廃藩置県「都城県の設立と県境の確定」

霊峰・高千穂峰

 高千穂峰は,宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島連山の中でも特に秀麗な山です。また,山頂は天孫降臨の神話とも深く関わり,「天皇を中心とする国家」にと,明治政府の薩摩役人が神代三山陵とこの山に強いこだわりを持っていたという話を聞いたことがあります。私は長い間,霧島山系の韓国岳と高千穂峰が丁度県境になると学校で教えられてきた記憶があります。しかし,国土地理院の地図で確認すると,高千穂峰山頂は宮崎県高原町にあたり,韓国岳も山頂に県境はかかっていません。

 この理由の一つとして,高千穂峰山頂が霧島東神社(西諸県郡高原町)の飛び地であることが挙げられます。飛び地が存在する背景には,地理的・経済的・歴史的な要因があることも理解できますが,直接的な要因は明治の廃藩置県「都城県の設置」にさかのぼると考えられます。

富士山の県境

 一方,富士山は日本の象徴ともいえる山ですが,その山頂はどの県にも属さず,8合目より上は富士山本宮浅間大社の私有地(静岡県富士宮市)となっています。私有地であっても通常,県境は存在しますが,富士山の場合,山頂を巡る県境の決定は複雑な歴史を持っています。廃藩置県でも山梨県と静岡県の間で所有権争いが起こり,両県とも譲らなかったため,最終的には県境を明確にしないという結論に至ったそうです。仮に富士山山頂が幕府の天領だったとしても東京都の飛び地にはならないはずです。

・甑岳から望む韓国岳と煙を吐く硫黄岳と遠くの桜島

 ここで高千穂峰に話を戻すと,この山頂も宮崎県と鹿児島県の両県民にとっても重要な存在です。それにもかかわらず,なぜ富士山のように,両県の境として位置づけた富士山形式や天の逆鉾(さかほこ)を県境に出来なかったのでしょうか。ましてや当時は薩摩出身者が力を持っていた時期でした。

 また,7月5日号の「③県境の確定」で紹介した御鉢まで不自然に伸びた県境については,その経緯を郷土誌や案内板等に明示しておくべきだと思うのです。おそらく,霧島神宮古宮址は,1234年の大噴火まで鎮座していた霧島神社のあった地で,現在は霧島神宮の飛び地境内になっている私有地であることが要因なのでしょうか。しかし県境は地形に沿って確定し,古宮址はあくまでも飛び地でも良かったはずです。

 明治初期の神代三山陵「高屋・可愛・吾平」の治定(落着)にあれだけ拘った薩摩役人であれば,天孫降臨神話の地,高千穂峰にも強い拘りがあったはずです。天照大神の孫のニニギノミコトが,高天原から筑紫日向の襲の高千穂峰へあまくだった重要な「天孫降臨」の地なのです。何故富士山の如く丸く収められなかったのでしょうか疑問が残ります。(あくまでも鹿児島県民の立場ですが…) 

三角点の住所から

・甑岳山頂三角点 1301.4m 場所「宮崎県えびの市」

 霧島連山最高峰の「韓国岳」は,宮崎県えびの市,小林市,鹿児島県霧島市にまたがる霧島山の最高峰で標高は1,700mです。1700メートル地点は小林市とえびの市にあたり,三角点の住所は宮崎県えびの市で,鹿児島県境は若干ずれて頂上地点は入っていません。

 ① 韓国岳山頂三角点 高さ:1700.1m 場所「宮崎県えびの市」

 ② 高千穂峰山頂三角点 標高:1573.4m 場所「宮崎高原町」

鹿児島県の本土最高標高は1688m?

 「何でそんなに細かいことを」と言われるかもしれませんが,下記の国土地理院地図を見る限り,市境と県境(赤線)が入り込んで引かれており,地図上では鹿児島県本土の最高標高地点が1688mに当たります。最高地点を示す三角点も宮崎県えびの市に位置しています。韓国岳の山頂からえびの市側は火口域に落ち込んでいるため,地形上の最高地点は鹿児島県側にあるのが自然に思えます。この三角地点の決定の経緯について調べましたが,資料を見つけられませんでした。

 富士山の標高3,776m三角地点をめぐって静岡と山梨両県がこだわったのが「日本一の標高」なのです。鹿児島県の各種資料には本土最高標高は韓国岳山頂の1,700mと記されていますが,何らかの協議が鹿児島県と宮崎県の間であったのでしょうか?

 また,神社由来書によると,「霧島六社権現」について霧島連山そのものが御神体とされる「霧島御山信仰」に基づき,霊山として修験者たちが修行する神聖な地とされていたそうです。当時の霧島連山は火山活動が非常に活発で,恐山のように畏怖と信仰の対象となっていたのです。霧島六社権現は高千穂峰を囲むように位置し,それぞれの登山口に鎮座しています。これらの神社では,霊山信仰において穢れを祓い,山の神の怒りを鎮め,火山の噴火を防ぐために祈りが捧げられていたそうです。

 

鹿児島・宮崎における廃藩置県と県境確定の経緯

① 明治4年7月14日,廃藩置県が断行され,全国に3府302県が設置【➊高千穂峰は鹿児島県
② 同年11月14日,美々津県と都城県が設置される。【❷高千穂峰は都城県
③ 明治5年5月15日,姶良郡,菱刈郡,栗野郷,横川郷が都城県から鹿児島県に移管 【❸高千穂峰は鹿児島県
④ 明治6年1月15日,初めての宮崎県が設置される(3府60県体制)。【❹高千穂峰宮崎県
※ 江戸時代の日向国(現在の宮崎県)は,延岡藩(内藤氏),高鍋藩(秋月氏),佐土原藩(島津氏),飫肥藩(伊東氏),鹿児島藩(島津氏),人吉藩(米良山・椎葉山),および天領に分割されていた。各藩が小規模に分立していた状態であったが,宮崎県の設立により,初めて全域が一つの行政区として統轄されることとなった。  
⑤ 明治9年8月21日,初期の宮崎県が廃止され,鹿児島県に併合(3府35県)【❺高千穂峰は鹿児島県】  
⑥ 明治10年1月29日から9月24日,西南戦争が勃発  
⑦ 明治16年5月9日,分県運動の成果として,宮崎県が再び設置される。(3府47県)【❻高千穂峰は宮崎県

 都城県は,明治4年11月14日~明治6年1月15日までの1年2ヶ月で都城県は廃止され,宮崎県の発足と同時に宮崎県に,大隅国は鹿児島県に移管されました。

・江戸期の薩摩藩から薩摩半島を切り離し,霧島市や鹿屋市,桜島も都城県でした。

・キジのような甑岳赤松林の倒木

霧島神宮のホームページから

 霧島神宮は天照大神から「瑞穂の国を皇統が治めれば未来永劫続くであろう」との御神勅を受け,主祭神として天孫降臨を果たした瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を祀っています。瓊瓊杵尊は三種の神器と稲穂を携え,霊峰・高千穂峰に天降り,天皇が統治し永続する国家を築かれたとされています。この高千穂峰は霧島神宮の背後にそびえ立ち,頂上には瓊瓊杵尊が刺したとされる「天の逆鉾」があります。
 高千穂峰を含む一帯は,かつて「日向の襲(そ)の高千穂」として古事記や日本書紀に記されている場所で,当時は日向国の一部に属していました。713年(和銅6年),日向国の一部である①肝坏(きもつき),②贈於(そお),③大隅,④姶良の四郡が分離され,大隅国が誕生していますので,当時の日向国はこの四郡も含まれていました。この四郡は廃藩置県のとき鹿児島県の半分が含まれていた都城県に相当します。
 なお,702年(大宝2年)に薩摩国が設置され,13郡を擁し,国衙(こくが)は非隼人の地である高城郡(薩摩川内市)に置かれました。
 霧島神宮は,明治期の神仏分離令が発令されるまでは「西御在所霧島権現」と呼ばれ,霧島山を中心とする修験道の霧島六所権現信仰の中心地としての役割を果たしていました。本来,霧島山一帯が神宮の境内であったものの,明治4年の廃藩置県に伴い,霧島山の頂上に沿って県境が引かれ,宮崎県内の部分は神宮の境内から外されました。さらに,明治15年には神宮の境内面積が7,810ヘクタール削減されたそうです。

・高千穂峰

タイトルとURLをコピーしました