緯度経度地図による韓国岳と富士山

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韓国岳の緯度経度と標高

1 はじめに

 これまで私は,鹿児島県の最高峰は屋久島の宮之浦岳(1,936m)で,本土の最高標高は鹿児島と宮崎両県の県境にある韓国岳(1,700m)と学校で教わってきました。そして,教員になってからも子どもたちに同じように教えてきました。しかし,正確には最高地点から約20m下った地点が県境となり,その標高は1,689mなのです。現在では,国土地理院地図や緯度経度地図を利用すれば,誰でも簡単に調べることができます。だからこそ,正確な情報を子どもたちに教える必要があるのです。

2 韓国岳の緯度経度と標高

 韓国岳山頂1700・1mは宮崎県のえびの市と小林市に位置しています。霧島市の最高地点(鹿児島県の本土最高標高)は1689mです。韓国岳山頂座標と霧島市の最高地点座標は次のようになります。

 ① 韓国岳最高標高「1700m」は, 

 北緯「31.934114」, 東経「130.861456」

 ② 霧島市最高地点「1689m」は, 

 北緯「31.933968」, 東経「130.861316」

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・ 国土地理院の緯度経度地図より

 緯度経度地図の「」記号を合わせると,その地点の緯度と経度,都道府県,市町村名が表示されます。この地図と国土地理院地図を活用すれば,県境の位置と標高まで調べることが出来ます。

富士山の未画定県境

 富士山山頂には,国土地理院の地図上でも山頂から小富士までは直線で5.5kmは未画定部分として県境が描かれていません。また,富士山の剣ヶ峯(標高3,776m)は静岡県と山梨県の両方の最高峰として,仲良く日本一の高さを共有しています。

 しかし,霧島山の韓国岳(山頂は宮崎県)と同じように住所表示上は,山頂付近の四角形内の朱色の点線部分が県境で最高標高の剣ケ峯は静岡県になっているようです。国土地理院の「緯度経度地図」を利用すると,座標や都道府県,市町村名を調べることができます。そこから導き出したものが次の富士山の未画定県境です。

 これによれば,日本最高峰の剣ヶ峯(標高3,776m)は静岡県富士宮市に属し,その座標は北緯35.360776度,東経138.727299度です。一方で,山梨県側の最高峰は標高3,756mの白山岳になるようです。あくまで「緯度経度地図」から算出したものです。

・青四角内の点線が地図から導き出した県境になります。

両県民が丸くおさまる解決策は…

 富士山の県境問題は古くから存在し,明治以降も静岡県と山梨県の間で主張や協議が繰り返されてきましたが,未だに結論には至らず棚上げ状態が続いています。緯度経度地図で確認すると,山頂の住所を含む地図上の県境を確認することができ,剣ケ峯や富士山気象観測所は静岡県側に位置していることが分かります。

 全国には富士山以外にも未画定箇所があるそうです。まったく素人考えで申し訳ございませんが,例えば,あと数百メートルずらし県境を引けば,富士山の最高峰である剣ケ峯(3776m)を通り,火口を二分する形で県境ができ,静岡県と山梨県の両方が「日本一高い山・富士山」を共有できると思うのです。

 国は何故この問題に明確な結論を出してこなかったのでしょうか。藩政時代から現代に至るまでに寺社の所有権や分水嶺をめぐる論争や判例等もあり法的に難しかったことは理解できます。富士山が日本の象徴であることを考えると,国が主導して両県に公平な県境を定めることは地域主権の面からも難しいのでしょう。だからこそ,両県民が丸くおさまる解決策として剣ケ峯を通る県境は出来なかったのでしょうか。 

「盛んに議論された道州制と市町村大合併は…」

 もともと県境は,藩政時代の藩を引き継ぎ,明治期の廃藩置県によって形作られたものが大きいのです。この改革により,約300あった藩が廃止され,統合や分割,飛び地の整理などを経て,現在の47都道府県に再編されました。

 最近はすっかり聞かなくなりましたが,地方分権や東京一極集中といった議論の中で「道州制導入」が話題になったことを思い出します。もし道州制が導入されれば,県境の問題はある程度整理されるかもしれません。現在,交通手段や高速道路網が発達し,住民サービスも他国と比べて非常に行き届いています。しかし,財政のひっ迫が大きな課題であることも否めず,行政区域が多すぎる小さな国では,行政区域のスリム化が求められているようです。

 明治期には7万以上あった市町村が昭和の大合併で20分の1となり,さらに平成の大合併で約1,700にまで減りました。このように,日本の行政は新たな時代へと移行しています。勿論,経済効率だけでは語れない小さな自治体ならではの良さも多々あります。

「効率化と行政枠組みの在り方」

 私が新採の勤務校は,小さな町の小規模校でした。町長宅で親睦会が開かれたり,教育長の家でマージャンをしたりと,今では考えられないほどアットホームな行政環境でした。自ずと学校教育も地域と密接に結びついており,運動会の種目を決める際には体育主任として地域の公民館役員の家を一軒一軒訪ね,参加チームを募ったものです(そこでも飲ん方があり,中々先に進みませんでした)。小さな学校ならではのエピソードですが,当時はそれが当たり前と先輩から教えられ,苦に感じることもありませんでした。しかし,現在では不審者対策等から地域住民が子どもたちに気軽に挨拶をすることや学校と地域との交流など難しくなっています。

 先の県境の問題なども時代の変化に伴い,行政的・経済的な事情を考慮する必要があります。これまで以上近隣県が協力して観光資源を活用することが求められる時代となり,新たな試みが必要になってきたようです。新しいことを始めれば新たな争点が生じるため,多くの場合,現状維持が「丸く収める」方法として選ばれているのでしょう。

・ 島津義弘以降の歴代藩主がこだわった高千穂峰山頂。天ノ逆鉾は島津重豪が新しく造らせたとの説もあるそうです。その住所は宮崎県西諸懸郡高原町で,鹿児島県霧島市の境界まで直線で500mの距離があります。

・ 高千穂峰と御鉢の市町村境界図

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