松ちゃん

学校よもやま話~雑感(17)

阪神淡路大震災で被災した小2の女の子の話《R6》1月3号

今から29年前,阪神淡路大震災の後,しばらくして神戸から被災した2年生の女の子を学級で受け入れたことがあります。その子は自宅で被災し,父親の祖母宅に一時的に避難してきたのです。転入書類を受け取ると,連絡欄には「家屋が倒壊し,母親がその子をか...
地名散策(22)

原良・西田・常盤・薬師・鷹師の地名由来《R6》1月2号

「西田校区郷土史誌」によれば,江戸時代の西田方限は,北は永吉の一部,原良,鷹師,薬師,西田,常盤,武の北側までの広範な地域にまたがっていたとされています。なお,ここでの「方限」とは,藩政時代の区画割り(門割り)を指し,時折「郷中」とも称され...
学校よもやま話~雑感(17)

鹿児島県の形はドラゴン《R6》1月1号

都道府県の形(4年社会科) 社会科の「わたしたちの県」という単元で,「日本地図を広げて~県の広がり」という内容がありました。子どもたちは,副読本に掲載されていた千葉県や神奈川県,茨城県など特徴的な形を見てその位置と名前を当てていき,最後に鹿...
地名散策(22)

下甑島・手打(てうち)の地名由来について《R5》12月12号

平家落人伝説の残る手打 甑島は,全国の僻地に多い「平家落人伝説の地」の中でも特筆される一つです。下甑島の「手打」の漢字表記は全国的にも珍しい地名で,当初は漠然と平家の落人伝説に由来しており,「源氏側の兵によって追われ,手討ちにされた平家の武...
薩摩半島の歴史(42)

甑島の歴史《R5》12月11号

1  甑島の地名 甑島は,古くは「五色島・古敷島・小敷島・子敷島・古志岐島」と呼ばれていました。また,薩摩川内市のホームページによれば,三国名勝図会に「上甑に東西を横切る瀬戸(串瀬戸)があり,その近くに,甑形(米を蒸すせいろ)の巨岩を,島民...
伊能測量(10)

甑島の伊能測量《R5》12月10号

伊能忠敬が行った1810年8月1日から19日までの甑島測量には,幕府に特定の狙いがあったと記している資料があります。しかし,伊能の日記からは他の測量と同様の日程が確認でき,隠密行動に関するような日程や測量記述は見当たりません。それ以上に,困...
薩摩半島の歴史(42)

甑島の津口番所跡と火立番所《R5》12月9号

当ブログ【R5】9月10日号の「矢筈岳の火立番所」に関する記事では,藩政時代に外国船の密貿易監視の番所が設けられ,発見時にはのろしを上げて鹿児島藩庁に報告されていたことを紹介しました。これらの番所は幕府の指示に基づき設置されました。しかし,...
薩摩半島の歴史(42)

甑島の松木少将と大炊御門中将の墓《R5》12月8号

甑島への初訪問は,県内一の甑大橋の完成により観光地としての人気が上昇し,旅行シーズンのフェリー予約が難しくなったため,冬場に訪れることとなりました。残念ながら,訪れた3日間は荒天に見舞われ,絶景ポイントからの美しい景色は楽しむことができませ...
教育(16)

県内で桜島が見える範囲はどれくらいだろうか《R5》12月7号

海岸線から水平線までの距離は約4.5km(1) 東北大震災において,津波災害の恐ろしさが衝撃的な映像と共に明らかにされました。驚くべきことに,遠くに見える水平線は僅か4.5kmで,しかも津波が飛行機のような速さで押し寄せ,圧倒的な破壊力で迫...
歴史・自然(142)

万得領(薩摩国の鹿児島神宮領) ~日置市飯牟礼の統治の歴史~《R5》12月6号

惟宗(執印)行賢の万得領 平安時代、平季基が土地を開墾し、その土地を近衛家に寄進したことが、日本最大の島津荘の起源です。1026年からは、この地方の荘官として治め、後には平季基の娘婿である伴兼貞(肝付氏)に譲渡されました。 飯牟礼の地名は、...