歴史・自然(106) 税所敦子について(その一) ・税所敦子宅(西田温泉) 鷹師1丁目税所敦子宅跡の説明板より 税所敦子は文政8(1825)年~明治33(1900)年,京都に生まれ本姓は林という。幼児より和歌を好む。20歳で薩摩藩士税所篤之に嫁ぎ28歳で夫を失い薩摩にある姑のもとで孝養(親... 2025.02.20 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 西田小の校歌について 最近の学校のホームページは,個人情報保護の影響で掲載内容が減り,保護者や卒業生にとっては物足りなく感じることが増えているように思われます。子どもが特定される記事や顔写真はもちろん,遠景の写真やぼかしが入ったものまであり,無理に掲載しなくても... 2025.02.18 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 学校のホームページについて 今から25年ほど前の教頭時代,私はパソコンも持っていましたが,まだワープロを使用していました。当時は「開かれた学校」「情報公開」「情報教育の推進」などが求められる時代であり,学校のホームページもようやく運用され始めた頃でした。・シャープ製の... 2025.02.17 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) サザエさんを支えた鹿児島市長 平之町の平田公園 平田橋近くで国道3号線が直角に曲がる辺りが平之町です。子どもの頃,天文館へ遊びに行くときは必ず通る場所で,夏場は樹木で日陰となっていた平田公園で一休みするのが好きでした。 全国的に「ヒラ」とつく地名には「平」の字が当てられ... 2025.02.11 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 西田町の常盤川と黒田川の思い出 石井手用水 甲突川右岸の石井手用水(二級河川)は,昭和初期まで田の用水や洗濯などの水として使っていました。近くの人たちが年に数回底ざらい作業をしていたので,水は綺麗で流れも速かったと聞いたことがあります。 基本的に幅3メートル,水深1.5メ... 2025.02.07 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 種子島の「よきの焼」福元陶苑 ・ 福元陶苑の陶器「能野焼」種子島とは 種子島は,私にとって思い出深い地です。子どもの頃と教頭時代を合わせて6年間暮らし,我が子たちもこの島の豊かな自然と人情の中で成長しました。 歴史的に見ると,種子島は南蛮船の玄関口にあたり,戦国期から中... 2025.02.05 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 月と北極星のお話 十五夜の天体観測の思い出 小学校の頃,地域の十五夜相撲大会の後,学校で開かれた観月会に参加したことがあります。以前の当ブログで紹介したように,夜間の学校行事は実施できなかったため,おそらくPTA主催だったと思われます。しかし,当時は母親たち... 2025.02.04 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 鹿児島市の海軍航空隊基地 鴨池飛行場 溝辺に鹿児島空港ができるまで,現在の県庁前にある広い道路が鴨池飛行場の滑走路でした。昭和40年代,小学校時代の親友が東京へ転校する際,仲が良かった学級の男子でバスに乗って鴨池空港まで見送りに行ったことを思い出します。・ 現県庁地... 2025.01.26 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 指宿海軍航空基地哀惜の碑(その2) 魚見岳展望台麓の航空基地・案内板より 哀惜の碑より,「君は信じてくれるだろうか。この明るい穏やかな田良浜がかつて太平洋戦の末期本土最南端の航空基地として,琉球弧の米艦隊に対決した日々のことを拙劣の下駄ばき水上機に爆弾と片道燃料を積み見送る人... 2025.01.23 歴史・自然(106)
歴史・自然(106) 指宿海軍航空基地哀惜の碑(その1) 県内の特攻関連施設 指宿の知林ヶ島近くにある指宿海軍航空基地跡を訪ねました。昨年,パリオリンピック日本代表帰国会見で,卓球の早田ひな選手が「鹿児島の特攻資料館を訪ねて,生きていることや卓球ができることが当たり前ではないと感じたい」と語ったこ... 2025.01.22 歴史・自然(106)