松ちゃん

教育(15)

鹿児島にもあった‼磁場逆転(方位磁針が南北逆転する)【R5】8月10号

★郡山町誌の「地形と地質」・昭和4年に京都大学の松山基範博士が兵庫県の玄武洞の岩石の残留磁化を測定し、地球磁場の反転説を世界で初めて唱えたことが,ブラタモリで紹介されていました。同じく昭和58年発行の郡山町誌に花野火砕流による地磁気逆転につ...
歴史・自然(78)

花尾橋から眺め【R5】8月9号

伊敷原良の化粧の水 田植えが近づくと、おはら節の一節「雨のふらんのに草牟田川(甲突川)濁る、伊敷原良の化粧の水」という一節を思い出します。花尾橋下からの眺めも同じように川田川の水が白く濁ります。郡山町は中世に満家院と呼ばれていました。花尾校...
薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(2)【R5】8月8号

・里見弴の短編小説「ひえもんとり」大正6年~抜粋~※ この里見の作品から「薩摩の冷もんとり」として全国に伝わっていきました。 昭和40年代,川内市の小学校教諭が地域の民話の一つとして取材を交え書き直していますので,一部表現や情景描写が原作と...
薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(1)【R5】8月7号

★ 今回は小説などによって語られる冷物取(ひえもんとり)について紹介します。①里見弴 ②司馬遼太郎 ③平田弘史作冷物取とは 江戸時代,薩摩の刑場で「死罪にする罪人を狩場(刑場)に放して,生きている罪人の肝臓を刃物を使わず食いちぎることを競技...
薩摩半島の歴史(42)

伴性頴娃氏(肝付一族)の内紛と衰退【R5】8月6号

はじめに  頴娃氏は平姓頴娃氏とそれ以後の伴姓頴娃氏とに分かれる。伴姓とは、平姓頴娃氏と区別するため言われるが、元々肝付氏が大伴氏流れを引く「伴一族」であることからその名がついた。  戦国時代に入り、室町幕府が弱体化すると、頴娃の地を含め藩...
薩摩半島の歴史(42)

◎能因歌枕に選定された名勝地・水成川(南九州市頴娃町)【R5】8月5号

  今から千年近く前の平安時代の中頃,小倉百人一首第69番「あらし吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の作者として有名な能因法師(橘永愷)が,頴娃の水成川にやってきました。 能因法師は全国を旅し,能因歌枕(和歌に詠まれる全国名勝地...
薩摩半島の歴史(42)

鎌倉期の平家の落人伝説~七郎山伝説~【R5】8月4号

 獅子島には壇の浦の戦いに敗れた平家武将にまつわる二つの「キジの伝説」が残っている。時を越えて,薩摩の藩政時代に敵方の英雄伝説として一部混同したものと考えられる。平家の落人伝説~七郎山伝説~ 源氏の追っ手が獅子島にも迫り,落ち武者の大将たち...
薩摩半島の歴史(42)

獅子島の伝説「獅子谷七郎と阿沙良姫」【R5】8月3号

◎ 戦国時代の天草は,「天草八人衆」という同族の武将たちが支配していた比較的平和な時代であった。九州各地の大名勢力が天草にも及んでくると獅子島では,獅子谷但馬守(七郎とは別)が志岐氏と同盟関係を持ち,隣の大宮地,針尾城の宮地氏と敵対するよう...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

忠兼の墓「出水のイボの神様」【R5】8月2号

   日本各地に存在するイボの神様は、昔から特別な信仰がありました。南蛮交易で多くの外国人が出入りするようになると,おのずと伝染病も広がっていきました。特に疱瘡(天然痘)は死亡率の高さやひどい瘢痕が残るため恐れられ,鹿児島県内でも無人...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

小野鶴之村と聖宮の六地蔵塔【R5】8月1号

・ 小野鶴之村(お乃湯近く)の六地蔵塔 貴久公は当主になった翌年,第9代忠国公の弟で出水の薩州家の島津実久が謀反を起こした時,清水城を出て小野の園田家の聖宮にかくまわれ難を逃れた。このことから小野の中央部の鶴之村と聖宮入口に六地蔵塔を2基建...