地名散策「②頴娃町牧之地」

頴娃町牧之地・宮脇の地名

 興玉(九玉)神社の一帯は,古くから住民の信仰が深い神社で,その脇一帯は社領です。九玉や興玉,若宮,仮屋,宮脇,宮前,宮田,九玉田などの地名が残っています。

① 三俣

 俣とは分岐する意味で,一つの川や路が二手に分かれる所を指します。三つに分かれる地点が三俣であり,頴娃の場合,麓から浜村,御領,青戸方面への分岐点にあたります。川の場合,「落合(落ち合う)」や「永江(流れ会う)」は二つの川が一つに合流する地点を意味し,異なる意味を持ちます。

② 高取

 「高取」とは本来,高地の崖の地形を指しますが,ここでは高取川の河口にある緩やかな傾斜地を意味します。また,鷹を捕らえる「鷹取」という意味も考えられます。鷹といっても,実際にはタカ科のトンビが多かったようです。戦国時代には弓矢が重要な武器であり,矢羽の質が弓の精度に影響を与えました。タカやトンビの羽根は堅く,的に正確に当たるため,高級品とされていました。そのため,鷹巣奉行が置かれていたなど,各藩の重要な地区であり,県内にも「鷹巣」や「鷹師」といった地名が残っています。矢筈岳から鬼口辺りの山岳地帯には,鷹巣があったり,鳶ノ巣や鷹山などの地名が残っていたりします。また鷹師が住んでいた場所であった可能性も考えられます。

③ 春向

 「春」の付く地名は,開墾を意味する「墾」「針」「梁」「春」「治」「播」などの字が当てられることが多「墾」や「張(開墾地)」の転訛で,開墾地が多く見られます。たとえば,佃,春田,今田(京田)などは,いずれも新しく開墾された田地を意味し,その向こう側にある山田を示します。具体的には,高取川沿いの田畑の向こう側を指します。「向」は太陽に向かった斜面,つまり南向きの日当たりの良い場所を意味します。

 荘園の「本庄」や「本所」,領家に加えて,新しく切り開いた土地を示す地名として,別府,加納,狩野,新庄,一色(一色別納)などが全国各地に多く見られます。御領は平安から中世にかけて存在した荘園で,久玉神社の御供領田の略称である可能性も考えられます。

④ 伊瀬知

 「伊瀬知」は明治初期の地図(輯製二十万分一図解説)では「井瀬地」と表記されています。ここで「井」は川を意味し,つまり「川の浸食で狭くなった瀬戸」を指します。地名には本来の意味がある一方で,万葉仮名を当てることでその由来が分からなくなることが多いです。

 伊瀬知滝には磨崖仏があり,滝下の西側の谷壁に仏像(如来像)が刻まれ,阿弥陀仏の刻文も見られます。地元の人々は「伊瀬知ドン」と呼んでおり,これは天神滝が崩れた際に集落民が奉遷するために刻んだものとされています。

⑤ 赤崎

 「赤崎」という名称は,海に突き出て夕日で赤く染まる岬をイメージすることが多いですが,頴娃の「赤崎」は馬渡川と高取川によって削られた「アガリ岬」「崩壊地」を指します。山崎や赤崎などの奥地に位置する岬は,岬(山と甲)から成り立っており,もともと「山峡」や「山脇」の意味を持ちます。つまり,山あい,または陸地が平地に突き出した場所を示しています。「崎」は山と奇凹凸が激しい岸,山の突出した部分を意味し,「甲」は峰を指します。田は湿地を意味することもあります。

 山崎(広い海に突き出た岬や崎)は,広い水田に樹木が生い茂る山林が突き出た場所を指し,「山の崎」と呼ばれます。近くには伊瀬知(井瀬地)や祝迫(岩井迫)などの地名があり,これらは河川によって削られた場所であると考えられます。また,赤のつく地名は,鉄山や火山性の赤土に覆われた土地に多いようです。或いは仏教用語で水を意味する閼伽(あか)から水源地を指すこともあります。近くを佃の用水路(赤崎トンネル)が通っています。﨑は宮崎の崎と同じ前の意味で,水源地の前の土地かもしれません。

⑥ 佃

 佃は江戸期の新田開発の地名で,作り田のことです。馬渡川・鶴田から取水し,用水路を赤崎や御領の奥玉神社の横を通して馬渡川に落としていました。用水路は河川の枯渇を防ぐため取水した河川に戻すことを基本としていたようです。神社の横の地名を宮脇と言い,神社の前を宮崎と言っています。赤(閼伽)は水源地のことで,この用水路の前を赤崎(川崎)といっていたようです。ノーベル賞の赤崎先生は出身は知覧麓ですが,先祖のルーツがこの地のようです。 

佃の用水路の流れ

 1689年,馬渡川の鶴田集落近くから天然堰(佃堰)を利用し,用水(佃溝)を引いて,佃や赤崎(赤崎トンネル)を通り,木之元(木之元溝),御領の新田を経て九玉神社の下を通り,下出から馬渡川へと流していました。この一連の開墾で御領東新田が開田された「作り田」を意味する「つくりだ」が変化して「つくだ」となり,全国の開墾地に多く見られる地名です。

⑦ 粟ヶ窪

 粟ヶ窪地区は薩摩半島の山地を形成する尾根の南端に位置し,背後には兵児岳,唐牧岳,吉見岳などの五百メートル級の山々があります。標高も約二百メートルに達し,近くには飯山,永谷,粟ヶ窪,牧渕,一氏,谷場,熊ヶ谷などの山間の地名が多く見られます。三方を高い山に囲まれており,この地に立つと両サイドの高峯に阻まれ,東シナ海に向かって開かれた盆地地形が確認できます。

 奈良時代からは粟や麦などの雑穀が栽培されており,一斗の稲と同等の価値で粟を納めていたとされています。鹿児島は水利や火山灰台地の影響で水利が悪く,雑穀の生産が盛んでした。粟は高地でも栽培できるため,粟や稗は重要な食料でした。この地域では窪地沿いに粟が多く自生していたことから,その地名が付けられたと考えられます。

⑧ 一氏

 「一氏」は人名として「ひとうじ」とも読まれます。「ウジ」とは,宇治,宇路,兎路などの表記が示す通り,獣道や峠の入り口を意味する場合があります。山に入ると獣道が確認できることがあり,人々はこの道の一部を利用して街道を作ることもありました。近くには「柿」「尻」「越」「迫」といった地名が多く,これらは南薩山地から新牧や谷場への峠口を示している可能性があります。また,永谷近くの山間には「氏無」という地名もあります。

・ 享保年間の一氏家の由緒ある墓碑には「…秋月禅定門」と刻まれ,寛永年間の墓石には「一ツ氏門名頭」とあります。これにより,「一ツ目」「二ツ目」などの意味で「兎路」と解釈することもできるかもしれません。

タイトルとURLをコピーしました