「成せば成る大願成就の日本一の大鈴」で知られる出水市の箱崎八幡神社は,古くから殖産興業の祖神として崇敬されています。また,学問や芸術,家内安全,交通安全など,多岐にご利益があるようです。
箱崎八幡神社の由緒
神社の由緒について,神社案内板によれば,島津家初代の忠久公が初めて鎌倉から山門院野田へ下向する際,福岡博多沖で暴風に遭い,船が難破しそうになりました。筥崎宮(福岡県)に祈願したところ,難を逃れ,無事に山門院荘之浦に到着できたため,当社を勧請したと伝えられています。
また,一説によると,1281年の元寇の際に,本家島津氏の命を受け,薩州家3代目の島津久経公が箱崎の津で出陣し,筥崎宮に参拝して異賊討滅を祈願されました。その結果,顕著な功績を上げたため,八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し,出水郷および吉松郷の二ヶ所に勧請し,国境の守護神として崇敬されるようになったとも伝えられています。忠久公は薩摩に下向していないため,この説が有力とされています。
1563年に出水の薩州島津家6代目の義虎公が再興しましたが,7代忠辰の不手際から秀吉により出水は改易され,天領(1593~1599)となりました。箱崎八幡もその時破壊されました。その後,1599年に義弘公の朝鮮出兵(泗川の戦い)での功績により出水が復され(家康ら五大老),18代藩主家久公により再興され,現在に至っています。
箱崎八幡神社の鳩
・ポーズをとってくれた二羽の白い鳩
昨年出水の箱崎八幡神社に参詣した際,境内には神の使いである鳩の小屋がありました。私が近くに寄ると,鳩たちは懐いていて,餌をもらえると思ったのかすぐに近寄ってきました。その姿がとても可愛らしく,ほっこりしていたのですが,ふと気づいて驚きました。なんと,その白い二羽の鳩が,八幡神社の神紋と同じポーズをしているではありませんか!
宇佐八幡宮と石清水八幡宮
伝説によると,平安時代,清和天皇が宇佐八幡宮から石清水八幡宮へ八幡神が勧請された際,白い鳩が道案内をしたとされ,それ以来,八幡宮の鳩は「神様の使い」「八幡神の化身」として大切にされてきたそうです。まさに神秘的な瞬間を感じた私は,鳩が神様の使いならば,もしかしたら幸運を運んでくれるかもと思い,さっそく帰り道に宝くじを買いに行きました。
・宇佐八幡宮
・京都石清水八幡宮と鳩の神紋
八幡信仰への清麻呂の貢献
神社の境内に立つと,霊験あらたかな雰囲気を強く感じます。特に八幡系の神社では何故かそう感じるのです。今回,初めて石清水八幡宮を訪れましたが,九州の宇佐八幡宮や箱崎八幡宮,県内外の主な八幡系の神社には何度も足を運んでいます。
京の石清水八幡宮の歴史は859年,清和天皇が改めて和気清麻呂の名誉を回復し,彼の氏寺に社殿を建立したことに始まります。和気清麻呂は,宇佐八幡宮の神託を伝え,道鏡が天皇の座を狙った陰謀を阻止したことで広く知られています。また,大隅国へ流刑にされても信念を貫き,後に名誉を回復しました。彼の天皇家への功績は言うまでもありませんが,八幡信仰の歴史において重要な位置を占めています。事実,京都に石清水八幡宮が創建されて以降,八幡信仰は全国区になったのです。
そこで,今回は,和気清麻呂について投稿したいと思います。
日本三大八幡「宇佐・石清水・箱崎」
・福岡の箱崎八幡
道鏡の神託事件
・ 道鏡と神託事件「皇統護持御託宣の地」大尾山
奈良時代,宇佐八幡宮は朝廷との結びつきを深め,八幡神のお告げは絶大な影響力を持っていました。当時,僧・道鏡は太政大臣や法王にまで昇進し,天皇と同等の待遇を受けるほどの地位にまで登り詰めていました。彼はさらに,八幡神の神託を利用して天皇の位に就こうと画策しました。その役目を,家臣にしようとしていた和気清麻呂にさせました。
清麻呂は宇佐へ赴き,八幡神が一時遷座していた大尾山に登りました。そこで神託を待つと,「この国では,臣下が君主となることはこれまで一度もなかった。天皇の位には必ず皇統の者を据えよ」という神の声があったと言うのです。この神託により,清麻呂は道鏡の望みを退けることとなったのです。当然,清麻呂は道鏡の怒りをかい,大隅国へ流配され命さえも狙われてしまいます。
・ 皇統護持御託宣の地 大尾山
道鏡事件で大隅国へ流された清麻呂
宇佐八幡宮は「皇統護持御託宣」の地としても知られています。ここでの道鏡事件で迫害を受け,和気清麻呂が流された地が牧園町の和気神社近くであったそうです。
藤の花で知られる和気神社は,1200年以上前の奈良時代,和気清麻呂が都を追われた後,再び召還されるまでの日々を過ごした場所と伝えられています。和気清麻呂は,国家の正義を守るため,769年の道鏡事件で霧島牧園犬飼の地に流罪となりました。この事件は,称徳天皇(女性)の寵愛を受けた太政大臣禅師の道鏡が,宇佐八幡宮の神託を利用して天皇位を狙おうとしたものです。この件は後々皇位継承や権力にある者の教訓となっていきました。
・和気神社と藤の花