歴史・自然(99)

六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(3)【R5】7月3号

・ 藩政時代,西田村新照院の辺り一帯には、上山寺、新昌院、大徳寺、柿本寺というお寺が集まっていました。鹿児島市史によると「新照院町の由来は、この新昌院観音寺の名称である」と記されてあります。慶長6年(1601)に,初代藩主島津家久が鶴丸城を...
歴史・自然(99)

六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(2)【R5】7月2号

・ 今の城山はもともと「上山うえやま」と言っていました。鹿児島市の一部を治めていた上山氏のお城があった所です。鎌倉期末に城山に下着した松尾・小原氏が,この地の名を取り上山氏 うえやましと名乗ったことが始まりです。南北朝時代に島津貞久に追われ...
歴史・自然(99)

六月灯の起源となった重宝山上山寺と観音像(1)【R5】7月1号

・ 7月に入ると県内の神社で「六月灯」が始まります。全国的な行事ではありませんが,鹿児島と宮崎県の一部の神社で行われている夏の風物詩です。この「六月灯」の始まりは,江戸初期,島津光久公が重宝山上山寺と新昌院観音堂を再建した折,旧暦6月18日...
登山・散策(16)

高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」写真資料【R5】6月10号

高隈の神社「御年神社」仮屋公民館・観音渕~本社の御手洗い池で、権現出現の所という。三国名勝図絵「高隈山」を描いた場所と思われる。曇っているが山容が分かる。田の中を串良川が流れ,右端に白坂集落がある。
登山・散策(16)

高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(4)【R5】6月9号

4  三国名勝図絵の「高隈嶽」は何処から描かれたか(1) 描かれた場所「高隈山の東から見える所」 鹿屋市下高隈町に仮屋ふれあいセンターがあるが,仮屋とは麓の中心地で江戸期の役所があったところだ。高隈郷は,江戸時代初めは串良郷の一部でしたが,...
登山・散策(16)

高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(3)【R5】6月8号

3  近戸宮権現社(瀬戸山神社) ~三国名勝図絵「下巻64P・71P」より~(1) 例祭日〇 権現嶽(立蔵権現社)「神体は金座像 例祭は9月9日」〇 中嶽(蔵王権現社)「神体は金座像 例祭は9月9日」〇 近戸宮三所権現社「地頭館より北の方角...
登山・散策(16)

高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(2)【R5】6月7号

2  瀬戸山神社「高隈山三所権現近戸宮」 ~案内板より~(1) 御祭神   ・ 大山祗神(山の神) 水波能女神(水の神) 久能智神(樹木の神)  伊勢神(内宮・外宮) (2) 創建     室町時代永亨2年丙戌(1430)五代寺として,慶腎...
登山・散策(16)

高隈山系の「中嶽・鷹ノ羽嶽?」(1)【R5】6月6号

・ 定年後,夫婦で健康作りの一環として始めた登山だったが,体力の無さに愕然とした。考え方を変え,天気のいい日にゆっくりと体力に合わせた無理のない計画を立て楽しむことにした。登山するのは,秋から春口までであったが,2年近くをかけ高隈連山の主だ...
歴史・自然(99)

雄風亭の碑文(4)【R5】6月5号

南風の詩 昔,五弦の琴を弾き,南風の詩を歌いながら天下を治めた舜王という人がいたと聞いています。その詩には「南風の薫りが民衆の怒りを解いている」と歌っています。南風の時,あなたは国民の富を豊かにすることができ,多くの良い言葉を言えます。使節...
歴史・自然(99)

雄風亭の碑文(3)【R5】6月4号

雄風亭石碑の全碑文と和訳漢文 府学教授臣 山本正誼謹撰并書 前太守中将公、嘗作一亭於尾畔、園東南峰之最高頂以為游、観之所、因命府学教授臣山本正誼名之於是、取宋玉風賦中語、名曰雄風、公曰其説何如、正誼対曰、昔楚襄王游蘭台、有風颯然而至者、王乃...