薩摩半島の歴史

薩摩半島の歴史

◎能因歌枕に選定された名勝地・水成川(南九州市頴娃町)【R5】8月5号

  今から千年近く前の平安時代の中頃,小倉百人一首第69番「あらし吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の作者として有名な能因法師(橘永愷)が,頴娃の水成川にやってきました。 能因法師は全国を旅し,能因歌枕(和歌に詠まれる全国名勝地...
薩摩半島の歴史

鎌倉期の平家の落人伝説~七郎山伝説~【R5】8月4号

 獅子島には壇の浦の戦いに敗れた平家武将にまつわる二つの「キジの伝説」が残っている。時を越えて,薩摩の藩政時代に敵方の英雄伝説として一部混同したものと考えられる。平家の落人伝説~七郎山伝説~ 源氏の追っ手が獅子島にも迫り,落ち武者の大将たち...
薩摩半島の歴史

獅子島の伝説「獅子谷七郎と阿沙良姫」【R5】8月3号

◎ 戦国時代の天草は,「天草八人衆」という同族の武将たちが支配していた比較的平和な時代であった。九州各地の大名勢力が天草にも及んでくると獅子島では,獅子谷但馬守(七郎とは別)が志岐氏と同盟関係を持ち,隣の大宮地,針尾城の宮地氏と敵対するよう...
薩摩半島の歴史

玉川用水と長井田川用水【R5】7月14号

玉川用水(田上川) 玉川用水は,旧藩時代,田上の上(かみ)部落の所に堰を作り,ここの水を田上・武・荒田・中村・郡元の五か村に灌漑用水として作られたものである。その後豪雨によって壊されてしまった。昭和9年,田上川の上部落の川底から水神碑が発...
薩摩半島の歴史

秀吉による太閤検地「吉田と出水の領地の変遷」【R5】7月11号

・ 天草旅行で歴史資料館の展示担当の方とお話する機会があり,江戸期の天草地方の庶民の苦しい現状や歴史について詳しく教えていただいた。また国立公園の話の中で,長島・獅子島の一部も雲仙・天草国立公園に含まれていることを話すと驚いておられた。ただ...
大隅半島の歴史

伴掾館(ばんのじょうのやかた)について(2)【R5】7月6号

・ 三木靖氏によると,室町時代に入り長谷場一族の伊敷忠純が伊敷中福良城(伴橡館上の山城)を築き伊敷地区を統治したそうだ。おそらく島津氏に協力したのだろうか。14~15世紀に使われた山城であったそうだ。以下,三木氏の縄張り図に基づいて,登山し...
大隅半島の歴史

伴掾館(ばんのじょうのやかた)について(1)【R5】7月5号

1  伴掾館「伴氏(肝付氏)」  鹿児島の三大武士団とは島津氏・渋谷氏・肝付氏であるが,最も早く土着したのが肝付氏である。この一族を遡れば大伴旅人や家持に係わる名門で支族も多く,大隅にはその子孫も多い。 伴兼行が平安末期に薩摩国総追...
歴史・自然

雄風亭の碑文(4)【R5】6月5号

南風の詩 昔,五弦の琴を弾き,南風の詩を歌いながら天下を治めた舜王という人がいたと聞いています。その詩には「南風の薫りが民衆の怒りを解いている」と歌っています。南風の時,あなたは国民の富を豊かにすることができ,多くの良い言葉を言えます。使節...
歴史・自然

雄風亭の碑文(3)【R5】6月4号

雄風亭石碑の全碑文と和訳漢文 府学教授臣 山本正誼謹撰并書 前太守中将公、嘗作一亭於尾畔、園東南峰之最高頂以為游、観之所、因命府学教授臣山本正誼名之於是、取宋玉風賦中語、名曰雄風、公曰其説何如、正誼対曰、昔楚襄王游蘭台、有風颯然而至者、王乃...
歴史・自然

雄風亭の碑文(2)【R5】6月3号

尾畔の名の由来 尾畔の地名は,「山の尾が延びて田畔に接していた」ということが由来とされています。江戸初期には,現在の本薫寺の近くの山腹に,藩主光久が築かせた島津家の別邸がありました。この辺りは,鷹狩りの鷹を飼育しており,尾畔奉行とか尾畔御仮...