歴史・自然(78)

歴史・自然(78)

『薩摩の恩人,耳原の孫次郎物語②』

孫次郎の出世物語 孫次郎は,明国南京の裕福な家庭に生まれ,幼少の頃から学問に励む聡明な青年でした。しかし,15歳の時に父親を亡くし,継母の手で育てられることになります。この継母は悪意を抱き,自分の子を跡継ぎにするために張昂を毒殺しようとしま...
歴史・自然(78)

『薩摩の恩人,耳原の孫次郎物語①』

 「三国名勝図絵」に明人張昂寄寓(居候)の項があります。その他にも「薩隅日地理纂考」,「征韓録(平田純正等編修)」,「鹿児島外史」,「西藩野史(得能通昭)」,「島津義弘公記(谷山初七郎著)」,「泗川御在陣記(川上久國)」,「泗川新寨戰捷之偉...
歴史・自然(78)

県内の戦争関連施設跡

 かつて頴娃町内の地名を調べる際,地元の郷土史家の西俊寛先生にご案内していただき,資料として「幻の旧陸軍 まのひ(青戸飛行場)回想記」をいただきました。県内の戦争関連の施設等で,知覧や万世,出水の特攻飛行場に比べ,頴娃町の佐世保海軍通信分遣...
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廃校になった松原小学校

 南九州市立松原小学校は,2021年に南九州市立別府小学校へ統合され,120年の歴史に幕を閉じました。「松原」という校名から海岸近くを想像するかもしれませんが,これは集落名の松永集落と耳原集落から一字ずつ取って付けられました。当時は地元意識...
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頴娃町の学校

 明治5年の学制(学区や教員免許など教育制度を定めた法令)により「小学教員は年齢20歳以上で,師範学校卒業免状あるいは中学免状を有する者」と定められていたが,当時の状況として師範学校の卒業者自体が少なく,現実とかけ離れていた。その後,実態に...
地名散策(15)

大隅国と薩摩国の境,郡山と吉田の二つの花尾神社

 大隅国桑原郡から薩摩国鹿児島郡へ編入 花尾山山頂から東西に直線で約1.5キロ離れた場所に,吉田町と郡山町の両方に花尾神社があります。これらの神社は共に丹後局を祭っていますが,江戸時代に藩によって祭神を合祀されたものと考えられています。もと...
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鹿児島市吉田町は元々大隅国だった

 1587年,吉田町は豊臣秀吉の九州征伐の後,大隅国から薩摩国に編入されました。 日本の歴史において,江戸時代は「近世」,鎌倉時代・室町時代は「中世」,それ以前の奈良時代や平安時代を含む古い時代は「古代」と呼ばれます。この古代の頃,鹿児島を...
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地名散策「⑤頴娃町上別府」

頴娃町上別府の地名① 只角(タダスミ) この地は南薩山地から牧之内まで続く尾根の端に当たり,馬渡川と石垣川に挟まれた地形です。只の付く地名は,多田・但田・徒隅・駄田・只浦・只尾・只川・只隅・只越・只津・只野・只平・只松等の地名があります。上...
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頴娃町の牧について

 薩摩は古来より全国的にも有名な馬の産地であり,馬屋奉行を置き,最盛期には藩内に20カ所の牧があったと言われています。県史料集によると,江戸後期には,福山牧や長島野の大牧場の他に,吉野,鹿屋,頴娃などの中規模牧場を含む17カ所で,合計6,0...
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頴娃地名散策「雪丸の地名由来」

雪丸の地形から 南九州市頴娃町の雪丸地区は南薩山地の山間に位置する盆地状の地域であり,真田幸村にまつわる伝説が残る地です。この伝説にちなみ,多くの真田幸村ファン,特に若い歴女が全国から訪れるそうです。真田幸村の墓 雪丸からアグリランド頴娃の...