歴史・自然(102) 惟宗広言と丹後局 丹後局舟着場跡(市来駅) 島津家の伝承によれば,初代忠久は,源頼朝の乳母比企尼の長女である丹後局が,頼朝の寵愛を受けて産んだ子どもとされます。その忠久が薩隅日三州の守護職となり薩摩に下向した際,生母の丹後局も同行し,その船が現在の市来駅近く... 2024.04.08 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) Ⅱ 徳光神社 ・ 徳光神社・ 前田利右衛門生誕地徳光神社案内板より 指宿市の山川岡児ケ水(おかちょがみず)には,さつまいもを広めた前田利右衛門を祭る徳光神社があります。利右衛門は1705年河野家の船で琉球に渡り,そこで食べた芋の種を持ち帰りました。芋の原... 2024.03.05 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) Ⅰ 正龍寺と福元墓地 旧正龍寺跡の石塔群 県内には多くの石塔群を有する寺院がありました。明治の廃仏毀釈(日本で最も激しかった藩)により場所や名称を変えた寺院,案内板だけの跡形もなくなった寺院もあります。そんな中,この寺の石塔群はかつての姿を残している数少ない寺院... 2024.03.05 歴史・自然(102)
地名散策(15) 幸加木川上流の木村探元の墓と六地蔵塔 木村探元の誕生地(平田)と墓(小野)・ 幸加木神社入口の探元の墓地 木村探元は,薩摩を代表する全国的に有名な絵師ですので詳細については割愛します。木村家は,小野町の高嘉木(幸加木)から興った家系で神社の入口に木村家代々の墓と探元のものが... 2024.01.31 地名散策(15)歴史・自然(102)石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)
歴史・自然(102) 意外と少ない薩摩の殉死につ《R6》1月8号 1 徳重神社の殉死の碑「義弘公の13人」 案内板には以下のように記されています。「元和5年(1619年)7月21日,義弘公(享年85)が没すると,その恩顧を受けた家臣たちが後を追って殉死しました。当時,薩摩藩では殉死が禁じられていましたが,... 2024.01.28 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) 薩摩おごじょ《R6》1月6号 かもうおごじょカレンダー 校区公民館の方から,見ると面白いよと「かもうおごじょカレンダー(婦人心得百ヶ条)」をいただきました。これは明治時代に蒲生町の成人女性の教育の一環として作成されたそうで,家庭や社会生活における嗜みが百ヶ条にまとめられ... 2024.01.23 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) 頴娃町は隠れた滝の名所《R6》1月4号 南九州市の頴娃町は東シナ海に面し、風光明媚な自然と歴史に溢れた場所です。南薩山地の縁から広がる台地や山岳、河川、海岸線が美しい景観を作り出しています。江戸時代の図絵「三国名勝図絵」には、集川の三つの滝が紹介されています。 ・集川上流の施設 ... 2024.01.20 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) 万得領(薩摩国の鹿児島神宮領) ~日置市飯牟礼の統治の歴史~《R5》12月6号 惟宗(執印)行賢の万得領 平安時代、平季基が土地を開墾し、その土地を近衛家に寄進したことが、日本最大の島津荘の起源です。1026年からは、この地方の荘官として治め、後には平季基の娘婿である伴兼貞(肝付氏)に譲渡されました。 飯牟礼の地名は、... 2023.12.11 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) 鹿児島唯一の官軍墓地【R5】12月5号 10月7号「首なし塚」で続きで,県内に残る官軍の一つ岩川官軍墓地に行ってきました。岩川の官軍墓地は、西南戦争で犠牲になった官軍の兵士たちを追悼する場所です。平成になり、石橋公園に慰霊塔が建てられるまで、ここは鹿児島県で唯一の官軍墓地でした。... 2023.12.11 歴史・自然(102)
歴史・自然(102) 新上橋の想いで(甲突川五石橋)【R5】12月4号 小野石・河頭石 甲突川には新上橋や西田橋など石橋(五石橋)が架かっていました。上流の玉江橋,新上橋,西田橋の三つの石材が主に小野石だったそうです。小野石は加久藤火砕流の堆積物(約30万年前)で,河頭石は加久藤火砕流や一部花野火砕流堆積物(約... 2023.12.08 歴史・自然(102)