歴史・自然(102)

地名散策(15)

喜入地名散策【1】

給黎(喜入)の地名由来 喜入と言えばやはり昭和44年から操業した喜入石油基地操業であろう。学生の頃,大型タンカーが錦江湾に入ってくる姿を見るとその大きさに驚き,鹿児島県が世界と貿易をする場になったことに誇りを感じていました。喜入の歴史 喜入...
歴史・自然(102)

沖縄が日本から独立?(その2)

ウチナーグチ(琉球方言)を話すウチナンチュー(DNAゲノム解析で日本人)は,かつて琉球国を築いていました。琉球国が存在していた背景には,いくつかの歴史的・地理的要因があります。 まず,琉球国は中世まで黒潮で隔たれた南西諸島に位置しており,こ...
歴史・自然(102)

沖縄が日本から独立?その1

琉球国って本当に独立国なの 沖縄について調べていると,「琉球国独立論」という驚くべき検索ワードが目に入ってきました。日本語を話す日本人が独立を求めるというのは違和感がありますが,これは地位協定を含め基地問題などに対する政府への不満から生じた...
歴史・自然(102)

「犬田布義戦」について

犬田布騒動記念碑の案内板によると,1864年3月18日に農民たちによる騒動が起こりました。後に「騒動」ではなく,あくまでも正義のために戦ったとされ,地元では「犬田布義戦」と変更されました。時は明治維新の4年前で,国内的には封建社会から資本主...
歴史・自然(102)

徳之島最初の医師

医師・佐喜間(さきま) 佐喜間(1650~1707)は,首里之主一統の第5代大宝山の長男として1650年に生まれました。1666年,16歳の時に徳之島奉行第24代・柏原弥太右衛門尉の任期終了に伴い鹿児島へ同行しました。そこで3年間城下に滞在...
歴史・自然(102)

薩摩の琉球征伐「秋徳湊の戦い」その2

1 はじめに 「伊仙歴史民俗資料館」の資料によると,道の島(奄美諸島)が琉球の支配下に入った時期についてははっきりしないようです。琉球による大島討伐以降,奄美の島々には琉球王府から役人が派遣されたり,現地の按司を役人に任命していました。それ...
歴史・自然(102)

徳之島初代島主「首里之衆」

・秋徳湊(亀徳港) 「伊仙歴史民俗資料館」の資料によると,道の島(奄美諸島)が琉球の支配下に入った時期についてははっきりしないようです。琉球による大島討伐以降,奄美の島々には琉球王府から役人が派遣されたり,現地の按司を役人に任命したりしてい...
歴史・自然(102)

薩摩の琉球征伐「秋徳湊の戦い」

徳之島勤務時代に知り合った平山家の方から,首里之主一統の系図「大殿地祖先系図」のコピーを手にいれました。本県においては,琉球国による奄美征伐や薩摩による琉球征伐に関する史料が非常に少ないなか,当時の状況を知る手がかりとしてこの系図に含まれる...
大隅半島の歴史(8)

桜島・牛根の地名由来

桜島の地名由来について(桜島町郷土誌) ・江戸期の図絵「牛根から見た桜島」 古書には桜島のことを向島(向之島)と書かれたものが多く,桜島が鹿児島の向こうにあるからという説や東西南北いずれにも面しているためという説もあります。※ 江戸期以前、...
大隅半島の歴史(8)

桜島と牛根の埋没鳥居(2)

牛根稲荷の「埋没鳥居」 桜島大爆発の痕跡を探しに,桜島の黒神と垂水市牛根の稲荷神社の「埋没鳥居」を訪れました。桜島の黒神から国分方面に向かうと,大隅半島の付け根に架かる美しい牛根大橋が目に飛び込んできます。橋を渡るとすぐに牛根麓漁港が見え,...