江戸時代の高隈七嶽詣りの「ボンサン」と「鷹ノ羽嶽」,「中嶽」は何処【R5】11月1号

・ 「三国名勝図会」の高隅嶽の項目は、次の通り記されている。

・ 現代語訳

 高隅は本府(鹿児島城下)の東側で海と陸を12キロ隔てた串良郷の中に位置している。地頭館は高隈村上高隈にある。

・明治初年の高隈郷の地頭は高崎正風

 この村は古くは鹿屋院に属していたと言う。高隈嶽は地頭館より西の方角に8キロ余りにある山である。この山は大隅郡と肝属両郡にまたがり,大小美しい山が重なり合って大きな波のようである。深い谷や森林は競い合って人を惑わすほどの雲霧深く覆い,麓から山頂まで高い道のりは8キロほどある。大隅国一の大きな山であり鹿屋・花岡・新城・垂水・百引・牛根はみなこの山の麓に当たる。

 その山の内,最も高い山が大箟柄嶽で鹿屋と垂水の境にあたる。山頂に笹の一種の篶竹(スズタケ)が多く山名の由来になっている。その次の山が小箟柄嶽で三つの村の境にあたる。妻嶽は新城に属している。鷹羽嶽はこの村に属している。その他名のついた山が数多くある。この山は多くの村にまたがっている。正に高隈の地に多く係わっているからである。全ての山頂は風が強くて木々が大きくならないと言う。山中に高隅三所権現を崇拝している。三所権現及び別当寺は鹿屋にある。これ正しく鹿屋はこの山頂の南面に当たり,平地になっている。

 毎年3月4日には近くの村の男女が七嶽詣りを行っている。七嶽とは①盆山、②大箟柄嶽、③小箟柄嶽、④妻嶽、⑤権現嶽(御岳)、⑥中嶽、⑦近戸宮(瀬戸山神社)を言う。権現嶽、中嶽、近戸宮を除いては、他はただ山の樹木を神体としている。(三所権現とは権現嶽に一社,中嶽に一社、山の麓の近戸宮である)皆鹿屋の大窪村に属している。

 寺務は五代寺の僧職が統括している。この神社については鹿屋に詳しく記してある。深い谷や森林は競い合って 神の示す霊威は不思議なことが多く,人々は心から敬っている。領内において神の示す霊威が多い所は霧島山と高隈山と言われている。

 盆山は大箟柄嶽から北東の方角500mに当たり,高さ7・5m,周囲32mの珍しい形をした大きな岩がある。その形状盆山のようである。この険しい岩下屏風を重ねたようで風を防ぐため猟師が止宿する場所である。

・鷹ノ羽の山頂

・鷹ノ羽から見た御岳

・山林から見た中嶽

・中嶽の山頂

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