ねじめ正一のルーツ禰寝一族(その3)

禰寝氏初代~4代までの歴代当主の墓(佐多郡地区)

 薩陽武鑑によると,禰寝家の初代である清重は,平高清の長男とされています。高清は,平氏の勢力拡大と興隆の基礎を築いた平正盛(清盛の祖父)から数えて6代目にあたるため,『六代』と呼ばれていました。史実では高清を最後に平清盛の嫡流は完全に断絶したとされていますが,禰寝家系図では高清の長男が,禰寝初代清重という説を採っています。そして24代清香のときに「小松」に改姓しており,本流から禰寝の名は使われなくなったようです。

①平正盛-②忠盛-③清盛-④重盛-⑤維盛-⑥高清(六代) ➡ 清重(禰寝初代)

 南大隅町観光協会の案内板・町郷土誌によると,佐多郡地区には,鎌倉時代に南大隅を治めていた禰寝氏初代から第4代までの歴代当主の墓があります。1203年北条時政によって禰寝院を賜り下向したそうです。そこで建部清房の娘を娶り建部姓を名乗り,佐多高木城に入ったとされています。高木城城跡は,郡小学校跡近くの禰寝氏石塔群から登った山にあります。

 初代清重(沙彌行西,建部姓禰寝氏の祖)
 第2代清忠(右近大夫)
 第3代清綱 (彌二郎,清忠の弟)
 第4代は清規(彌二郎)

・郡地区の小・中学校記念碑

5代~16代の墓(根占川南地区)

 その後,5代から16代までの当主は,根占川南の富田城を拠点に移し,鎌倉期から室町後期までこの地を領有していました。太閤検地によって吉利に移封されると,この地は島津家の直轄地となりました。

・小松家の墓にある先祖供養塔(初代~15代)

 ⑤ 清治
 ⑥ 清保
 ⑦ 清成
 ⑧ 清有(清成の弟)
 ⑨ 久清
 ⑩ 清平
 ⑪ 元清
 ⑫ 重清(⑪元清の弟)
 ⑬ 尊重(忠清)
 ⑭ 重就
 ⑮ 清年
 ⑯ 重長
(「根占」の表記が一般化し,史料にも根占重長と記載されている)

17代~32代(日置市吉利地区)

 

 17代重張の代になり,秀吉の命を受け吉利に移封され長く統治していた根占の地を失いました。また,禰寝氏は18代重政まではその血統が続いていましたが,19代福寿丸は初代藩主・島津家久の子であり,その後は島津家から養子を迎えることになります。24代の清香は小松と改姓しており,19代以降の禰寝家は島津家の血筋が流れていることになります。 以下は禰寝・小松氏の歴代当主です。

⑰重張(重虎。史料では「根占七郎」としてよく登場。太閤検地(1596年)により吉利に移封)
⑱重政(重虎の子で,禰寝氏最後の領主。早逝し,重虎が後を継ぐ。以降,禰寝氏内で後継者が出せず,島津氏から養子を迎える~事実上,島津氏に乗っ取られた~)
⑲福寿丸(初代藩主・島津家久の子で,後に永吉島津家に転出)
⑳重永(福寿丸の異母弟)
㉑清雄
㉒清純(薩摩藩3代藩主・島津綱貴〈1650〜1704〉の子)
㉓清方
㉔小松清香(島津久春の子で,小松と改名。1714~1786)
㉕清宗
㉖(清香の実弟)
㉗清穆(島津久儔の子)
㉘清猷
㉙清廉(肝付兼善の子。幻の宰相「小松帯刀」
㉚清直(小松清廉・琴仙子の子)
㉛帯刀(伯爵)
㉜重春(庶子で㉛帯刀の弟)
 この系譜によると,禰寝氏の血統は18代までで途絶え,その後は島津家の血筋に変わっていることになります。喜入肝付家をはじめ薩摩の他の有力一族の本家も名前だけで同じ傾向があります。

・日置市吉利の園林寺跡

小松帯刀の第二婦人・お琴

・小松家墓地のお琴の墓

 琴仙子(三木琴)は,祇園の名妓として名を馳せた後,小松帯刀の第二夫人としてその生涯を捧げた女性です。大河ドラマ『篤姫』では原田夏希さんがお琴を演じ,病に苦しむ帯刀を献身的に支えながら共に困難を乗り越える姿が印象的でした。

 帯刀の死後,お琴は五代友厚の大阪の大邸宅の片隅の一間で,長女スミを育てながら暮らしました。五代は大阪外国局時代に帯刀の部下として活躍し,のちに大阪商法会議所の初代会頭として大阪の実業界で大成功を収めていました。お琴は帯刀の最期を看取った4年後,「帯刀の傍に埋めてほしい」と五代に遺言を残し,26歳の若さで亡くなりました。彼女の墓は大阪天王寺夕陽丘に帯刀の墓と並んで建てられました。なお,30代当主の清直と長女スミは,小松帯刀とお琴の子どもです。

 その後,明治9年に帯刀の遺骨が吉利の小松家歴代墓所に改葬される際,お琴の墓も共に移されました。現在,彼女の墓は吉利の園林寺にある小松家の墓地にあり,「安養院証妙大姉 明治7年8月27日死亡」と刻まれています。

 小松帯刀伝によると,帯刀が京から薩摩への向かうとき別れを惜しんで詠んだ和歌があります。「鳴渡る 雁の涙も 別れ路の 袂にかかる 心地こそすれ」,「よもすがら うぢの川風 みにしみて 共にききしや 思出づらむ」(小松観瀾)その返し歌のお琴と八田の歌が,「うちいづる 今日の名残りを 思いつつ さつまの海も 浅しとやせん」(琴仙子)。「立つ雁の 声きくだにも 悲しきを いかにせよとか 君はゆくらむ」(桃田八田)

※ 帯刀は八田知紀(桃田)に和歌を習い,その号が「小松観瀾」なのだそうです。琴仙子も和歌の道にも通じており,この歌も帯刀への強い思いがよく伝わってきますね。

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