県外の歴史(15) 狭野(さの)神社 略記によると,戦前は宮崎神宮の別宮とされ,祭神は神武天皇とその妻吾平津姫を含む6柱の神々です。近くには神武天皇の誕生地とされる場所があり,かつてはそこに社殿があったそうです。しかし,霧島山の噴火によって炎上し,1610年に現在の場所に遷座さ... 2024.07.13 県外の歴史(15)神社仏閣(祭神・由緒)(12)
地名散策(15) 喜入地名散策【4】 喜入地区地形地図(海岸線)喜入地区の地形について,明治期の石碑に記された海難事故の碑文に,給食センター近くまで海が入り込んでいたことが記されています。図の青色のラインで示された当時の海岸線(海抜3~5mラインまで海中であった)を想定すると,... 2024.07.11 地名散策(15)歴史・自然(106)
地名散策(15) 喜入地名散策【3】 14 その他 喜入の地名・中字名山岳に多い喜入の地名喜入の地名や中字名を調査すると,中世の地名起源が多いことが分かります。ア 仏教・修験者に関わる地名 「権現山」「虚空蔵岡」「大神山」「座頭山」「地蔵山」などの地名があります。イ 浸食・崩壊... 2024.07.11 地名散策(15)歴史・自然(106)
地名散策(15) 喜入地名散策【2】 1 喜入 町名の喜入は,奈良期の給黎郡給黎郷の残留地名「きゅうれい」から「キイレ」と略音化したことが考えられます。もともと丘陵山裾の急傾斜地で,海岸に迫る台地端の崩壊地を意味する自然地名であったものを,縁起の良い瑞祥地名に替えたのではないで... 2024.07.11 地名散策(15)歴史・自然(106)
地名散策(15) 喜入地名散策【1】 給黎(喜入)の地名由来 喜入と言えばやはり昭和44年から操業した喜入石油基地操業であろう。学生の頃,大型タンカーが錦江湾に入ってくる姿を見るとその大きさに驚き,鹿児島県が世界と貿易をする場になったことに誇りを感じていました。喜入の歴史 喜入... 2024.07.11 地名散策(15)歴史・自然(106)
県外の歴史(15) 都城県の成立と県境 高原町の霞神社(白蛇様) 宮崎県高原町の極楽温泉や湯之元温泉の炭酸湯にはまっており,片道2時間ほどかけて毎月訪れています。周辺にはたくさんの神社や公園などの観光地があり,楽しいひとときを過ごせます。今回,霧島連山の周囲に点在する由緒ある霧島... 2024.07.05 県外の歴史(15)神社仏閣(祭神・由緒)(12)
歴史・自然(106) 沖縄が日本から独立?(その2) ウチナーグチ(琉球方言)を話すウチナンチュー(DNAゲノム解析で日本人)は,かつて琉球国を築いていました。琉球国が存在していた背景には,いくつかの歴史的・地理的要因があります。 まず,琉球国は中世まで黒潮で隔たれた南西諸島に位置しており,こ... 2024.06.22 歴史・自然(106)離島(奄美)の歴史(15)
歴史・自然(106) 沖縄が日本から独立?その1 琉球国って本当に独立国なの 沖縄について調べていると,「琉球国独立論」という驚くべき検索ワードが目に入ってきました。日本語を話す日本人が独立を求めるというのは違和感がありますが,これは地位協定を含め基地問題などに対する政府への不満から生じた... 2024.06.21 歴史・自然(106)離島(奄美)の歴史(15)
歴史・自然(106) 「犬田布義戦」について 犬田布騒動記念碑の案内板によると,1864年3月18日に農民たちによる騒動が起こりました。後に「騒動」ではなく,あくまでも正義のために戦ったとされ,地元では「犬田布義戦」と変更されました。時は明治維新の4年前で,国内的には封建社会から資本主... 2024.06.10 歴史・自然(106)離島(奄美)の歴史(15)
歴史・自然(106) 徳之島最初の医師 医師・佐喜間(さきま) 佐喜間(1650~1707)は,首里之主一統の第5代大宝山の長男として1650年に生まれました。1666年,16歳の時に徳之島奉行第24代・柏原弥太右衛門尉の任期終了に伴い鹿児島へ同行しました。そこで3年間城下に滞在... 2024.06.07 歴史・自然(106)離島(奄美)の歴史(15)