喜入地区地形地図(海岸線)
喜入地区の地形について,明治期の石碑に記された海難事故の碑文に,給食センター近くまで海が入り込んでいたことが記されています。図の青色のラインで示された当時の海岸線(海抜3~5mラインまで海中であった)を想定すると,旧麓は海上交通の便が良い地点であったことが分かります。その入江向かいに位置する仮屋崎の「崎」は「前」を意味し,これも説明がつきます。
・ 満潮時の八幡川の水位
また,琵琶山は山容が琵琶の横面に見えたことからこの名がついたとされていますが,上空から見ると琵琶に見える一方,横からの説明は少し苦しいです。あくまでも私見ですが,港の入口に琵琶神社(海の神,市杵島神社)が鎮座していた可能性も考えられます。当時の港は河口から奥に入り込んだ波の静かな場所にあり,船を安全に係留できるところに位置していたと推察されます。
仮屋崎の地名由来について,天文館がかつて海の中にあったことや甲突川の川筋の変遷が関連しています。江戸期以降,甲突川の流れが変わりながら埋め立てられ,それに伴って海岸線も変化してきました。喜入の八幡川沿いの明治期の石碑には海難事故の碑文があり,給食センター近くまで海が入り込んでいたことが記されています。この時代の海岸線を示す青色のライン(海抜3〜5mライン)を基にすると,旧麓は海上交通に適した地点であったことが理解されます。
仮屋崎は県内の仮屋崎姓のルーツの一つであるようです。仮屋は藩政時代の役所で,「崎」は先端や端,或いは前面を表し,その地名の由来については,現在の地形からでは難しいですが,昔の海岸線を考慮すると,旧麓(仮屋)の入江向かいに位置する仮屋崎は「仮屋の前(崎)」という意味ではないでしょうか。
・ 城跡(小高い山)と旧麓
また,琵琶山の由来はその山容が琵琶の横面に見えることから名付けられたとされていますが,地図上から見た場合は琵琶に見えるものの,横からの視点での説明は少し難しいかもしれません。個人的な見解としては,港の入口に琵琶神社(海神,市杵島神社)が鎮座していた可能性が考えられます。当時の港は河口から奥に入り込んだ波の静かな場所にあり,船を安全に係留できる場所として機能していたと推測されます。地名の由来を考える際には,仮屋崎のように歴史的な地形や海岸線の変遷を考慮することが重要です。
・ 満潮時の河口と琵琶山
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