薩摩半島の歴史(42)

薩摩半島の歴史(42)

方言周圏論(だんだんとオカベ)《R6》2月9号

オカベについて かつて宴会で豆腐料理がでたとき,枕崎出身の友人と方言のオカベで議論になったことがありました。オカベは,枕崎の方言で豆腐を指す言葉だと主張していました。しかし,私が長崎や京都にも残っている昔の京言葉で,御所の御壁(おかべ)から...
想い出(16)

蒲生出身の先輩のエピソード《R6》1月7号

蒲生町の先輩のエピソード 昭和50年代後半の頃の話です。職場の飲み会にほとんど参加しない蒲生出身の先輩がいました。私も何度か個人的に飲みに誘いましたが,いつも都合が悪いとの返事でした。 ある時,彼がしみじみと語った飲み会に行かない理由が衝撃...
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甑島の歴史《R5》12月11号

1  甑島の地名 甑島は,古くは「五色島・古敷島・小敷島・子敷島・古志岐島」と呼ばれていました。また,薩摩川内市のホームページによれば,三国名勝図会に「上甑に東西を横切る瀬戸(串瀬戸)があり,その近くに,甑形(米を蒸すせいろ)の巨岩を,島民...
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甑島の津口番所跡と火立番所《R5》12月9号

 当ブログ【R5】9月10日号の「矢筈岳の火立番所」に関する記事では,藩政時代に外国船の密貿易監視の番所が設けられ,発見時にはのろしを上げて鹿児島藩庁に報告されていたことを紹介しました。これらの番所は幕府の指示に基づき設置されました。しかし...
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甑島の松木少将と大炊御門中将の墓《R5》12月8号

 甑島への初訪問は,県内一の甑大橋の完成により観光地としての人気が上昇し,旅行シーズンのフェリー予約が難しくなったため,冬場に訪れることとなりました。残念ながら,訪れた3日間は荒天に見舞われ,絶景ポイントからの美しい景色は楽しむことができま...
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矢筈岳の火立番所【R5】9月10号

1 火立番所 1637年,幕府の鎖国令で中国とオランダ以外の貿易船は国内の港に入ることを禁止しました。幕府は各藩に命じて外国船の見張り番所(異国方火立番所)を設置させました。薩摩藩は周りを海に囲まれ,海辺の警備のため藩庁に異国方や唐船方を置...
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獅子島の歴史「幣串勤番と御前川」【R5】9月8号

◎ 戦国時代獅子島は,出水の島津義虎の領土として,天草鎮尚から割譲され正式に島津領となりました。その後,出水5万石は秀吉に没収され,一時天領や対馬領となりましたが,島津軍の朝鮮の役での大活躍で豊臣奉行の一人だった徳川家康の意向によって全国で...
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獅子島の歴史「豊臣秀吉と獅子島」【R5】9月6号

◎ 獅子島の名は,12世紀の書物にすでに出てきます。獅子島は,天草や芦北・水俣・米ノ津へ通じる水路の要所で,天草諸氏の勢力争いや相良氏,出水の薩州島津家との領土争いなど,主に中世の歴史から登場します。また,秀吉の九州征伐や島原の乱,西南戦争...
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冷物取(ひえもんとり)について(2)【R5】8月8号

・里見弴の短編小説「ひえもんとり」大正6年~抜粋~※ この里見の作品から「薩摩の冷もんとり」として全国に伝わっていきました。 昭和40年代,川内市の小学校教諭が地域の民話の一つとして取材を交え書き直していますので,一部表現や情景描写が原作と...
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冷物取(ひえもんとり)について(1)【R5】8月7号

★ 今回は小説などによって語られる冷物取(ひえもんとり)について紹介します。①里見弴 ②司馬遼太郎 ③平田弘史作冷物取とは 江戸時代,薩摩の刑場で「死罪にする罪人を狩場(刑場)に放して,生きている罪人の肝臓を刃物を使わず食いちぎることを競技...