歴史・自然(119)

新上橋の想いで(甲突川五石橋)【R5】12月4号

小野石・河頭石 甲突川には新上橋や西田橋など石橋(五石橋)が架かっていました。上流の玉江橋,新上橋,西田橋の三つの石材が主に小野石だったそうです。小野石は加久藤火砕流の堆積物(約30万年前)で,河頭石は加久藤火砕流や一部花野火砕流堆積物(約...
伊能測量(10)

【Ⅲ】伊能測量の未測量区間「遠測術」【R5】12月3号

・赤の測量線が描かれていない区間「遠測術」について 次の伊能図を見る限り、南大隅町の辺塚から戸崎までの区間には測量赤線が記入されていませんが,どうしてでしょうか。伊能図は実測に厳密にこだわっており、測量されていない部分は他の資料で補完し,作...
伊能測量(10)

【Ⅱ】屋久島・種子島の測量【R5】12月2号

1 困難な離島測量 第八次の主な目的は、前回の天候不良により実施できなかった種子・屋久の測量でした。鹿児島は海岸線が長く(全国で第3位)、また離島が多いため、測量は非常に困難なものとなりました。特に第七次の大隅半島の内之浦から佐多岬や第八次...
伊能測量(10)

【Ⅰ】鹿児島市の伊能測量について【R5】12月1号

第八次(1812)の測量について・ 伊能忠敬は、小学校の学習指導要領において第6学年の社会科で取り上げられ、その業績や測量内容が教科書で詳しく教えられています。また、高学年の道徳や中学年の歴史・地理の内容にも関連しており、身近で興味深い教材...
学校よもやま話~雑感(16)

校訓碑について【R5】11月4号

ある朝の校訓碑のエピソード 朝の挨拶運動の中で、いつも元気な挨拶をしてくれる2年生の女の子がいました。ある日、その子が挨拶を終えて校訓碑「かしこく・やさしく・たくましく」の横を歩いていると思ったら、突然ランドセルを揺らしながら引き返してきま...
県外の歴史(15)

七里田温泉の今昔物語「今は昔の戦国時代」より【R5】11月3号

■ 初めて七里田温泉の下湯を訪れ,足湯にいらした地元の方のお話しを聞くことができました。地域の人たちがこの温泉をいかに大切にしているかお話の随所に伺えました。次の長湯温泉に向かう途中,朽網鎮則(宗暦)の墓地に立ち寄りました。奥豊後グリーンロ...
県外の歴史(15)

竹田市の塔の原の石幢(せきとう)【R5】11月2号

・ 竹田市の長湯温泉の炭酸泉が好きで昨年に引き続き訪れました。今回は二日間で4カ所の温泉三昧で,さすがに湯あたり気味になったので近くを散策することにしました。(1) 塔の原の石幢 地元の方が「八体地蔵(はったいじぞう)」と呼ぶ「塔の原の石幢...
歴史・自然(119)

江戸時代の高隈七嶽詣りの「ボンサン」と「鷹ノ羽嶽」,「中嶽」は何処【R5】11月1号

・ 「三国名勝図会」の高隅嶽の項目は、次の通り記されている。・ 現代語訳 高隅は本府(鹿児島城下)の東側で海と陸を12キロ隔てた串良郷の中に位置している。地頭館は高隈村上高隈にある。・明治初年の高隈郷の地頭は高崎正風 この村は古くは鹿屋院に...
想い出(30)

高隈山林道のアサギマダラ【R5】10月8号

・ 10月に入り,高隈山の峰越林道でアサギマダラが乱舞していた。長距離を移動することで知られ,秋に南下し春に北上するそうなのでもうすぐ南西諸島(鹿児島・沖縄の離島)に旅立つのだろうか。アサギマダラは,つる性の多年草「キジョラン」に卵を産み付...
歴史・自然(119)

西南戦争政府軍の首なし塚【R5】10月7号

・ 8・6水害の際、私は小野公園近くの小野石の石切り場跡の下に住んでいました。豪雨が降ると、幸加木川がゴーゴーと轟き、まるで地鳴りのようで緊張した記憶があります。しかし、この地域は地盤が堅固で、8・6水害でもほとんど被害がありませんでした。...