学校よもやま話~雑感(16) 学校教育指導方法改善(2)「三人寄れば文殊の知恵」~グループ活動の充実《R6》2月7号 ・ 指導方法の改善について 新採の頃,自分自身の授業に不安を感じ,先輩教師から助言を受けながら授業方法を改善していきました。まず,「板書の工夫」や「子どもたちの学び方」に焦点を当て,漠然と「学習の仕方」を教えるのではなく,「自ら考える学... 2024.02.19 学校よもやま話~雑感(16)教育(15)
離島(奄美)の歴史(15) 徳之島の歴史「亀徳の秋津神社」《R6》2月6号 琉球支配時代に王国が派遣した初代首里之衆から4代佐武良兼掟まで 亀徳港の近くの高台には秋津神社があります。もともと,1562年に琉球王国から派遣された役人(首里之衆)でこの神社の近くに住んで徳之島の政治を行っていました。その後の琉球支配時... 2024.02.17 離島(奄美)の歴史(15)
学校よもやま話~雑感(16) 教育「指導方法改善(国語科)」子どもたちの作文《R6》2月5号 今から30年ほど前,県作文コンクールの審査員をしていた時の話です。県内から地区審査を経た多くの優秀な作品が集まるので学年別に分かれて審査します。低学年の作品には楽しい内容が多く,学級担任の先生方の丁寧な指導が伝わってきます。 高学年の作品... 2024.02.14 学校よもやま話~雑感(16)教育(15)
想い出(16) 「メイド・イン・ジャパン」について《R6》2月4号 学生時代はまったブリティッシュ・ロック 学生時代,私はブリティッシュ・ロック,特にプログレッシブ・ロックに夢中になっていました。当時,先進的で前衛的な音楽ジャンルとしてシンセサイザーなどを駆使したサウンドが流行しており,その中でもピンク・フ... 2024.02.13 想い出(16)
学校よもやま話~雑感(16) 学校よもやま話~雑感その1「宿直」《R6》2月3号 今の校舎は児童数減少に伴い,空き教室を活用した更衣室や学年室などがあり,先生方の休憩場所として利用されています。児童数が多かった昭和30~40年代は空き教室が殆ど無く,唯一用務員室(主事室)が憩いの場で,職員同士の団らんの場でもありました... 2024.02.13 学校よもやま話~雑感(16)
離島(奄美)の歴史(15) 鹿浦小学校 旧奉安殿《R6》2月2号 奉安殿とは,戦前から戦時中にかけて,天皇・皇后両陛下の御真影(写真)と教育勅語を納めていた建物です。建国記念日などの祝賀式典の際には,講堂に移され、職員,生徒全員で御真影に対する最敬礼と校長による教育勅語の奉読が行われていました。また,登... 2024.02.13 離島(奄美)の歴史(15)
離島(奄美)の歴史(15) 徳之島の歴史「秋徳湊の戦い」《R6》2月1号 薩摩による奄美・徳之島・琉球侵攻図「最大の激戦地 秋徳湊の戦い」 島津氏にとって琉球国を通した中国貿易による利益は重要でした。秀吉の朝鮮出兵により中国との関係は最悪で,唯一琉球との関係だけが続いていました。そこで慶長14年(1609)に琉球... 2024.02.03 離島(奄美)の歴史(15)
地名散策(15) 幸加木川上流の木村探元の墓と六地蔵塔 木村探元の誕生地(平田)と墓(小野)・ 幸加木神社入口の探元の墓地 木村探元は,薩摩を代表する全国的に有名な絵師ですので詳細については割愛します。木村家は,小野町の高嘉木(幸加木)から興った家系で神社の入口に木村家代々の墓と探元のものが... 2024.01.31 地名散策(15)歴史・自然(78)石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)
歴史・自然(78) 意外と少ない薩摩の殉死につ《R6》1月8号 1 徳重神社の殉死の碑「義弘公の13人」 案内板には以下のように記されています。「元和5年(1619年)7月21日,義弘公(享年85)が没すると,その恩顧を受けた家臣たちが後を追って殉死しました。当時,薩摩藩では殉死が禁じられていましたが,... 2024.01.28 歴史・自然(78)
想い出(16) 蒲生出身の先輩のエピソード《R6》1月7号 蒲生町の先輩のエピソード 昭和50年代後半の頃の話です。職場の飲み会にほとんど参加しない蒲生出身の先輩がいました。私も何度か個人的に飲みに誘いましたが,いつも都合が悪いとの返事でした。 ある時,彼がしみじみと語った飲み会に行かない理由が衝撃... 2024.01.24 想い出(16)薩摩半島の歴史(42)