離島(奄美)の歴史(15)

奄美復帰運動の父・泉芳郎~伊仙国民学校教頭時代のエピソード~【R5】9月4号

1 泉 芳朗(本名敏登)の年表(1) 教員の道をスタート 戦後、昭和21年2月2日、北緯30度線以南のトカラ列島(昭和27年2月10日復帰)および奄美群島がアメリカの統治下におかれました。この時、十島村は三島村と分断され、7島になりました。...
教育(16)

あなたは何代目「人の命は」?【R5】9月3号

1 学校でよく相田みつをの「自分の番~いのちのバトン」という詩を使って生徒指導をしていました。「6年生にあなたは何歳ですか」と問うと,子どもたちは11才,或いは12才ですと答えるわけです。そこで,「私たちの命は,ずっと受け継がれてきたもので...
神社仏閣(祭神・由緒)(12)

県内の妙見神社・天之御中主神社について【R5】9月2号

県内に「妙見神社」や「天之御中主神社」と名乗る神社が,鹿児島や国分,枕崎などに十数カ所見受けられます。今回いくつか紹介します。 まず,江戸時代に漁村の人たちにとって,妙見信仰は「夜空に輝き動かない星・北極星に対する信仰」として大切にされてき...
学校よもやま話~雑感(16)

副田凱馬(よしま)先生の話【R5】9月1号

(1) 昭和63年2月,勤務校の学校参観で副田凱馬先生(明治38~昭和63年)の講演会がありました。当時作文指導が苦手であった私は,大変楽しみにしていました。「私たちの作文」の講評者として詩人で作文指導でも有名な先生であったからです。 講演...
教育(16)

鹿児島にもあった‼磁場逆転(方位磁針が南北逆転する)【R5】8月10号

★郡山町誌の「地形と地質」・昭和4年に京都大学の松山基範博士が兵庫県の玄武洞の岩石の残留磁化を測定し、地球磁場の反転説を世界で初めて唱えたことが,ブラタモリで紹介されていました。同じく昭和58年発行の郡山町誌に花野火砕流による地磁気逆転につ...
歴史・自然(99)

花尾橋から眺め【R5】8月9号

伊敷原良の化粧の水 田植えが近づくと、おはら節の一節「雨のふらんのに草牟田川(甲突川)濁る、伊敷原良の化粧の水」という一節を思い出します。花尾橋下からの眺めも同じように川田川の水が白く濁ります。郡山町は中世に満家院と呼ばれていました。花尾校...
薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(2)【R5】8月8号

・里見弴の短編小説「ひえもんとり」大正6年~抜粋~※ この里見の作品から「薩摩の冷もんとり」として全国に伝わっていきました。 昭和40年代,川内市の小学校教諭が地域の民話の一つとして取材を交え書き直していますので,一部表現や情景描写が原作と...
薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(1)【R5】8月7号

★ 今回は小説などによって語られる冷物取(ひえもんとり)について紹介します。①里見弴 ②司馬遼太郎 ③平田弘史作冷物取とは 江戸時代,薩摩の刑場で「死罪にする罪人を狩場(刑場)に放して,生きている罪人の肝臓を刃物を使わず食いちぎることを競技...
薩摩半島の歴史(42)

伴性頴娃氏(肝付一族)の内紛と衰退【R5】8月6号

はじめに  頴娃氏は平姓頴娃氏とそれ以後の伴姓頴娃氏とに分かれる。伴姓とは、平姓頴娃氏と区別するため言われるが、元々肝付氏が大伴氏流れを引く「伴一族」であることからその名がついた。  戦国時代に入り、室町幕府が弱体化すると、頴娃の地を含め藩...
薩摩半島の歴史(42)

◎能因歌枕に選定された名勝地・水成川(南九州市頴娃町)【R5】8月5号

今から千年近く前の平安時代の中頃,小倉百人一首第69番「あらし吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の作者として有名な能因法師(橘永愷)が,頴娃の水成川にやってきました。 能因法師は全国を旅し,能因歌枕(和歌に詠まれる全国名勝地名一...