薩摩半島の歴史(42) 玉川用水と長井田川用水【R5】7月14号 玉川用水(田上川) 玉川用水は,旧藩時代,田上の上(かみ)部落の所に堰を作り,ここの水を田上・武・荒田・中村・郡元の五か村に灌漑用水として作られたものである。その後豪雨によって壊されてしまった。昭和9年,田上川の上部落の川底から水神碑が発見... 2023.07.15 薩摩半島の歴史(42)
歴史・自然(99) おはら節の伊敷原良の化粧水とは何~「遊郭説」か「田植え歌か」【R5】7月13号 雨の降らんのに 草牟田川濁る 伊敷原良の オハラハー 化粧の水 全国的に有名な「おはら節」の由来は,都城の安久(やっさ)節が起源だと言われます。なるほど歌詞にオハラがつき,曲の雰囲気もノリも似ていますね。 琉球侵攻に参加した都城の安久武士に... 2023.07.13 歴史・自然(99)
歴史・自然(99) 石井手用水と長井田川用水(1)【R5】7月12号 1 伊敷地区の用水路造営 藩は,新田開発と甲突川の治水のため,1806年(文化3)右岸に石井手用水を1834年左岸に長井田川用水を造営しました。甲突川左右両岸の新田開発と治水が完了すると,1840年,肥後の石工・岩永三五郎,薩摩に招かれ石... 2023.07.12 歴史・自然(99)
薩摩半島の歴史(42) 秀吉による太閤検地「吉田と出水の領地の変遷」【R5】7月11号 ・ 天草旅行で歴史資料館の展示担当の方とお話する機会があり,江戸期の天草地方の庶民の苦しい現状や歴史について詳しく教えていただいた。また国立公園の話の中で,長島・獅子島の一部も雲仙・天草国立公園に含まれていることを話すと驚いておられた。ただ... 2023.07.11 薩摩半島の歴史(42)
歴史・自然(99) 原良の名所「花岡屋敷・日枝神社」【R5】7月10号 花岡屋敷(別荘) 鹿屋の花岡島津家の別荘です。花岡島津家は,二十代綱貴の次男久儔をルーツとしている。1724年(享保9),大姶良郷木谷村と野里村の一部(鹿屋市西部の古江バイパス沿い)を与えられ,花岡と改名した。花岡島津は,初代久儔から7代久... 2023.07.09 歴史・自然(99)
地名散策(15) 原良地区の地名(1) 「源六・原羅営」【R5】7月9号 原良とは,「原と羅から今の原良川沿いの平らな原野を開墾した土地」或いは「野良作業の如く,開墾以前の野原」の意味と考えられる。原良の地名として,南朝方の畠山国長が原良に陣を構えた「原羅営」とあり,それ以前の古い地名と考えられる。この陣営の館が... 2023.07.09 地名散策(15)
地名散策(15) 伊敷地区の地名(1)【R5】7月8号 宇都の地名 宇とは空間や広がりのことで,都(戸)は入口のこと。宇都とは,「小川に侵食され細長く袋状につながった田園地帯」のことである。 宇都さんのルーツはほぼ鹿児島で,門割制度の宇都門(水利がよく肥沃な水田地帯)から発生した地形地名である。... 2023.07.09 地名散策(15)
神社仏閣(祭神・由緒)(12) 伊敷地区の神社(1)【R5】7月7号 ・ 伊敷町は島津氏に直属し,鹿児島近在二十カ村の一部で,伊敷町や犬迫町,小野町,小山田町,皆与志町などが含まれていた広い地域であった。千年団地や伊敷団地などもかつて島津氏の山で,由緒ある神社がいくつかあるので紹介したい。伊邇色神社(いにしき... 2023.07.08 神社仏閣(祭神・由緒)(12)
大隅半島の歴史(8) 伴掾館(ばんのじょうのやかた)について(2)【R5】7月6号 ・ 三木靖氏によると,室町時代に入り長谷場一族の伊敷忠純が伊敷中福良城(伴橡館上の山城)を築き伊敷地区を統治したそうだ。おそらく島津氏に協力したのだろうか。14~15世紀に使われた山城であったそうだ。以下,三木氏の縄張り図に基づいて,登山し... 2023.07.06 大隅半島の歴史(8)薩摩半島の歴史(42)
大隅半島の歴史(8) 伴掾館(ばんのじょうのやかた)について(1)【R5】7月5号 1 伴掾館「伴氏(肝付氏)」 鹿児島の三大武士団とは島津氏・渋谷氏・肝付氏であるが,最も早く土着したのが肝付氏である。この一族を遡れば大伴旅人や家持に係わる名門で支族も多く,大隅にはその子孫も多い。 伴兼行が平安末期に薩摩国総追捕使に任... 2023.07.06 大隅半島の歴史(8)薩摩半島の歴史(42)