前回のブログ「北原白秋(この道)」では,「五足の靴」のメンバーが北原白秋の生家に宿泊し,銘酒「潮」を酌み交わしながら歌集について語り合ったことをご紹介しました。今回はその集まりの主催者である与謝野鉄幹とその妻・与謝野晶子について投稿します。
明治41年11月,文学雑誌「明星」が廃刊になった後,「五足の靴」のメンバーたちは与謝野夫婦と共に活動を続け,明治42年1月には文芸誌「スバル」が創刊されました。「スバル」の主なメンバーは,五足の靴のメンバーに加え,与謝野晶子,石川啄木,高村光太郎などが名を連ね,これにより与謝野鉄幹・晶子夫妻は文学界でその名声を一気に高めました。
・与謝野晶子夫妻(国書データベース)
山本實彦とは
・山本実彦(明治18~昭和27)まごごろ館
ところで,鹿児島県内には与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌碑が多く残されています。これは,薩摩川内市出身で雑誌「改造社」を創設した実業家・山本實彦と与謝野晶子夫妻との親交により実現したものです。また鉄幹の父は明治14年に本願寺別院の加治木説教所(現性応寺)の僧侶として赴任しており,9歳の鉄幹も約1年間を加治木で過ごしています。そのため,鹿児島の地は鉄幹にとって「第二の故郷」とも言える場所でした。
昭和4年7月から8月にかけて,与謝野夫婦は山本實彦の招きで鹿児島を訪問し,霧島や指宿,市比野などの景勝地や温泉を巡り,川内高校などで講演会も開催しています。晶子はこの旅で350首近くの歌を詠み,その作品は歌集『霧島の歌』で発表され県内各地の歌碑になって残っています。
なお,川内まごごろ館のホームページによると,山本實彦は政治家(衆議院議員)・東京毎日新聞社社長であり,雑誌「改造社」を創設して数々の新人作家を輩出しました。また,アインシュタインを招聘したことでも知られ,林芙美子,里見弴,志賀直哉などが寄稿する「改造」を通じて,戦前日本の文学界に大きな影響を与えた人物であるそうです。
与謝野寛・晶子共著歌集【霧島の歌】
「霧島の歌」の巻頭言
※ 原文を現代語に訳したものです。
九州を再び訪れることはないと思っていましたが,熊本より南には行ったことがありませんでした。鹿児島出身の友人,山本實彦さんは会うたびに鹿児島の名所について話し,特に自分の故郷である紫尾山麓に広がる川内川の美しさを誇らしげに話していました。また,私たち夫妻の弟子で明星派作家の白仁秋津や,串木野出身の歌人である萬造寺齊たちが,日向,大隅,薩摩を旅して詠んだ歌には優れた作品が多く,山本さんからも霧島,錦江湾,佐多岬,開聞岳,指宿,そして西南の海岸一帯を訪れることを勧められていました。私の夫も小学生時代を鹿児島と加治木で過ごし,第二の故郷と呼ぶほど親しんでおり,40年来の夢でもあったため,機会があれば鹿児島を訪れたいと常々話していました。 さらに山本さんは最近我らのために何かと細やかにしてくださり,また私たちの気持ちを知って,自ら案内役を引き受け故郷鹿児島の景勝の地を訪れようと今年の夏に計画してくださいました。山本氏は計画に時間を割き,私たちを誘ってくださいました。ここに半月の期間,まだ人々が余り訪れない県境の神々の聖地を拝む建国の史蹟を尋ねて柿本人麻呂,山部赤人,山上憶良,在原業平,小野小町,紀貫之,和泉式部,西行法師,松尾芭蕉,与謝蕪村等の詩心が生まれるような山紫水明の美しい景色に浸る喜びがあるのは生涯の幸せです。 「霧島の歌」は,この旅行中で詠んだ二人の歌を歌集としてまとめたものです。題は霧島ですが,歌は県内各地に及んでいます。また,この歌集が刊行できましたのは,山本氏のお情けであります。 ・ 昭和4年12月 輿謝野晶子 |
・「霧嶋の歌」 與謝野寛・晶子 共著
(其1) 與謝野 寛(260首)
(其2) 與謝野晶子(349首)
全234頁(計609首)
県内の歌碑
夫妻は,城山や磯庭園,高千穂,えびの高原,池田湖,開聞岳,指宿温泉,可愛山陵といった観光名所に加え,加治木,入来,宮之城,頴娃,阿久根,出水など県内の多くの景勝地を訪れ,作品を残しました。
なお,与謝野寛が通った小学校は,父が務めた寺院がある鹿児島市立名山小学校および姶良市立柁城小学校です。
① 霧島温泉
「明ばんの湯のきよらかなり 帝王の翡翠の床と 比べて思う(晶子)」
「大きなる 霧島山の抱く空に のこりて白し ありあけの月(鉄幹)」
※ 硫黄谷温泉 霧島ホテルの露店風呂にこの歌が掲げてあります。
・ 駕籠の女性が晶子,左端の男性が山本實彦(霧島ホテル展示より)
・霧島山中の明礬温泉
「女湯に 溪(谷)をのぞくは あらずして 男の顔の 並べる月夜(晶子)」
「霧島の 白鳥の山 しら雲を つばさとすれば 地を捨てぬかな(晶子)」
② 樋脇町市比野にある歌碑
「水鳴れば 谷かと思ひ 遠き灯の 見ゆれば原と 思ふ湯場の夜(晶子)」
③ 川内川
「ほのぼのと 川内川の夕映えの ばら色をして めぐりたる船(鉄幹)」
「月光に比すべき 川の流るるや 薩摩の国の 川内郷に(晶子)」
・西開聞都市緑地公園(川内川・隈之城川)
④ 向田公園
「われ乗りて 西湖の船に 擬するなり それより勝る 大川にして(晶子)」
「可愛の山の 樟の大樹の幹半ば うつろとなれど 広き陰かな(鉄幹)」
このような歌を日に3~40首作る二人の才能はすごいの一言ですね。景色を見た瞬間,感動が言葉になっていくのでしょうか。この他,頴娃町の⑤瀬平海岸,阿久根市の⑥戸柱公園などにもありますのでまた紹介いたします。