「万世一系」天皇そのものが「神の領域」

 日本の皇室は,有史以来,男系継承を維持してきた世界でも例のない国です。最近,女性天皇や女系天皇についての議論が再び注目されています。今回はこのテーマで「女性天皇の実績」「男系の制度」「万世一系の皇室」「これからの皇室」について持論を述べてみます。 

女性天皇の実績

 これまでに即位した女性天皇は,6世紀から18世紀にかけて,推古天皇,皇極天皇,斉明天皇(再即位),持統天皇,元明天皇,元正天皇,孝謙天皇,称徳天皇(再即位)の8名(10代)です。いずれも歴史的に大きな実績を残しています。

 しかし,これらの女性天皇の多くは,後継者問題や政治的な混乱の中で即位しており,基本的には男系継承の大原則が揺らぐことはありませんでした。

 まず女性天皇といえば,仏教政策を推進した最初の女性天皇である推古天皇(聖徳太子の叔母)や,安定した治世を築いた持統天皇が思い浮かびます。私が推したい天皇は,飛鳥時代後期から奈良時代初期にかけて在位した元明天皇です。

元明天皇の好字二字令

 地名の研究において必ず耳にするのが,和銅6年に元明天皇が発布した「諸国郡郷名著好字(好字二字)」の勅令です。これは,唐に倣って地名を二字に統一しようとした政策で,一字(窪→久保)や三字(上毛野→上野)の地名を二字に改めさせました。日本の苗字に二字が多いのは,地名が苗字の由来となっているからで,この勅令によるものです。

 また,この時期の地名表記は,万葉仮名による当て字や「好字」転換によって,本来の由来が失われており,漢字表記にとらわれてはいけないのです。ここに最大の問題があるのです。地名はもともと,他の地名と区別するため,その土地の特徴やその他の理由を反映して名付けられているものです。しかし,この勅令によって,たとえば「葦田(悪田)」が「吉田」に変わってしまうように,本来の意味や由来が失われてしまう例が多く見られます。嘉名(好字)の意義は地図の表記上や税制上(上田・下々田等)の意味があったと言われています。

 平安中期の法律書・延喜式に「諸国の郡や里名には必ず嘉名を用い(漢字)二字で表記するように」と全国的に地名を統一するようになりました。博多など全国に何カ所ある那珂川は本来「中川」で,北に至っては喜多(喜び多い)と表記される有様です。

男系の家督相続制度

 朝ドラ『虎に翼』では,旧民法における家督相続制度が紹介されていました。江戸時代の武家社会では,相続が長子単独で行われていたため,明治初期の華族や士族制度も同様に長子相続が採用され,一般庶民にもこの制度が適用されることになったそうです。明治31年に制定された旧民法でも,武家にならい長子相続が継承されています。これは,武家社会における男系家制度の名残とも言えそうです。

性染色体の組合せ

※ 女性天皇が一般の男性と結婚し子どもが生まれたら,上図のように「赤が消え青になる」つまり皇室の男系が途絶えることになります。このことは他国の王家と同じく権力闘争で勝った者が王になる国になり,日本神話以来の,或いは有史以来の皇室そのものの存在が大きく揺らぐことになります。単に女性の人権や男女平等とはまったく別の話です。

世界で唯一の「万世一系」

 日本の皇室は,有史以来少なくとも1500年以上続いており,世界で唯一,同じ系統が途切れることなく続く王家として「ギネス世界記録」にも認定されています。ヨーロッパの王家のように頻繁に入れ替わることなく,「万世一系」を保ち続けています。このように長い間続いてきた基盤となっているのが,男系天皇の制度なのです。

 例えば,イギリスの初代王は日本の平安時代後期にあたり,エリザベス1世が活躍した時代は信長・秀吉・家康の時代と重なります。これを考えると,日本の天皇家がどれほど長い歴史を有しているかがよく分かります。

 歴史に「もし」は禁物です。もし,天平の政変で道鏡が一時的に皇位に就いたとしても,反乱はすぐに鎮められ,皇統は守られたでしょう。しかし,もし歴史の中で女系天皇が三代続いたとしたら,天皇家の正統な血統が無くなり,現在まで続く皇室の姿は無かったでしょう。そして,明治維新を経て今日の民主国家日本が形成されなかった可能性が高いと思うのです。

スカウトされた地方出身の天皇

 武家の場合は養子縁組などで家の存続が可能ですが,天皇家の場合は非常に困難な状況になります。NHKの『英雄たちの選択』の「スカウトされた大王〜地方出身! 継体天皇の実像〜」では,地方豪族に過ぎなかった継体天皇が第26代天皇になった経緯を考察していく内容でした。第25代・武烈天皇には子がなく,仁徳天皇から続いてきた直系の皇子が不在となったのです。その結果,越前(福井県)の傍系から婿を迎える形で新たな王が誕生しました。継体天皇は応神天皇の五世孫とされています。当時は現代のようなDNA研究など存在しなかったにもかかわらず,男系にこだわり,五代も遡って地方から天皇を迎えたことには驚かされます。現代ではこのようなウルトラCはほぼ不可能です。これから皇室はどうなるのでしょうね。

現在の皇室について

・ 鹿児島国体開会式に向かう天皇陛下 

 天皇は国事行為の他にも皇室行事や国民的行事,外交などの仕事が多く,国民に慕われています。昨年,鹿児島国体のため天皇が訪れる街道沿いには,多くの県民が一目陛下や雅子様を見ようと一時間近く前から待機して場所を確保していました。そして,お二人を乗せた車が現れると,一斉に国旗を振り,「陛下~,雅子様~」と大きな声援を送りながら手を振っていました。

 この光景には,皇族に対する神聖化と親愛の情が表れていました。天皇は古来より男系で連綿と続く家系であり,さらに神話に遡れば天照大神や全国の神社に祀られる有名な神々に繋がるのです。そうした背景に対して国民は自然と敬意を払い,頭を下げている方も多いのでしょう。

皇室の喫緊の課題

 皇室の跡継ぎ問題は,宮家の在り方を含めて喫緊の課題となっています。持論を申し上げると,天皇家は「神話の時代から連綿と続く日本の歴史そのもの」です。しかし,もし将来的に女系天皇が認められれば,天皇の出自が一般国民と同じになり,これまでの伝統から大きく外れることになります。

 21世紀の平等な社会において,基本的人権に関わる制度改革は必要であり,男系中心の多くの制度は変えるべきであると考えます。しかし,同じ論理で皇室制度が議論されるのは,如何なものでしょうか。このような状況で,皇室という国家の象徴的な存在が揺らいでいくその先に,はたして国民はこれまでと同じように皇室に敬意を払い,国旗を振るのでしょうか。 

女系天皇論にひとり言

 一人の人間 (A) が子どもを2人生み,その2人がそれぞれ2人ずつ子どもを生むと,Aの孫は4人になります。これはあくまで計算上の話ですが,10代で1024人,20代で約100万人,27代で約1億3千万人,つまり現在の日本の人口とほぼ同じ数になります。30代で10億,40代で1兆人を超える計算になります。~現在の天皇陛下は126代目になります!
 天皇家や貴族の男系の血統は歴史的に厳格に守られてきましたが,女系の血統は武士階級に降りるなどして,徐々に日本全土に広がっていきました。女系であっても,天皇の血を引いていることには変わりありません。特に武士の時代に入ると,桓武天皇や清和天皇の血を引く武士が多くなったのも事実です。戦国時代には多くの政略結婚が行われました。武士が農民や町民と結婚できなかった時代もありましたが,明治になり一気に自由化され,結果としてこの血統が爆発的に広がりました。つまり,計算上の分母が非常に大きくなったのです。
 確かに,歴史的な視点や遺伝的な可能性を考えると,ほとんどの日本人が仁徳天皇など古代の天皇に繋がっていると言えます。この観点から見ると,女系で皇室を存続させることは,血統の存続という意味では根拠が薄く,歴史的な意義も弱くなると感じます。
 近年,王室を有する国々でも「王室を維持する意義」が薄れ,一部では廃止を求める声が上がっています。特に,民主主義の進展や現代社会の多様化に伴い,「なぜ王室を存続させるべきなのか」という疑問や,伝統や制度の役割を見直す動きが見られます。日本でも,SNSを中心に皇室に対する批判的な意見が増え,同様の考えを持つ人々が見受けられます。
 もちろん,血統だけでなく,皇室が持つ文化的・制度的な意義も重要です。これからの皇室の存続方法については,新しい価値観や多様な視点からの議論が必要なのは分かります。しかしながら,国民のアイデンティティにとって皇室が果たしてきた文化的・精神的な役割や,象徴としての重要性は依然として大きく,安易に考えて欲しくないと切に思います。

男系天皇の存在そのものが「神の領域」

 日本の国家予算は約110兆円だそうですので,「兆」という単位までは馴染みがあるかもしれませんが,それ以上の数字はあまり聞いたことがないでしょう。数字の単位は,「一・十・百・千・万・億・兆」と続き,その先は,「京(けい)・垓(がい)・秭(じょ)・穣(じょう)・溝(こう)・(かん)・(せい)・載(さい)・極(ごく)・恒河沙(ごうがしゃ)・阿僧祇(あそうぎ)・那由他(なゆた)・不可思議(ふかしぎ)・無量大数(むりょうたいすう)」となります。
 これらの単位のうち,恒河沙や阿僧祇といった言葉は仏教用語で,宇宙の無限さや悟りの境地を表現するために使われていたとされています。無限の広がりや時間を象徴するために,数え切れないほど大きな数を表す単語として用いられてきたのです。
 天皇の継承について,仮に,1人の天皇に4人の孫がいたとし,そのうち通常,皇位を継承する者は1人だとすると,皇位継承者の確率は4分の1になります。さらに,各世代で2人ずつ子どもを設け,その子どもたちがまた2人ずつ孫を生むと仮定します(実際には,皇室の婚姻は天皇一族や上級貴族に限られていたため,この仮定は現実とは異なりますが,あくまで数字上の話です)。この仮定のもとでは,第126代の時点で約983000の子孫が存在する計算になります。そして,その中で皇位を受ける者の確率は,98正3000澗分の1となります。
 つまり,126代にわたって男系で皇位が継承される確率は,奇跡という言葉では表現できず,もはや神の領域といえます。奇跡とは人間の力を超えた出来事ですが,誰かが成し遂げるから奇跡なのです。例えば年末ジャンボ宝くじの1等に当たる確率は「2000万分の1」と言われていますが,それでも誰かが当選するため「奇跡」の範疇に収まります。しかし,男系天皇が98正3000澗分の1という確率は,絶対に奇跡も起こらない数字であり,まさに神の領域なのです。先の女系天皇の議論は「神の領域」を「奇跡」にまで引き戻すことに繋がっていきます。

※ 数値の単位について
 1兆(1億の1万倍)→1京(1兆の1万倍)→1垓(1京の1万倍)→1秭(1垓の1万倍)→1穣(1秭の1万倍)→1溝(1穣の1万倍)→1澗(1溝の1万倍)→1正(1澗の1万倍)となります。
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