三国名勝図絵に描かれた「猫嶽眺望(川内市)」

 薩摩川内市の福昌寺は,石屋真遼(1345~1423)によって開かれた寺院で,何度か訪れています。曹洞宗の寺院には,他宗派とは異なる独特の雰囲気があり,不思議な魅力を感じます。今回訪れたのは,石屋真遼の母方のルーツの一つ日置の阿多氏を調べていたからです。

 阿多氏の祖先が起こした「隼人の乱」を鎮圧した大伴旅人。その息子家持が薩摩守として川内の地に赴いたとことが史実であれば,何か歴史の醍醐味に通じる不思議な巡り合わせを感じるのです。

 川内市福昌寺の説明板によりますと,玉龍山福昌寺は,歴代島津家の菩提寺として,現在の玉龍高校の敷地から山手側にあった曹洞宗の寺院です。当ブログでもたびたびご紹介しております石屋真梁禅師(1345~1423)により,1394年に開山したのです。

 しかし,明治の徹底した廃仏毀釈により難を逃れることができず廃寺となり,その後二度にわたって再建が試みられましたが,実現には至りませんでした。これを受け,明治31年に京都から第72世の宝亀観道和尚が派遣され,島津家ゆかりの時宗寺院・称名寺の跡地にようやく再建されたものです。この称名寺も「猫嶽眺望」の右上にも描かれております。

 また,先日訪問した際,お寺の関係者に丁寧に説明して頂きました。それによりますと,福昌寺の歴代住職のお墓は鹿児島の福昌寺にあり,例年,墓掃除に出向かれているとのことです。由緒ある寺院が,今もなお多くの人の手によって大切に守り伝えられているのですね。

・三国名勝図絵「猫嶽眺望」

・この「猫嶽眺望」には,一本柊・平佐城・称名寺・神亀山・泰平寺・御行館・二王門・櫛匣岡・清水・志那尾・安養寺・猫嶽などが描かれています。

・ グーグルアースより「猫嶽眺望」の場所

・平佐城跡と白羽火雷神社 

 川内市は秀吉との和解が成立した場所で,関連する施設が多いことが知られています。この白羽火雷神社もその一つです。島津攻めで戦火に逢い焼失しました。「水の神」「酒の神」火の神「安産の神」で白い羽根をつけた矢に化けて玉依姫を射止めたとあり「白羽大明神」と言います。

・ 川内市の宮里浄化センターを挟んで東西に位置する岡が,安養寺城と猫嶽城跡になります。これらの城は,1587年の豊臣秀吉による九州平定の際,川内攻略のために築かれたとされています。

・秀吉軍の攻略地図

 秀吉の九州攻めで,先鋒を務めた小西行長や九鬼嘉隆らが水軍を率いて川内に上陸し,平佐城を攻めるために築いたのが安養寺城です。また,その近くの山岳や猪子岳にも同時期に陣城が築かれました。

 1587年4月28日,桂忠昉(ただあきら)が立てこもる平佐城に攻撃をかけ,翌日には開城します。秀吉の本陣・泰平寺で義久が降伏すると薩摩一国が安堵されました。天下の秀吉たちと関わった所ですが,今では川内市民からも忘れられていることが残念です。

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