歴史・自然(144)

歴史・自然(144)

花尾橋から眺め【R5】8月9号

伊敷原良の化粧の水 田植えが近づくと、おはら節の一節「雨のふらんのに草牟田川(甲突川)濁る、伊敷原良の化粧の水」という一節を思い出します。花尾橋下からの眺めも同じように川田川の水が白く濁ります。郡山町は中世に満家院と呼ばれていました。花尾校...
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神代三山陵の考証【R5】7月16号

「妙円寺詣りなのになぜ隣の徳重神社に参拝するの?」と,学校に勤めていたときに子どもに聞かれたことがあります。県外ではあまり見かけませんが,鹿児島県内の寺院を訪れると,顔や腕のない壊れた仏像をよく見かけます。これは,いわゆる明治期の廃仏毀釈に...
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おはら節の伊敷原良の化粧水とは何~「遊郭説」か「田植え歌か」【R5】7月13号

雨の降らんのに 草牟田川濁る 伊敷原良の オハラハー 化粧の水 全国的に有名な「おはら節」の由来は,都城の安久(やっさ)節が起源だと言われます。なるほど歌詞にオハラがつき,曲の雰囲気もノリも似ていますね。 琉球侵攻に参加した都城の安久武士に...
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石井手用水と長井田川用水(1)【R5】7月12号

1  伊敷地区の用水路造営 藩は,新田開発と甲突川の治水のため,1806年(文化3)右岸に石井手用水を1834年左岸に長井田川用水を造営しました。甲突川左右両岸の新田開発と治水が完了すると,1840年,肥後の石工・岩永三五郎,薩摩に招かれ石...
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原良の名所「花岡屋敷・日枝神社」【R5】7月10号

花岡屋敷(別荘) 鹿屋の花岡島津家の別荘です。花岡島津家は,二十代綱貴の次男久儔をルーツとしている。1724年(享保9),大姶良郷木谷村と野里村の一部(鹿屋市西部の古江バイパス沿い)を与えられ,花岡と改名した。花岡島津は,初代久儔から7代久...
想い出(40)

武岡の高射砲台下の防空壕【R5】7月4号

秘密基地 今では住宅街になっているが,昭和40年代まで,長島美術館下の常盤トンネルから武岡トンネルまで続く山手側斜面(現在は住宅地)は,墓地「笑岳寺墓地(武岡墓地に移設)」が広がっていた。当時は子どもたちの秘密基地がたくさんあって遊び場にな...
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六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(3)【R5】7月3号

・ 藩政時代,西田村新照院の辺り一帯には、上山寺、新昌院、大徳寺、柿本寺というお寺が集まっていました。鹿児島市史によると「新照院町の由来は、この新昌院観音寺の名称である」と記されてあります。慶長6年(1601)に,初代藩主島津家久が鶴丸城を...
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六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(2)【R5】7月2号

・ 今の城山はもともと「上山うえやま」と言っていました。鹿児島市の一部を治めていた上山氏のお城があった所です。鎌倉期末に城山に下着した松尾・小原氏が,この地の名を取り上山氏 うえやましと名乗ったことが始まりです。南北朝時代に島津貞久に追われ...
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六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(1)【R5】7月1号

・ 7月に入ると県内の神社で「六月灯」が始まります。全国的な行事ではありませんが,鹿児島と宮崎県の一部の神社で行われている夏の風物詩です。この「六月灯」の始まりは,江戸初期,島津光久公が重宝山上山寺と新昌院観音堂を再建した折,旧暦6月18日...
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雄風亭の碑文(4)【R5】6月5号

南風の詩 昔,五弦の琴を弾き,南風の詩を歌いながら天下を治めた舜王という人がいたと聞いています。その詩には「南風の薫りが民衆の怒りを解いている」と歌っています。南風の時,あなたは国民の富を豊かにすることができ,多くの良い言葉を言えます。使節...