歴史・自然(78) 六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(3)【R5】7月3号 ・ 藩政時代,西田村新照院の辺り一帯には、上山寺、新昌院、大徳寺、柿本寺というお寺が集まっていました。鹿児島市史によると「新照院町の由来は、この新昌院観音寺の名称である」と記されてあります。慶長6年(1601)に,初代藩主島津家久が鶴丸城を... 2023.07.01 歴史・自然(78)神社仏閣(祭神・由緒)(10)
歴史・自然(78) 六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(2)【R5】7月2号 ・ 今の城山はもともと「上山うえやま」と言っていました。鹿児島市の一部を治めていた上山氏のお城があった所です。鎌倉期末に城山に下着した松尾・小原氏が,この地の名を取り上山氏 うえやましと名乗ったことが始まりです。南北朝時代に島津貞久に追われ... 2023.07.01 歴史・自然(78)神社仏閣(祭神・由緒)(10)
歴史・自然(78) 六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(1)【R5】7月1号 ・ 7月に入ると県内の神社で「六月灯」が始まります。全国的な行事ではありませんが,鹿児島と宮崎県の一部の神社で行われている夏の風物詩です。この「六月灯」の始まりは,江戸初期,島津光久公が重宝山上山寺と新昌院観音堂を再建した折,旧暦6月18日... 2023.07.01 歴史・自然(78)神社仏閣(祭神・由緒)(10)
歴史・自然(78) 雄風亭の碑文(4)【R5】6月5号 南風の詩 昔,五弦の琴を弾き,南風の詩を歌いながら天下を治めた舜王という人がいたと聞いています。その詩には「南風の薫りが民衆の怒りを解いている」と歌っています。南風の時,あなたは国民の富を豊かにすることができ,多くの良い言葉を言えます。使節... 2023.06.27 歴史・自然(78)薩摩半島の歴史(42)
歴史・自然(78) 雄風亭の碑文(3)【R5】6月4号 雄風亭石碑の全碑文と和訳漢文 府学教授臣 山本正誼謹撰并書 前太守中将公、嘗作一亭於尾畔、園東南峰之最高頂以為游、観之所、因命府学教授臣山本正誼名之於是、取宋玉風賦中語、名曰雄風、公曰其説何如、正誼対曰、昔楚襄王游蘭台、有風颯然而至者、王乃... 2023.06.27 歴史・自然(78)薩摩半島の歴史(42)
歴史・自然(78) 雄風亭の碑文(2)【R5】6月3号 尾畔の名の由来 尾畔の地名は,「山の尾が延びて田畔に接していた」ということが由来とされています。江戸初期には,現在の本薫寺の近くの山腹に,藩主光久が築かせた島津家の別邸がありました。この辺りは,鷹狩りの鷹を飼育しており,尾畔奉行とか尾畔御仮... 2023.06.27 歴史・自然(78)薩摩半島の歴史(42)
歴史・自然(78) 薩摩埋蔵金神社【R5】6月2号 ・ 中学生の頃,先輩から聞いた話を思い出します。ここは,「明治政府が薩摩藩の埋蔵金を探しており,再起をかけた家臣が祠の裏の穴に隠したので,掘れば必ず出てくる」と,実しやかに話していました。また,山の向こう側には太平洋戦争時の弾薬庫があったと... 2023.06.23 歴史・自然(78)神社仏閣(祭神・由緒)(10)
歴史・自然(78) 尾畔の雄風亭(1)【R5】6月1号 尾畔(おぐろ)の雄風亭(ゆうふうてい)の保存について 鹿児島市には,多くの記念物や史跡がありますが,その一部が災害等により破損したり,私有地にあったりして保存が困難な状況にあります。例えば,城西地区には8.6豪雨で消滅した新上橋(豪雨で残っ... 2023.06.21 歴史・自然(78)薩摩半島の歴史(42)