桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹 江戸時代には、仏教系と対立していた林羅山の朱子学が幕府の官学として全国の武士の子弟教育に取り入れられていました。自ずと五山文化を背景にした仏教系の薩南学派の教えは、忘れ去られて行きました。桂庵玄樹を蘇らせた歴史家 伊地知季安 江戸時代の薩... 2024.03.29 桂庵玄樹(10)
桂庵玄樹(10) 薩摩・長州の懸け橋となった石屋真梁と桂庵玄樹 時代は異なりますが、室町時代に大内氏と島津氏を繋いで活躍した二人の学僧がいました。石屋真梁(薩摩)と桂庵玄樹(長州)の両者は、大内氏や島津氏の庇護のもと長州と薩摩で禅寺を創建し、多くの弟子を輩出しました。彼らの存在は両藩における学問の礎を... 2024.03.27 桂庵玄樹(10)石屋真梁(9)
桂庵玄樹(10) 元祖「漢文訓読法」発祥の正龍寺 藤原惺窩が滞在した正龍寺 山川港湾奥の旧正龍寺は,「海雲山正龍寺」として知られ,山元氏の創建と伝えられています。由緒書によれば,明徳元年(1390)名僧・虎森和尚が招かれて再建にあたったとされています。また,薩南学派の流れをくむ僧である郁芳... 2024.03.06 桂庵玄樹(10)
歴史・自然(78) Ⅱ 徳光神社 ・ 徳光神社・ 前田利右衛門生誕地徳光神社案内板より 指宿市の山川岡児ケ水(おかちょがみず)には,さつまいもを広めた前田利右衛門を祭る徳光神社があります。利右衛門は1705年河野家の船で琉球に渡り,そこで食べた芋の種を持ち帰りました。芋の原... 2024.03.05 歴史・自然(78)
歴史・自然(78) Ⅰ 正龍寺と福元墓地 旧正龍寺跡の石塔群 県内には多くの石塔群を有する寺院がありました。明治の廃仏毀釈(日本で最も激しかった藩)により場所や名称を変えた寺院,案内板だけの跡形もなくなった寺院もあります。そんな中,この寺の石塔群はかつての姿を残している数少ない寺院... 2024.03.05 歴史・自然(78)
学校よもやま話~雑感(16) うつせみ先生の想い出とビートルズ 英語の授業の一コマ 中学校時代の副担任で女性の英語の先生が「うつせみ」というあだ名でした。そのころ何名かの女子がそう呼んでいたことを覚えています。彼女は英語の授業をしながら,時折自分の好きな万葉集の話で脱線するのです。授業の内容は覚えていま... 2024.03.01 学校よもやま話~雑感(16)想い出(16)
離島(奄美)の歴史(15) 歴史雑感「琉球侵攻400年祭」~その2~《R6》2月11号 「那覇世」の時代,琉球王家から派遣された首里之衆・徳之島町郷土資料館 那覇世の後期(1562年),琉球王府から国王の重臣だった「首里之衆」という人が徳之島の押役探題譜代(遠隔地で代々軍事等に携わる職)として初めて派遣され,徳和瀬の海岸に上陸... 2024.02.29 離島(奄美)の歴史(15)
離島(奄美)の歴史(15) 歴史雑感「琉球侵攻400年祭」~その1~《R6》2月10号 琉球侵攻400年記念祭「沖縄・鹿児島連携交流事業記念式典」 2009年の南日本新聞に「琉球侵攻400年記念式典」に関する記事が掲載されていました。名瀬市でのイベントで鹿児島県と沖縄県の両知事が握手を交わし,両県の交流を深めようとする趣旨の内... 2024.02.28 離島(奄美)の歴史(15)
薩摩半島の歴史(42) 方言周圏論(だんだんとオカベ)《R6》2月9号 オカベについて かつて宴会で豆腐料理がでたとき,枕崎出身の友人と方言のオカベで議論になったことがありました。オカベは,枕崎の方言で豆腐を指す言葉だと主張していました。しかし,私が長崎や京都にも残っている昔の京言葉で,御所の御壁(おかべ)から... 2024.02.24 薩摩半島の歴史(42)
学校よもやま話~雑感(16) 島口の方言札について《R6》2月8号 徳之島の想い出 かつて勤務していた徳之島に30数年ぶりに訪れました。驚いたことに,新しい建物が立ち並び,道路が整備され,ますます見どころや観光地が増え,新鮮で美味しい店もたくさんできている印象でした。・夜光貝のさしみ しかし,以前とは異なり... 2024.02.23 学校よもやま話~雑感(16)離島(奄美)の歴史(15)