学校の運営に関わる主な法律

外国人の生活保護について

 生活保護の問題について前回の投稿しましたが,その続きです。

 かつて戦時中に特攻基地建設のために動員された朝鮮人の高齢者から話を伺ったことがあります。その方によれば,戦後,日本国籍を失った「台湾人や朝鮮人」が多く暮らしていた市町村役場や県庁には,旧来から認められていた生活保護に準じる保障を求める要望が多く寄せられ,それが国への要望となり,最終的に厚生省の通知につながったということでした。

・朝鮮人によるデモ

 朝鮮人が多く住む全国の自治体から都道府県を通して,同じような声が厚生省に届いたようです。この通知にあるように,もともと行政が念頭に置いていたのは,戦前から日本臣民として日本に居住し,戦後の国籍変更によって外国人となった台湾人・朝鮮人への配慮からの措置だったのです。また,その高齢者も「日本国籍」を取り戻すのに数十年の年月を要したそうです。

 

・多くの朝鮮人が飛行場建設に従事した知覧

日本臣民となった台湾人と朝鮮人

 台湾人は明治28年(1895年)の台湾割譲以降,朝鮮人は明治43年(1910年)の韓国併合以降,戦前の日本の法制度の下で日本臣民とされ,日本国籍を有していました。もちろん,参政権など政治的権利には大きな制限があり,現在の日本人と同じ権利が保障されていたわけではありません。しかし,国籍上は日本臣民として位置付けられ,当時の救貧制度や社会保障制度の対象にもなっていました。ところが,第二次世界大戦後,サンフランシスコ平和条約の発効などに伴って,在日朝鮮人・台湾人は日本国籍を失い,法的には外国人として扱われることになりました。ここで,それまで日本臣民として扱われてきた人々に対する生活保障をどうするのかという問題が生じます。
 昭和29年(1954年)に厚生省が出した「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」という通知は,こうした戦後の特殊な事情を背景として出されたものです。当時,行政が特に念頭に置いていたのは,戦前から日本に居住していた朝鮮人・台湾人でした。
 つまり,この通知を理解するには,単純に「外国人に生活保護を認めた通知」と見るのではなく,戦前には日本臣民として生活していた人々が,戦後になって外国人となったという歴史的経緯を踏まえる必要があります。
 その後,通知に記された「外国人」という文言を根拠として,拡大解釈され人道上の対応から,その他の外国人にも行政上の措置として生活保護に準じた保護が行われるようになっていきました。
 ここに,現在の外国人に対する生活保護の問題を考えるうえで,一つの重要な論点があります。すなわち,戦後の特殊な事情を背景として設けられた行政上の措置が,その後70年以上にわたって運用され,現在では当初想定されていなかった外国人にも及んでいることを,どのように考えるべきなのかという問題です。

就学援助の担当者として

 私は教頭時代(公民館主事の福祉業務を含む),就学援助などを担当する中で,生活に本当に困っているにもかかわらず,さまざまな事情から認定につながらない家庭を数多く見てきました。中には「生活保護だけにはお世話になりたくない。それが自分のプライドだ」と言って,最後まで制度の利用を拒み,亡くなられた保護者もいました。残された子どもたちのことを考えると,今でもいたたまれない気持ちになります。(この事件は報道されましたが,詳しい原因等は記されていませんでした。)

 本当に困っている日本人が,必要なときに安心して利用できる制度であってほしいと思っています。その一方で,限られた財源の中で支援を必要とする人が十分な支援を受けられないのであれば,外国人に対する生活保護に準じた行政措置についても,在留資格や生活実態,扶養可能な親族の有無などを踏まえ,公平で適切な基準によって運用する必要があるのではないでしょうか。

 また,ネット上で指摘されている「病気の治療や生活保護を目的として入国するケース」が事実であれば,国籍にかかわらず,制度本来の趣旨から外れるものとして厳正に対処すべきです。

 ただし,日本で長く暮らしてきた外国人が病気や障害などによって困窮した場合は当事国と連携した上で,生活保護ではない別の制度や新たな対応策を講じるべきだと思うのです。そうした人への人道的な支援を含め,国会で十分議論する必要があると思います。昭和29年の通知からすでに70年以上が経ち,日本社会も外国人を取り巻く環境も大きく変わっているのです。

 だからこそ,70年以上前の当分の間という行政上の措置をそのまま続けるのではなく,外国人への生活支援をどこまで,どのような根拠で行うのかを,新たな法律を国会で改めて議論する時期に来ているのではないでしょうか。本当に困っている人が必要なときに支援を受けられ,支える側も「この制度なら納得できる」と思える,公平で分かりやすい仕組みを整えて欲しいと思います。

ちょいとブレイク

枕崎通知

 通知と言えば,かつて当ブログで「枕崎通知」について投稿したことがあります。

 私が教員になって4年目の夏休み,一種免許状を取得するために東京の大学で約1か月間のスクーリングを受けたいと校長先生に相談したところ,「県外で1か月も続けて研修するのは難しいですよ」と言われました。当時は自宅研修の制度があり,今回のスクーリングもその延長として考えられていたため,そうした判断だったようです。そこで父に相談すると,「枕崎通知には,事務職員のスクーリングは認められるとあるから,それを参考にしてもう一度聞いてみたらどうか」と助言されました。翌日,校長先生に「事務職員のスクーリングには特別休暇が認められているそうです。それなら,教員のスクーリングも研修として認めてもらえるのではないでしょうか」とお願いしてみました。校長先生が教育委員会に確認してくださったところ,教員についても研修として認められるとのことで,私は夏休みの約1か月間,東京の大学でスクーリングを受けることができました。

 枕崎通知

 「枕崎通知」とは,昭和32年(1957年),当時の枕崎市教育長が,特別休暇の中の「やむを得ない私事故障」とは何か,具体的にどのような場合が該当するのか分かりにくかったため,県教育委員会に照会したことに対する回答(通知)です。
 その中で,「やむを得ない私事故障」に該当する具体例として,「事務職員のスクーリング」や「社会通念上認められる冠婚葬祭」,「遠隔地の弔祭休暇の加算」,「職務上の研修会」などが示されました。当時は,こうした休暇の扱いについて市町村ごとに解釈が分かれることもあったため,この通知は学校現場にとって非常に分かりやすい指針になったのです。

 法律や規則の条文だけでは判断しにくい具体的なケースについて,こうした通知や照会回答によって考え方が示されることで,現場の職員も「この場合はこう扱えばよいのだ」と安心して制度を運用することができます。

 私自身も,かつてこの「枕崎通知」に助けられて,東京で1か月間学ぶ機会を得た一人でした。

昭和29年の厚生省の通知

 この枕崎通知と同じ様に,昭和29年の厚生省の通知も,全国の生活保護担当の現場の疑問に対して,所管省庁が法令の解釈や運用上の考え方を示した「通知」なのです。

 法律ではない,関連省庁からの「通知文」とは,どのようなものなのでしょうか。
 通知文は,何の根拠もなく,やみくもに出されるものではありません。法律の解釈や具体的な運用について,都道府県や市町村などの行政現場から質問や照会があり,それに対して所管省庁が一定の解釈や運用上の考え方を示す形で出されることが多いのです。
 そもそも法律の条文は,どうしても専門的で難解な表現になりがちです。法律を読んでいると,「もう少し平易な言葉で書けないものか」と感じることもあります。しかし,実際に窓口で住民と接し,制度を運用する職員からすれば,条文だけでは判断できない具体的なケースについて,より細かな説明が必要になります。特に,住民の生活や権利,給付などに直接関係する部署では,法令が新しくなるたびに,「この場合はどう扱うのか」「このケースは対象になるのか」といった問い合わせが各地から寄せられます。こうした現場の疑問に対して,所管省庁が法令の解釈や運用上の考え方を示すものの一つが,「通知」なのです。
 ただし,ここで注意しなければならないのは,通知は法律ではないということです。国会で制定された法律とは法的な性格が異なり,通知によって法律そのものを書き換えることはできません。あくまでも,法令をどのように解釈し,行政の現場でどのように運用するのかについて,所管省庁が示す行政上の指針としての性格を持つものです。
 昭和29年(1954年)に出された厚生省の通知,「生活に困窮する外国人に対する生活保護の措置について」も,こうした行政現場における外国人の生活困窮者への対応について,厚生省が一定の考え方を示した通知でした。
 では,この通知は,なぜ出されたのでしょうか。そして,生活保護法第1条が「国民」を対象としている一方で,なぜこの通知によって外国人に対して生活保護に準じた保護が行われるようになったのでしょうか。ここには,戦後の日本の国籍制度や,当時の在日外国人をめぐる事情など,現在の制度を考えるうえで重要な歴史的経緯があります。

教員免許制度改正に伴う経過措置「当分の間」

 この厚生省通知の当分の間」という行政上の措置をいつまでも続けるのではなく,新たな法律として国会で改めて議論し,誰にでも分かりやすい仕組みに整えてほしいと書きましたが,実は私自身も,かつて,この「当分の間」という行政上の措置に助けられたことがありました。

 教頭になった段階で,私は二種免許状しか持っていませんでした。教育職員免許法上,教諭の専修免許状または一種免許状を有していることが資格要件とされていました。つまり教頭になるためには,教育職員免許法上の「教諭の一種免許状を有し,教諭など教育に関する職に5年以上在職していること」が管理職の資格要件とされていました。しかし,昭和63年の教員免許制度改正に伴う経過措置として,「当分の間」二種免許状でもよいとの「みなし規定」が引き続き設けられていたため,私は二種免許状のまま教頭に就任することができたのです。

 また,二種免許状しか持たない教員が一種免許状へ上進するための努力義務も設けられていました。通常,一種免許状を取得するには45単位の修得が必要でしたが,二種免許状を持ち教員として12年以上勤務した者については,これまでの教育実務経験が評価され,必要な単位数が10単位に軽減される措置がありました。つまり,経験年数を経れば一種免許状へ切り替えることができたのです。これは,前免許法が「教員としての経験を重視」していたことを示す制度でもありました。

 私の場合,教諭2校目の夏季スクーリングですでに一種免許状に必要な必修科目を修得していたため,残りの不足分を通信教育で補い,更に12年の経験を以て無事に一種免許状を取得することができました。

 その後,教員不足が深刻化する中で,教員免許状を持たない社会人が特別免許状制度を活用して教壇に立つ例や,民間人校長が登用される例も見られるようになりました。こうした状況を背景に,教員免許制度の在り方や,その役割について改めて議論される時代になっています。

・教育職員免許状に関する規則 

学校の運営に関わる主な法律

 学校の具体的な運営では,下記の主な法律と共に文部科学省・教育委員会から出される通知や事務連絡の指示に従わなければなりません。

 公立学校の運営に関わる主な法律には,「教育基本法」「学校教育法」「地方公務員法」「教育公務員特例法」などがあります。さらに,「学校教育法」には,「学校教育法施行令」や「学校教育法施行規則」が定められており,これらを踏まえて文部科学省から行政文書として「通知」「通達」「事務連絡」などが出されています。これらの文書には,法令の解釈や具体的な運用方法,実施上の留意事項などが示されており,教育委員会や学校が適切かつ円滑に事務を進められるようにする役割を果たしています。つまり,法律が大きな原則を定め,その内容を施行令や施行規則が具体化し,さらに通知や通達,事務連絡によって現場での運用方法が示されるという仕組みになっています。
 ① 政令は,法律の委任に基づき内閣が制定する命令。
 ② 省令は,法律や政令の委任に基づき,各省大臣が制定する命令。
 ③ 告示は,法令で定められた事項や行政上必要な事項を広く公示するもの。
 ④ 通達は,法令の解釈や運用基準などを示すため,上級から下級機関に発する内部文書。
 ⑤ 通知は,特定機関に対し,制度の内容や事実,取扱いなどを知らせるための文書。
 ⑥ 事務連絡は,現場での事務処理や手続きなど実務上の連絡や確認事項を伝える文書。

 教員免許制度では,戦後しばらく「一級免許状・二級免許状」という区分でしたが,現在の「専修・一種・二種」という区分は,昭和63年の教育職員免許法改正により導入されたものです。旧来の一級免許状は,高等学校では専修免許状,小・中学校や幼稚園等では一種免許状に,それぞれ読み替えられました。

 その後,教員不足が深刻化する中で,教員免許状を持たない社会人が特別免許状制度などを活用して教壇に立つ例や,民間人校長が登用される例も見られるようになりました。こうした状況から,教員免許制度の在り方や,その役割について改めて議論が行われる時代になっています。

 

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