桂庵玄樹(10) 皇徳寺団地の由来となった寺院 永谷山皇徳寺跡 今回は中山インター近くの皇徳寺跡を訪れました。 日新公に儒学・朱子学を教え,『いろは歌』の原型を授けたと言われる桂庵玄樹の高弟,耕翁舜田とその弟子舜有(保泉寺)が一時期務めていた寺院であったからです。 寺跡の周りには畑が広... 2024.04.20 桂庵玄樹(10)県外の歴史(15)
県外の歴史(15) 直林寺(春山の石屋禅師創建の寺) 泰陽山直林寺跡(史跡標識) 石屋と桂庵が関わった禅宗系の寺院を取り上げています。今回は鹿児島市春山町にある泰陽山直林寺です。1384年(至徳元年)創建の直林寺は曹洞宗本山総持寺の末寺で,開山は通幻和尚,開基は石屋和尚の創建で本尊は阿弥陀如来... 2024.04.20 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
桂庵玄樹(10) 桂庵の訓読法とは【R6】4月18日 桂樹院(田ノ浦)は何処 桂樹院は,桂庵禅師のために薩摩で初めて建立された寺院です。この寺院について,「薩隅日地理纂考」にも次のように記されています。 「吉野橋の北約109メートルの場所に,文明年間(1469~1487)に桂庵禅師が開基した。... 2024.04.18 桂庵玄樹(10)
桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹の墓(伊敷町) 桂庵墓~日本の朱子学は薩摩から江戸に上った~ 今回,桂庵縁の地・山口県(下関市・山口市)を訪ねましたが,桂庵のことを知ってる人が殆どいませんでした。しかし桂庵と同じく大内氏の庇護のもと活躍した石屋禅師は,今でも山口県民に慕われていることを知... 2024.04.16 桂庵玄樹(10)
県外の歴史(15) 桂庵玄樹と文之和尚がいた串間市木の旧龍源寺 遣明船の寄港地 室町時代には,日南市の油津湊や外浦湊は,日向灘に面した天然の良港として栄え,遣明船の寄港地として知られていました。その中で,市木の旧龍源寺は薩摩との交易上の要所であり,繁栄を極めていました。町も栄え寺院はかつて4カ所も存在し... 2024.04.13 県外の歴史(15)石屋真梁(9)
歴史・自然(78) 惟宗広言と丹後局 丹後局舟着場跡(市来駅) 島津家の伝承によれば,初代忠久は,源頼朝の乳母比企尼の長女である丹後局が,頼朝の寵愛を受けて産んだ子どもとされます。その忠久が薩隅日三州の守護職となり薩摩に下向した際,生母の丹後局も同行し,その船が現在の市来駅近く... 2024.04.08 歴史・自然(78)
石屋真梁(9) 石屋真梁禅師の修行時代「円勝寺・広済寺」 伊集院町飯牟礼に石屋禅師(1345-1423)が若い頃,修業していた古城山円勝寺がありました。ここ飯牟礼の地は,伊集院氏の発祥の地に当たります。島津氏以前のこの地は,薩摩国なのに大隅国の鹿児島神宮領(万得領)になっていました。これは当時は... 2024.04.06 石屋真梁(9)
桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹の足どり 禅と朱子学 1427年に周防国山口(山口市)で生まれたとされます。8歳の時に①南禅寺に入り,景蒲玄忻禅師の雑務係として仕え,同寺の惟正和尚や景召和尚,蘭坡和尚らから朱子学などを学んでいます。1442 年に剃髪して僧侶となったとされ,その後,... 2024.04.03 桂庵玄樹(10)
桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹の足どりを訪ねて隼人「正興寺」 市指定「弥勒院・正興寺等墓域」 桂庵玄樹が関わった寺院に隼人の正興寺(大隅国一之宮・鹿児島神宮別当寺)があります。大隅国で正八幡宮がいかに勢力を誇っていたのか,宮内小の近くに四社家(正八幡宮の宮司などを務めた家柄)の巨大な土塁や堀が今でも確... 2024.04.02 桂庵玄樹(10)
桂庵玄樹(10) 桂庵玄樹が薩摩にやってきた理由 大内氏と島津氏 大内氏による庇護の下,石屋や竹居,後の桂庵たちが防府や長門,薩摩,大隅,日向の禅宗系寺院で活躍したのは偶然なのでしょうか。大内氏は遣明船交易によって財を成し,勢力を拡大し,大内文化を築き上げました。当時,大内氏や島津氏など... 2024.03.31 桂庵玄樹(10)