★郡山町誌の「地形と地質」
・昭和4年に京都大学の松山基範博士が兵庫県の玄武洞の岩石の残留磁化を測定し、地球磁場の反転説を世界で初めて唱えたことが,ブラタモリで紹介されていました。同じく昭和58年発行の郡山町誌に花野火砕流による地磁気逆転についての記載があります。 また,鹿児島大学理学部地学教室のホームページによると,「郡山町の八重山は鹿児島では珍しい玄武岩の溶岩からなる台地であり、花尾校区の地層には、花野火砕流堆積物(185万年前)をはじめ下門火砕流堆積物(56万年前)、加久藤火砕流堆積物(33万年前)、阿多火砕流堆積物(11万年前)などがのり、最後に入戸火砕流堆積物(2.5万年前)のシラスが全域を広く覆っている」とあります。 |
(1) 「花尾小学校近くの道路沿いや川田川の河床には、黒色柱状で長さ2ミリ程の角閃石で特徴づけられる花野火砕流が点在しています。」昭和49年以降,鹿児島大学理学部の大木先生たちが調査した内容が郡山町誌に掲載されています。この火砕流は甲突川および支流域に点在する約100万年前のもので、磁場が現在と異なるマツヤマ逆磁極期に堆積したことが岩石の帯磁方向を測定して明らかになったというものです。
・ 黒色柱状で長さ2ミリ程の角閃石(ウィキペディア)
花野火砕流とは
(2) この町誌を読んだ花尾小学校の先生が学校前の川田川で子どもたちと方位磁針で調査し,河床の溶結凝灰岩群の中の黒く小さな角閃石を調べてみると地磁気が逆転したとの逸話を聞いたことがあります。最後の磁気逆転の時期は約77万年前で,その後は現在と同じ磁気です。つまり花野火砕流がそれ以前のものであるので,現在とは逆転した磁気(N極とS極)が記憶されていると言うものです。
(3) しかし,その後にも加久藤火砕流(30万年前)や阿多火砕流(10万年前),入戸火砕流(2万5千年前)などが郡山の地にも堆積して,花野火砕流を覆いかぶせているはずなのです。(花尾小学校のすぐ近くに入戸火砕流によるシラス崖があります。)
(4) 花野火砕流が,河床域に点在しているということは,川田川の流れが急峻でその後に堆積された火砕流を水勢で洗い流したと言うことなのでしょうか。確かに甲突川の支流は急峻で流れが速く,伊敷の肥田橋近くで流れが穏やかになります。その流れの勢いを生かした石井手用水の取水口が設置された場所と花野火砕流の河川域が重なります。この火砕流が噴出した火口の場所はわかっていないそうですが,甲突川流域と花尾や八重山の方向から火砕流の広がりから考えると,桜島より南側の錦江湾内ではないのでしょうか。
・昭和期の取水口跡
・長さ40m,高さ2m,水深1.5mの井堰
・鶴田選手が練習した「流れるプール」
・石井手用水の井堰跡(8.6水害で壊れる)
・ 鹿児島大学理学部地学教室のホームページ「かだいおうち」から甲突川沿いの花野火砕流の河床域を参考にしました。
・花野団地入口と花野川の合流地点
・河頭の発電所手前の甲突川
・花尾小横の川田川の結凝灰岩群
・川田川の結凝灰岩群(花野火砕流)
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