朝の挨拶運動での一コマ《R6》1月5号

 春先の挨拶運動中、正門の花に水をかけていた時の出来事です。私が着用していたマスクを見て、黄色いカバンを背負った1年生の男の子が近づいてきました。「先生、お花さんに風邪をうつさないでね」と優しく声をかけてくれました。ところが直ぐに,一緒に歩いていた6年生の兄が、「花粉症,花粉症…」と軽快に言い放ちながら通っていきました。(近くに杉林があり,6年生は私が花粉症で苦しんでいることを知っているのです。) その瞬間、その光景が何ともおかしくてふき出してしまいました。

 初めての春、入学したての男の子が花への思いやりを示し、それを受け入れる兄も弟の優しさを感じ取り,とっさに出たリアクションだったのでしょう。ちょっとした校門での光景でしたが、新学期の始まりとともに生まれる爽やかな気持ちが込み上げてきました。同時に挨拶運動の必要性を感じたエピソードでした。

呼名を使ったあいさつ運動

 「おはようございます」この一言ですがすがしい一日が始まります。学校は共同生活の場であり、その生活をスムーズにするものがあいさつです。ほんの一言で相手の心が開かれ、心と心が通い合うのです。漢字で書く挨拶の「挨」は叩いて開く、「拶」は叩いて迫るという意味があるそうです。つまり、相手の心を叩いて内面に迫ることで、本来の意味の挨拶が生まれるのです。「心を開くあいさつ」の習慣を小さいうちから身につけさせていきたいものです。 

 小規模校に勤務していた時のことですが,呼名を使ったあいさつ運動を呼びかけていました。子どもたちから,友だちに挨拶したのに返事がなく悲しかったと聞いたからです。返事がないことの理由は,「声が小さく聞こえなかった」、「別の人に話しかけていたと思った」,「喧嘩をしていた」など様々です。しかし、「○○さん、おはようございます。」と声をかけると、その人は必ず振り向き、返事を返してくれるはずです。

日新公のいろは歌

 ・竹田神社のいにしえの道

 日新公の「いろは歌」にあいさつに関する歌があります。私が挨拶運動の指導をするとき,よく使った一首が「礼するは 人にするかは 人をまた さぐるは人を さぐるものかは」でした。これは、「あいさつは他者に対してだけでなく、自分自身にも行っていることであり、また人を見下げる心は、礼儀正しさを失った自らの人格を見下げていることと同じである」という深い意味が込められています。確かに気の合わない相手や喧嘩をした相手には,進んであいさつをすることは中々出来ることではありません。ある意味,あいさつとは,自分自身の心の広さであったり,他の人に対する思いやりの深さであったりします。

 学校だけでなく、家族や地域でも積極的な挨拶ができるようになってほしい。そして、朝だけでなく、オアシス運動(オ:おはようございます、ア:ありがとう、シ:失礼します、ス:すみません)まで広げてほしい。これらの言葉が一日中、心から語りかけられるようになれば、きっと豊かな生活が築かれることでしょう。挨拶は、己を正しくし、他者に対しても敬意を払う心を培う儀礼であり、これが心地よい日常を生み出していくことになる筈です。

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