県内の歴史を大きく薩摩半島・大隅半島・離島(奄美)に分け歴史を調べることで,国どうしの関係性や人々の暮らしなどを知ることができる。特に奄美については薩摩や琉球とのかかわりや独自の文化など考察する資料としたい。
沖縄が日本から独立?(その2)
ウチナーグチ(琉球方言)を話すウチナンチュー(DNAゲノム解析で日本人)は,かつて琉球国を築いていました。琉球国が存在していた背景には,いくつかの歴史的・地理的要因があります。 まず,琉球国は中世まで黒潮で隔たれた南西諸島に位置しており,...
沖縄が日本から独立?その1
琉球国って本当に独立国なの 沖縄について調べていると,「琉球国独立論」という驚くべき検索ワードが目に入ってきました。日本語を話す日本人が独立を求めるというのは違和感がありますが,これは地位協定を含め基地問題などに対する政府への不満から生じた...
「犬田布義戦」について
犬田布騒動記念碑の案内板によると,1864年3月18日に農民たちによる騒動が起こりました。後に「騒動」ではなく,あくまでも正義のために戦ったとされ,地元では「犬田布義戦」と変更されました。時は明治維新の4年前で,国内的には封建社会から資本...
徳之島最初の医師
医師・佐喜間(さきま) 佐喜間(1650~1707)は,首里之主一統の第5代大宝山の長男として1650年に生まれました。1666年,16歳の時に徳之島奉行第24代・柏原弥太右衛門尉の任期終了に伴い鹿児島へ同行しました。そこで3年間城下に滞在...
薩摩の琉球征伐「秋徳湊の戦い」その2
1 はじめに 「伊仙歴史民俗資料館」の資料によると,道の島(奄美諸島)が琉球の支配下に入った時期についてははっきりしないようです。琉球による大島討伐以降,奄美の島々には琉球王府から役人が派遣されたり,現地の按司を役人に任命していました。それ...
徳之島初代島主「首里之衆」
・秋徳湊(亀徳港) 「伊仙歴史民俗資料館」の資料によると,道の島(奄美諸島)が琉球の支配下に入った時期についてははっきりしないようです。琉球による大島討伐以降,奄美の島々には琉球王府から役人が派遣されたり,現地の按司を役人に任命したりしてい...
薩摩の琉球征伐「秋徳湊の戦い」
徳之島勤務時代に知り合った平山家の方から,首里之主一統の系図「大殿地祖先系図」のコピーを手にいれました。本県においては,琉球国による奄美征伐や薩摩による琉球征伐に関する史料が非常に少ないなか,当時の状況を知る手がかりとしてこの系図に含まれ...
歴史雑感「琉球侵攻400年祭」~その2~《R6》2月11号
「那覇世」の時代,琉球王家から派遣された首里之衆・徳之島町郷土資料館 那覇世の後期(1562年),琉球王府から国王の重臣だった「首里之衆」という人が徳之島の押役探題譜代(遠隔地で代々軍事等に携わる職)として初めて派遣され,徳和瀬の海岸に上陸...
歴史雑感「琉球侵攻400年祭」~その1~《R6》2月10号
琉球侵攻400年記念祭「沖縄・鹿児島連携交流事業記念式典」 2009年の南日本新聞に「琉球侵攻400年記念式典」に関する記事が掲載されていました。名瀬市でのイベントで鹿児島県と沖縄県の両知事が握手を交わし,両県の交流を深めようとする趣旨の内...
島口の方言札について《R6》2月8号
徳之島の想い出 かつて勤務していた徳之島に30数年ぶりに訪れました。驚いたことに,新しい建物が立ち並び,道路が整備され,ますます見どころや観光地が増え,新鮮で美味しい店もたくさんできている印象でした。・夜光貝のさしみ しかし,以前とは異なり...