求められています。感情論を超えた成熟した国民的議論が必要ですので,とにかく民意に沿って次のステップの国民の議論へと繋げて欲しいと思います。一般庶民を安全保障を含め,国の未来に関する議論から遠ざけてはいけないと思います。

揺らぐ民主主義
日本が政治的停滞を続ける間に,中国は日本を抜き去り国力を伸ばし,経済的・軍事的に世界中に圧力を強めてきました。選挙前まで,国会では与党が法案成立に必要な基盤を十分に確保できず,重要法案が成立に至らないことが多いでした。予算委員会や法務委員会,憲法審査会などで審議入りすら難しい状況で,政策議論が全く出来なかったのです。日本の外交・経済・安全保障戦略を立て直すには,対立一辺倒ではなく建設的な議論が不可欠です。しかし,イデオロギーの違いは如何ともし難く,停滞が続いていました。

SNSが登場するまでは,オールドメディアの一方的な論調ばかりで,疑問を持っていた国民も数多くいたはずです。故に政治とメディアの関係も検証されるべきでしょう。報道が特定の立場に偏っていると不信が広がり,民主主義の基盤は揺らぎます。しかし,政治は選挙で変えられますが,報道の在り方は「電波の自由化」など制度面の見直しなしには変えにくいのです。一方的な議論だけでなく,諸外国のようにメディアで多くの意見が国民に示される当たり前な国になって欲しいと願っています。恐らく出来ないことのようですから,自民と維新の連立協議の議論に電波制度の透明化や情報産業の競争原理の導入を含め,情報空間の公正性を高める改革を取り上げて欲しいと思います。
抑止力の議論がいつも戦争
実際のところ,仮に過半数を得た高市政権下においても,いわゆる「スパイ防止法」や「国旗損壊罪」といった法整備すら実現できないのであれば,台湾有事の際に尖閣諸島の安全が揺らぐことも考えられ,日本の防衛上,懸念せざるを得ません。もっとも,このような見解を述べると,「中国がそのような行動に出るはずがない」との反論や,「あなたは戦争を望むのか」との決めつけを受けがちです。

しかし本来問うているのは戦争の是非ではなく,学校現場と同じように不測の事態に備える「危機管理の在り方」ではないでしょうか。抑止力の議論と戦争とは,安全政策上異なる次元の問題です。安全保障や憲法改正をめぐる議論をいつまでも,入口で停滞するのではなく,選択肢を示したうえで国民に判断を委ねるべきです。結論以上に,その熟議の過程こそが民主主義の意義を示すものだと考えています。

・ 反対意見は常にフェイク,だからこそ「公共の電波」では併記が必要なのです。
