薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(2)【R5】8月8号

・里見弴の短編小説「ひえもんとり」大正6年~抜粋~※ この里見の作品から「薩摩の冷もんとり」として全国に伝わっていきました。 昭和40年代,川内市の小学校教諭が地域の民話の一つとして取材を交え書き直していますので,一部表現や情景描写が原作と...
薩摩半島の歴史(42)

冷物取(ひえもんとり)について(1)【R5】8月7号

★ 今回は小説などによって語られる冷物取(ひえもんとり)について紹介します。①里見弴 ②司馬遼太郎 ③平田弘史作冷物取とは 江戸時代,薩摩の刑場で「死罪にする罪人を狩場(刑場)に放して,生きている罪人の肝臓を刃物を使わず食いちぎることを競技...
薩摩半島の歴史(42)

伴性頴娃氏(肝付一族)の内紛と衰退【R5】8月6号

はじめに  頴娃氏は平姓頴娃氏とそれ以後の伴姓頴娃氏とに分かれる。伴姓とは、平姓頴娃氏と区別するため言われるが、元々肝付氏が大伴氏流れを引く「伴一族」であることからその名がついた。  戦国時代に入り、室町幕府が弱体化すると、頴娃の地を含め藩...
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◎能因歌枕に選定された名勝地・水成川(南九州市頴娃町)【R5】8月5号

今から千年近く前の平安時代の中頃,小倉百人一首第69番「あらし吹く三室の山のもみぢ葉は竜田の川の錦なりけり」の作者として有名な能因法師(橘永愷)が,頴娃の水成川にやってきました。 能因法師は全国を旅し,能因歌枕(和歌に詠まれる全国名勝地名一...
薩摩半島の歴史(42)

鎌倉期の平家の落人伝説~七郎山伝説~【R5】8月4号

獅子島には壇の浦の戦いに敗れた平家武将にまつわる二つの「キジの伝説」が残っている。時を越えて,薩摩の藩政時代に敵方の英雄伝説として一部混同したものと考えられる。平家の落人伝説~七郎山伝説~ 源氏の追っ手が獅子島にも迫り,落ち武者の大将たちは...
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獅子島の伝説「獅子谷七郎と阿沙良姫」【R5】8月3号

◎ 戦国時代の天草は,「天草八人衆」という同族の武将たちが支配していた比較的平和な時代であった。九州各地の大名勢力が天草にも及んでくると獅子島では,獅子谷但馬守(七郎とは別)が志岐氏と同盟関係を持ち,隣の大宮地,針尾城の宮地氏と敵対するよう...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

忠兼の墓「出水のイボの神様」【R5】8月2号

イボの神様  日本各地に存在するイボの神様は、昔から特別な信仰がありました。南蛮交易で多くの外国人が出入りするようになると,おのずと伝染病も広がっていきました。特に疱瘡(天然痘)は死亡率の高さやひどい瘢痕が残るため恐れられ,鹿児島県内でも無...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

小野鶴之村と聖宮の六地蔵塔【R5】8月1号

・ 小野鶴之村(お乃湯近く)の六地蔵塔 貴久公は当主になった翌年,第9代忠国公の弟で出水の薩州家の島津実久が謀反を起こした時,清水城を出て小野の園田家の聖宮にかくまわれ難を逃れた。このことから小野の中央部の鶴之村と聖宮入口に六地蔵塔を2基建...
伊能測量(10)

伊能測量(給黎)【R5】7月19号

◎  伊能測量(給黎)富永章子(阿久根市)~絵◎ 伊能測量は10次にわたっているが,第7次(1810)と第8次(1812)の時、薩摩藩も同行して測量を実施している。今から213年前の第7次,2日間に渡り喜入を測量している。喜入関係は,8月3...
石塔「六地蔵塔・宝篋印塔・板碑」(6)

島津氏縁の六地蔵塔(1)「小野聖之宮の六地蔵塔」【R5】7月18号

日置市飯牟礼の農免道路沿いに木脇大炊介祐兄の墓碑があります。この人は,島津家15代貴久の幼少期から仕え,貴久の危機を救い,多くの戦いで戦功が挙げた人です。その恩賞として,戦略上の要衝であった恋之原,直木,竹之山の土地を与えられ,恋之原に住み...