県外の歴史(15)

桂庵玄樹と文之和尚がいた串間市木の旧龍源寺

遣明船の寄港地 室町時代には,日南市の油津湊や外浦湊は,日向灘に面した天然の良港として栄え,遣明船の寄港地として知られていました。その中で,市木の旧龍源寺は薩摩との交易上の要所であり,繁栄を極めていました。町も栄え寺院はかつて4カ所も存在し...
歴史・自然(137)

惟宗広言と丹後局

丹後局舟着場跡(市来駅) 島津家の伝承によれば,初代忠久は,源頼朝の乳母比企尼の長女である丹後局が,頼朝の寵愛を受けて産んだ子どもとされます。その忠久が薩隅日三州の守護職となり薩摩に下向した際,生母の丹後局も同行し,その船が現在の市来駅近く...
石屋真梁(9)

石屋真梁禅師の修行時代「円勝寺・広済寺」

伊集院町飯牟礼に石屋禅師(1345-1423)が若い頃,修業していた古城山円勝寺がありました。ここ飯牟礼の地は,伊集院氏の発祥の地に当たります。島津氏以前のこの地は,薩摩国なのに大隅国の鹿児島神宮領(万得領)になっていました。これは当時は有...
桂庵玄樹(10)

桂庵玄樹の足どり

禅と朱子学 1427年に周防国山口(山口市)で生まれたとされます。8歳の時に①南禅寺に入り,景蒲玄忻禅師の雑務係として仕え,同寺の惟正和尚や景召和尚,蘭坡和尚らから朱子学などを学んでいます。1442 年に剃髪して僧侶となったとされ,その後,...
桂庵玄樹(10)

桂庵玄樹の足どりを訪ねて隼人「正興寺」

市指定「弥勒院・正興寺等墓域」 桂庵玄樹が関わった寺院に隼人の正興寺(大隅国一之宮・鹿児島神宮別当寺)があります。大隅国で正八幡宮がいかに勢力を誇っていたのか,宮内小の近くに四社家(正八幡宮の宮司などを務めた家柄)の巨大な土塁や堀が今でも確...
桂庵玄樹(10)

桂庵玄樹が薩摩にやってきた理由

大内氏と島津氏 大内氏による庇護の下,石屋や竹居,後の桂庵たちが防府や長門,薩摩,大隅,日向の禅宗系寺院で活躍したのは偶然なのでしょうか。大内氏は遣明船交易によって財を成し,勢力を拡大し,大内文化を築き上げました。当時,大内氏や島津氏など地...
桂庵玄樹(10)

桂庵玄樹

江戸時代には、仏教系と対立していた林羅山の朱子学が幕府の官学として全国の武士の子弟教育に取り入れられていました。自ずと五山文化を背景にした仏教系の薩南学派の教えは、忘れ去られて行きました。桂庵玄樹を蘇らせた歴史家 伊地知季安 江戸時代の薩摩...
桂庵玄樹(10)

薩摩・長州の懸け橋となった石屋真梁と桂庵玄樹

時代は異なりますが、室町時代に大内氏と島津氏を繋いで活躍した二人の学僧がいました。石屋真梁(薩摩)と桂庵玄樹(長州)の両者は、大内氏や島津氏の庇護のもと長州と薩摩で禅寺を創建し、多くの弟子を輩出しました。彼らの存在は両藩における学問の礎を築...
桂庵玄樹(10)

元祖「漢文訓読法」発祥の正龍寺

藤原惺窩が滞在した正龍寺 山川港湾奥の旧正龍寺は,「海雲山正龍寺」として知られ,山元氏の創建と伝えられています。由緒書によれば,明徳元年(1390)名僧・虎森和尚が招かれて再建にあたったとされています。また,薩南学派の流れをくむ僧である郁芳...
歴史・自然(137)

Ⅱ 徳光神社

・ 徳光神社・ 前田利右衛門生誕地徳光神社案内板より 指宿市の山川岡児ケ水(おかちょがみず)には,さつまいもを広めた前田利右衛門を祭る徳光神社があります。利右衛門は1705年河野家の船で琉球に渡り,そこで食べた芋の種を持ち帰りました。芋の原...