家族の思い出(7)

テレビ・ネット情報(7)

朝ドラ「ととねぇちゃん」~『暮らしの手帖』と広告

今朝の「ととねぇちゃん」 今では,市役所をはじめ公的機関の刊行物でさえ,数多くの広告が掲載されている時代です。ましてや一般の雑誌において,『暮らしの手帖』のように広告が一切掲載されていないものは,日本では非常に珍しい存在です。 そんな中,『...
家族の思い出(7)

父の学徒動員

前回のブログで,鹿児島が樟脳(しょうのう)の産地であり,その原料となるクスノキの大木がたくさんあったこと,そして父が樟脳会社の設立に挑戦し,失敗したことについて投稿しました。父の樟脳会社の夢 その「樟脳会社設立の話に飛びついた」理由について...
家族の思い出(7)

父の起業の失敗と東京行き

前回の母の話で,夫婦での「大学へのチャレンジ」について投稿しましたが,そのきっかけとなった父の事業失敗についてお話します。新たな夢への挑戦 両親は結婚後,しばらくの間,慣れない農業に取り組んでいました。しかし,頼りにしていた祖母が結核を患い...
家族の思い出(7)

たっすいがーはいかん!

大詰めの朝ドラ「あんぱん」 今週の朝ドラ『あんぱん』では,「逆転しない正義」という漠然としたテーマに,嵩がようやく気づく場面が描かれていました。そしていよいよ,あの「アンパンマン」が誕生するシーンを迎えます。しかしながら,作品が世に出た当初...
家族の思い出(7)

夫婦での大学挑戦

新たな仕事 叔父のヤミの手伝いを終えた母は,4月から公的機関で働くことになりました。書道の特技を生かし,浄書や資料の記録・整理といった仕事に就くことができたのです。 昭和20年代後半になると,戦後の混乱も少しずつ落ち着き始めました。叔父も本...
家族の思い出(7)

母のヤミ市(NO2)

母の福岡での思い出 前回,鹿屋での米や野菜の仕入れについて話をしましたが,その後県内でも徐々に買取価格が下がりはじめ,ヤミの需要も減ってきたのでしょう。そこで,活路を県外の食料が不足している都会に移すことになったそうです。・ 博多のヤミ市 ...
家族の思い出(7)

母のヤミ市(NO1)

母は,昔のことを語るのが好きな人でした。日記もこまめに残しており,晩年には自分史を綴っていましたのでそれを基に記します。 戦後80年という節目を迎え,テレビドラマやドキュメンタリー番組などで,ヤミ市の情景が描かれるのを目にする機会が増えてい...