歴史・自然(78)

歴史・自然(78)

薩摩おごじょ《R6》1月6号

かもうおごじょカレンダー 校区公民館の方から,見ると面白いよと「かもうおごじょカレンダー(婦人心得百ヶ条)」をいただきました。これは明治時代に蒲生町の成人女性の教育の一環として作成されたそうで,家庭や社会生活における嗜みが百ヶ条にまとめられ...
歴史・自然(78)

頴娃町は隠れた滝の名所《R6》1月4号

 南九州市の頴娃町は東シナ海に面し、風光明媚な自然と歴史に溢れた場所です。南薩山地の縁から広がる台地や山岳、河川、海岸線が美しい景観を作り出しています。江戸時代の図絵「三国名勝図絵」には、集川の三つの滝が紹介されています。 ・集川上流の施設...
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万得領(薩摩国の鹿児島神宮領) ~日置市飯牟礼の統治の歴史~《R5》12月6号

惟宗(執印)行賢の万得領 平安時代、平季基が土地を開墾し、その土地を近衛家に寄進したことが、日本最大の島津荘の起源です。1026年からは、この地方の荘官として治め、後には平季基の娘婿である伴兼貞(肝付氏)に譲渡されました。 飯牟礼の地名は、...
歴史・自然(78)

鹿児島唯一の官軍墓地【R5】12月5号

 10月7号「首なし塚」で続きで,県内に残る官軍の一つ岩川官軍墓地に行ってきました。岩川の官軍墓地は、西南戦争で犠牲になった官軍の兵士たちを追悼する場所です。平成になり、石橋公園に慰霊塔が建てられるまで、ここは鹿児島県で唯一の官軍墓地でした...
歴史・自然(78)

新上橋の想いで(甲突川五石橋)【R5】12月4号

小野石・河頭石 甲突川には新上橋や西田橋など石橋(五石橋)が架かっていました。上流の玉江橋,新上橋,西田橋の三つの石材が主に小野石だったそうです。小野石は加久藤火砕流の堆積物(約30万年前)で,河頭石は加久藤火砕流や一部花野火砕流堆積物(約...
歴史・自然(78)

江戸時代の高隈七嶽詣りの「ボンサン」と「鷹ノ羽嶽」,「中嶽」は何処【R5】11月1号

・ 「三国名勝図会」の高隅嶽の項目は、次の通り記されている。・ 現代語訳 高隅は本府(鹿児島城下)の東側で海と陸を12キロ隔てた串良郷の中に位置している。地頭館は高隈村上高隈にある。・明治初年の高隈郷の地頭は高崎正風 この村は古くは鹿屋院に...
想い出(16)

高隈山林道のアサギマダラ【R5】10月8号

・ 10月に入り,高隈山の峰越林道でアサギマダラが乱舞していた。長距離を移動することで知られ,秋に南下し春に北上するそうなのでもうすぐ南西諸島(鹿児島・沖縄の離島)に旅立つのだろうか。アサギマダラは,つる性の多年草「キジョラン」に卵を産み付...
歴史・自然(78)

西南戦争政府軍の首なし塚【R5】10月7号

・ 8・6水害の際、私は小野公園近くの小野石の石切り場跡の下に住んでいました。豪雨が降ると、幸加木川がゴーゴーと轟き、まるで地鳴りのようで緊張した記憶があります。しかし、この地域は地盤が堅固で、8・6水害でもほとんど被害がありませんでした。...
想い出(16)

ぼっけもん中馬大蔵重方の墓【R5】10月6号

(1) 中馬大蔵について・ 中馬大蔵は市来に生まれた郷士でしたが,出水の野間の関所(米ノ津港の東側)から笠山(阿久根市と出水市の境の山)までの海岸の取締役となりました。朝鮮の役・関ケ原合戦などで義弘公の危機を幾度も助け,義弘公からの信頼の厚...
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城西公園の薬師堂【R5】10月5号

・ 鹿児島高校横の城西公園に薬師堂がありました。その小堂の由来板に「薬師町前原宅のざくろの木の下から掘り出された薬師様を祭ってある」と記述があります。お堂の横に浮き彫りで彫られた六地蔵塔があります。島津斉彬の夭折した哲丸の死を悼んで供養のた...