桂庵玄樹(10)

石屋真梁(石屋派)と桂庵玄樹(薩南学派)が創建した寺院やその教え等の調査・研究を通して、彼らの学問が戦国期から江戸期までの両藩士の教育にどう繋がっていったのかを考察する資料としたい。

桂庵玄樹(10)

雪舟の庭 日出町松屋寺

・ ネットで調べると昔の綺麗な庭園がありました。雪舟作「万竜の庭」 別府市の北側にある日出町の松屋寺を訪れました。雪舟が築いたと伝わる「万竜の庭」を見たかったからです。しかし,寺院の方に伺うと,庭師が不在となり手入れができず,現在は公開して...
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皇徳寺団地の由来となった寺院

永谷山皇徳寺跡  今回は中山インター近くの皇徳寺跡を訪れました。 日新公に儒学・朱子学を教え,『いろは歌』の原型を授けたと言われる桂庵玄樹の高弟,耕翁舜田とその弟子舜有(保泉寺)が一時期務めていた寺院であったからです。 寺跡の周りには畑が広...
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桂庵の訓読法とは【R6】4月18日

桂樹院(田ノ浦)は何処 桂樹院は,桂庵禅師のために薩摩で初めて建立された寺院です。この寺院について,「薩隅日地理纂考」にも次のように記されています。 「吉野橋の北約109メートルの場所に,文明年間(1469~1487)に桂庵禅師が開基した。...
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桂庵玄樹の墓(伊敷町)

桂庵墓~日本の朱子学は薩摩から江戸に上った~ 今回,桂庵縁の地・山口県(下関市・山口市)を訪ねましたが,桂庵のことを知ってる人が殆どいませんでした。しかし桂庵と同じく大内氏の庇護のもと活躍した石屋禅師は,今でも山口県民に慕われていることを知...
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桂庵玄樹の足どり

禅と朱子学 1427年に周防国山口(山口市)で生まれたとされます。8歳の時に①南禅寺に入り,景蒲玄忻禅師の雑務係として仕え,同寺の惟正和尚や景召和尚,蘭坡和尚らから朱子学などを学んでいます。1442 年に剃髪して僧侶となったとされ,その後,...
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桂庵玄樹の足どりを訪ねて隼人「正興寺」

市指定「弥勒院・正興寺等墓域」 桂庵玄樹が関わった寺院に隼人の正興寺(大隅国一之宮・鹿児島神宮別当寺)があります。大隅国で正八幡宮がいかに勢力を誇っていたのか,宮内小の近くに四社家(正八幡宮の宮司などを務めた家柄)の巨大な土塁や堀が今でも確...
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桂庵玄樹が薩摩にやってきた理由

 大内氏と島津氏 大内氏による庇護の下,石屋や竹居,後の桂庵たちが防府や長門,薩摩,大隅,日向の禅宗系寺院で活躍したのは偶然なのでしょうか。大内氏は遣明船交易によって財を成し,勢力を拡大し,大内文化を築き上げました。当時,大内氏や島津氏など...
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桂庵玄樹

 江戸時代には、仏教系と対立していた林羅山の朱子学が幕府の官学として全国の武士の子弟教育に取り入れられていました。自ずと五山文化を背景にした仏教系の薩南学派の教えは、忘れ去られて行きました。桂庵玄樹を蘇らせた歴史家 伊地知季安 江戸時代の薩...
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薩摩・長州の懸け橋となった石屋真梁と桂庵玄樹

 時代は異なりますが、室町時代に大内氏と島津氏を繋いで活躍した二人の学僧がいました。石屋真梁(薩摩)と桂庵玄樹(長州)の両者は、大内氏や島津氏の庇護のもと長州と薩摩で禅寺を創建し、多くの弟子を輩出しました。彼らの存在は両藩における学問の礎を...
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元祖「漢文訓読法」発祥の正龍寺

藤原惺窩が滞在した正龍寺 山川港湾奥の旧正龍寺は,「海雲山正龍寺」として知られ,山元氏の創建と伝えられています。由緒書によれば,明徳元年(1390)名僧・虎森和尚が招かれて再建にあたったとされています。また,薩南学派の流れをくむ僧である郁芳...