石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

南九州地方(特に島津氏の激戦地)に六地蔵塔が現存している。浄土信仰の影響から生前の行因によって六つの世界で衆生の苦悩を救済する地蔵信仰が流行した。「敵味方分け隔てなく死者を弔う」この仏教の教えから,日新公以後島津氏の伝統として受け継がれ,亡くなった死者の霊を鎮め供養塔として建立された。今回,石塔の中から主に六地蔵塔を調べることで,戦国期の武将たちが生き残りをかけた戦い方や勢力範囲,当時の地域社会の様子等を知ることができると考えた。

石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

耳原六地蔵塔について(その2)

耳原六地蔵塔の持物と銘文(一)龕部の持物と印 六地蔵の各道や名称については諸説があり,特定することは難しいですが,その一つの方法として,持物や印によって特定することができます。ただし,耳原六地蔵塔は廃仏毀釈の影響を受けており,像上部が激しく...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

頴娃町別府・松原校区の歴史③~耳原六地蔵塔について(その1)~

耳原六地蔵塔とは 南九州市頴娃町別府には,市指定文化財・耳原六地蔵塔があります。山川石で作られており開聞町や指宿市にある六地蔵塔に似ていますが,建立された年代や支配関係等からむしろ加世田の六地蔵塔と近いものと考えられています。 六地蔵塔は,...
地名散策(15)

幸加木川上流の木村探元の墓と六地蔵塔

木村探元の誕生地(平田)と墓(小野)・ 幸加木神社入口の探元の墓地   木村探元は,薩摩を代表する全国的に有名な絵師ですので詳細については割愛します。木村家は,小野町の高嘉木(幸加木)から興った家系で神社の入口に木村家代々の墓と探元のものが...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

忠兼の墓「出水のイボの神様」【R5】8月2号

   日本各地に存在するイボの神様は、昔から特別な信仰がありました。南蛮交易で多くの外国人が出入りするようになると,おのずと伝染病も広がっていきました。特に疱瘡(天然痘)は死亡率の高さやひどい瘢痕が残るため恐れられ,鹿児島県内でも無人...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

小野鶴之村と聖宮の六地蔵塔【R5】8月1号

・ 小野鶴之村(お乃湯近く)の六地蔵塔 貴久公は当主になった翌年,第9代忠国公の弟で出水の薩州家の島津実久が謀反を起こした時,清水城を出て小野の園田家の聖宮にかくまわれ難を逃れた。このことから小野の中央部の鶴之村と聖宮入口に六地蔵塔を2基建...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

島津氏縁の六地蔵塔(1)「小野聖之宮の六地蔵塔」【R5】7月18号

 日置市飯牟礼の農免道路沿いに木脇大炊介祐兄の墓碑があります。この人は,島津家15代貴久の幼少期から仕え,貴久の危機を救い,多くの戦いで戦功が挙げた人です。その恩賞として,戦略上の要衝であった恋之原,直木,竹之山の土地を与えられ,恋之原に住...