学校よもやま話~雑感(16)

教育「指導方法改善(国語科)」子どもたちの作文《R6》2月5号

今から30年ほど前,県作文コンクールの審査員をしていた時の話です。県内から地区審査を経た多くの優秀な作品が集まるので学年別に分かれて審査します。低学年の作品には楽しい内容が多く,学級担任の先生方の丁寧な指導が伝わってきます。 高学年の作品の...
想い出(28)

「メイド・イン・ジャパン」について《R6》2月4号

学生時代はまったブリティッシュ・ロック 学生時代,私はブリティッシュ・ロック,特にプログレッシブ・ロックに夢中になっていました。当時,先進的で前衛的な音楽ジャンルとしてシンセサイザーなどを駆使したサウンドが流行しており,その中でもピンク・フ...
学校よもやま話~雑感(16)

学校よもやま話~雑感その1「宿直」《R6》2月3号

今の校舎は児童数減少に伴い,空き教室を活用した更衣室や学年室などがあり,先生方の休憩場所として利用されています。児童数が多かった昭和30~40年代は空き教室が殆ど無く,唯一用務員室(主事室)が憩いの場で,職員同士の団らんの場でもありました。...
離島(奄美)の歴史(15)

鹿浦小学校 旧奉安殿《R6》2月2号

奉安殿とは,戦前から戦時中にかけて,天皇・皇后両陛下の御真影(写真)と教育勅語を納めていた建物です。建国記念日などの祝賀式典の際には,講堂に移され、職員,生徒全員で御真影に対する最敬礼と校長による教育勅語の奉読が行われていました。また,登下...
離島(奄美)の歴史(15)

徳之島の歴史「秋徳湊の戦い」《R6》2月1号

薩摩による奄美・徳之島・琉球侵攻図「最大の激戦地 秋徳湊の戦い」 島津氏にとって琉球国を通した中国貿易による利益は重要でした。秀吉の朝鮮出兵により中国との関係は最悪で,唯一琉球との関係だけが続いていました。そこで慶長14年(1609)に琉球...
地名散策(15)

幸加木川上流の木村探元の墓と六地蔵塔

木村探元の誕生地(平田)と墓(小野)・ 幸加木神社入口の探元の墓地   木村探元は,薩摩を代表する全国的に有名な絵師ですので詳細については割愛します。木村家は,小野町の高嘉木(幸加木)から興った家系で神社の入口に木村家代々の墓と探元のものが...
歴史・自然(106)

意外と少ない薩摩の殉死につ《R6》1月8号

1 徳重神社の殉死の碑「義弘公の13人」 案内板には以下のように記されています。「元和5年(1619年)7月21日,義弘公(享年85)が没すると,その恩顧を受けた家臣たちが後を追って殉死しました。当時,薩摩藩では殉死が禁じられていましたが,...
想い出(28)

蒲生出身の先輩のエピソード《R6》1月7号

蒲生町の先輩のエピソード 昭和50年代後半の頃の話です。職場の飲み会にほとんど参加しない蒲生出身の先輩がいました。私も何度か個人的に飲みに誘いましたが,いつも都合が悪いとの返事でした。 ある時,彼がしみじみと語った飲み会に行かない理由が衝撃...
歴史・自然(106)

薩摩おごじょ《R6》1月6号

かもうおごじょカレンダー 校区公民館の方から,見ると面白いよと「かもうおごじょカレンダー(婦人心得百ヶ条)」をいただきました。これは明治時代に蒲生町の成人女性の教育の一環として作成されたそうで,家庭や社会生活における嗜みが百ヶ条にまとめられ...
学校よもやま話~雑感(16)

朝の挨拶運動での一コマ《R6》1月5号

春先の挨拶運動中、正門の花に水をかけていた時の出来事です。私が着用していたマスクを見て、黄色いカバンを背負った1年生の男の子が近づいてきました。「先生、お花さんに風邪をうつさないでね」と優しく声をかけてくれました。ところが直ぐに,一緒に歩い...