歴史・自然(133)

川内での頼山陽

日本の朱子学は,江戸時代に広まる以前に,すでに室町時代,桂庵玄樹によって薩摩で花開いていました。江戸期には,朱子学が幕府の官学として位置づけられ,全国の藩で採用されることで,さらに深化していきました。私も,これまでに頼山陽など有名な儒学者の...
歴史・自然(133)

薩摩隼人の由来(隼人塚)

薩摩隼人の由来の石碑 「薩摩隼人」とは,隼人の中でも鹿児島県西部の薩摩地方に住んでいた人々の子孫とされる男性を指し,勇敢で誇り高い人物像を象徴する異称として知られています。 この言葉の語源は,古代に九州南部に居住していた「隼人(はやと)」と...
歴史・自然(133)

南九州の神話と阿多・隼人族のエピソード 

南九州の隼人族の抵抗 中村明蔵氏の『神になった隼人』は,南九州の古代史を考えるうえで貴重な研究書です。この書籍によると,隼人族は中央から「化外の民」とされ,東北の「蝦夷(えみし)」や阿麻美(奄美)の南島人などと並んで「夷狄(異民族)」とし位...
歴史・自然(133)

三国名勝図絵に描かれた「猫嶽眺望(川内市)」

薩摩川内市の福昌寺は,石屋真遼(1345~1423)によって開かれた寺院で,何度か訪れています。曹洞宗の寺院には,他宗派とは異なる独特の雰囲気があり,不思議な魅力を感じます。今回訪れたのは,石屋真遼の母方のルーツの一つ日置の阿多氏を調べてい...
歴史・自然(133)

未来に語る歴史像~薩摩守 大伴家持

薩摩川内市には,「万葉の川筋散策の路」や川内駅前広場に,大伴家持の銅像が設置されています。大伴家持は,『万葉集』の編纂に関わったことで知られる著名な万葉歌人です。 『続日本紀』には,「従五位上の大伴家持を薩摩守に任じる」との記述があり,家持...
地名散策(22)

原良や常盤の古戦場跡と景勝地

2月26日号でも紹介しましたように,南北朝時代には,現在の鹿児島中央駅付近に,島津方と戦った畠中方の山城・陣跡である「原羅営(はららえい)」がありました。この場所は,江戸時代に名勝地として知られ,島津重豪が築いた「雄風亭」があった尾畔山(お...
歴史・自然(133)

大河ドラマと大宰府

・ 都督府古址 大宰府 私にとって大河ドラマは,中世の武将たちが繰り広げる迫力ある戦シーンが魅力でした。「光る君へ」は平安時代の貴族社会を描いた紫式部の物語のため仕方ないのですが,宮中の場面が多く,やや物足りなさを感じていました。 そんな中...
地名散策(22)

地名散策NO・16「平佐の地名由来」

薩摩川内市の平佐町は,川内川の左岸に沿って広がる地域です。JR薩摩川内駅の裏手にあたる細長い地域で,駅から平佐西小学校のあたりまでが平佐城があった場所で,秀吉の軍勢を相手に,少ない兵で籠城戦を行ったことで知られています。 三国名勝図絵による...
歴史・自然(133)

多々良製鉄と火の河原

NHKの「美の壷」で紹介された「たたら製鉄」は,出雲地方を始め全国的に昔から伝わる鉄の作り方です。藩政時代は,製鉄法は門外不出で長い間秘密にされていたので,あまり知られていませんでした。明治以降,少しずつ人々に知られるようになり,最近は「た...
歴史・自然(133)

村の行事と「村八分」

かつて学校でいじめが起きた際,「〇〇さんは,学級の中で村八分にあっているのでは?」と表現されることがありました。この「村八分」という言葉は,中世からすでに使われていたようです。 村全体で特定の個人や家族を仲間外れにすることです。これは,村の...