朝ドラもSNS時代の壁へ
朝ドラ「風,薫る」は,大関和「一ノ瀬りん(見上愛)」と鈴木雅「大家直美(上坂樹里)」という実在の看護師をモチーフにしたドラマです。現在では,インターネットでモデルとなった人物の経歴や史実を簡単に調べられるため,視聴者はドラマと歴史的事実を比較しながら楽しむことができます。コメント欄でも「この部分は完全な創作」「史実ではこうだった」といった意見が多く見られるようになりました。

一方,インターネットが普及する以前は,例えば『竜馬がゆく(司馬遼太郎)』や『伊達政宗(山岡荘八)』,『宮本武蔵(吉川英治)』など歴史小説の「創作部分」までもが史実であるかのように受け止められることも少なくありませんでした。現在は,受信者自身が容易に史実を確認できる時代となり,作品をより多角的な視点から楽しめるようになったことは,かつてとの大きな違いと言えるでしょう。
二人の看護師の生き様
実際に調べてみると,モチーフとなった二人の看護師はいずれも士族の出身で,母親が遊女という設定をはじめ,ドラマには史実とは大きく異なる点がいくつもあるようです。もちろん,朝ドラはあくまでもドラマであり,史実をそのまま再現するものではなく,一つの創作物として楽しめるように作られています。NHKも「実在の人物をモチーフとしつつ,大胆に再構成したフィクション」であることを明らかにしています。
しかし,物語に引き込まれ,史実を知れば知るほど,主人公の生い立ちや人生そのものが実在の人物とは大きく異なっていることが分かります。そのため,単なる脚色というよりも,実在の人物をモチーフにした別の物語として描かれているように感じてしまうのです。ドラマとして楽しみたい気持ちはあるのですが,史実を知ってしまうと,どうしても二つの人物像を重ね合わせて見てしまい,その違いが気になってしまうのです。

・アグネス・ヴェッチと大関和,鈴木雅
そんな中,先週は文が直美に見守られながら静かに息を引き取る場面が描かれました。文を演じた内田慈さんは,表情を変えることなく,目だけで繊細な演技ができる数少ない俳優さんで,思わず引き込まれました。ほかの俳優が表情や身ぶりを巧みに使って感情を伝える中,抑えた演技だけで深い感動を与える,本当にすごい俳優さんで感動しました。
直美の母との別れのシーン
先週の朝ドラは直美と母との別れのシーンでした。
「本当は言いたいことがたくさんあって,許したわけじゃない。何で捨てたの,何で名前もつけてくれなかったのって子どもの頃からずっと言いたかった。だから謝って抱きしめてほしかった。『お母さん』って呼んでみたかった。」
この直美がようやく口にしたこの言葉は,多くの視聴者の胸を打ったのではないでしょうか。その後,卯三郎が「名をつけなかったのは,拾ってくれた人に愛され,大切に育ててもらいたかったからでは」と母の立場で諭してくれます。その言葉を受け止めた直美は,実母と最後の時間を過ごせたことに感謝していきます。悲しみは消えなくても,互いの思いに触れられた結末はとてもとても感動的でした。
ちょいとブレイク(1)

名前を付けられた捨て猫
ところで「どうして名前を付けてくれなかったの」という場面を見て,名前に関する昔の出来事を思い出しました。
当時勤務していた学校は国道沿いにあり,門扉が無かった時代だったので,思いがけない「珍客」が年に何度か学校にやって来ました。
ある朝,子どもたちが,体育館の入口に置かれていた段ボール箱に入った「生まれたての子猫3匹」を職員室へ運んできました。箱には「かわいい子猫です。ほしい方に差し上げますので可愛がってください。」という手紙が添えられ,3匹とも手作りの首輪を付け,名前まで付けられていました。それを見た高学年の女の子が,「何で名前まで付けているのに捨てるの」と少し怒ったように言った言葉が今も忘れられません。

私は子どもたちに飼える人がいないか呼びかけましたが,「かわいい・欲しい」という声はあっても親の許可を得られず,一週間たち,二週間たっても引き取り手は見つかりませんでした。結局,学校で飼うこともできず,公民館を通して役場へ届けることになりました。

当時の学校では,「家では飼えなくなったので,子どもたちのためにさし上げます。」と保護者から預かった動物も多く,ニワトリやウサギ,カメ,熱帯魚,さらには転勤する保護者から譲り受けたプレーリードッグまで飼育していました。そのため,新たに子猫3匹を受け入れる余裕はありませんでした。
近くの学校では,学校の正門に捨てられた犬を子どもたちの希望で飼育し,その犬が亡くなると,再び正門に捨てられた犬を引き取るということが続き,結果として三代にわたって学校で飼育した例もありました。しかし,私たちの学校では,これ以上学校で動物を飼育し続けることは難しいと判断し,保護者には役場へ届け出たことをお話ししました。

・プレーリードッグ
特に小規模校では,児童数が少ないことから飼育委員会は殆ど機能せず,休日を含めた動物の世話は実質的に教頭の仕事になっていました。そのような事情もあり,子猫を引き取ることは現実的ではなかったのです。
ちょいとブレイク(2)

ウサギ生き埋め事件
私が管理職になってからは,学校でのさまざまな課題についてPTA役員の方々によく相談し,重要な決断をする前や学校として対応が難しいことも含め,管理職として抱えている悩みや考えを率直にお伝えしていました。
私が教諭時代,離島の学校で飼育委員会を担当していた頃,六羽のウサギを生き埋めにした教頭の事件が全国で大きく報道されました。その際,県教育長が「教育界から去っていただきます」と述べた談話も大きく取り上げられました。
もちろん,子どもたちが大切に育てていたウサギを生き埋めにするという行為は,決して許されるものではありません。教育者である以前に,人としてあってはならないことです。
当時の報道では,教頭という仕事の過酷さや多忙な勤務実態が語られることはほとんどなく,「教育者であるにもかかわらず」という厳しい批判ばかりが目立ちました。そのことに,私は何とも言えない悲しさと空しさを覚えたことを今でも忘れられません。

後に,その教頭は数多くの宛て職や業務(本来学校がする仕事ではない,或いは教員として法的にしてはいけない業務)を抱え,精神的に追い詰められ,正常な判断ができない状態で愚行に至ったのだと聞きました。もちろん,それで行為が許されるわけではありません。しかし,だからこそ,なぜそのような事態に至ったのかという要因についても,社会にきちんと伝えられるべきだったのではないかと思います。
教育長には,まず県民や子どもたちに深く謝罪すると共にそこに至った経緯を説明し,再発防止に向けて取り組む姿勢を示してほしかったという思いがあります。しかし「去っていただきます」という言葉だけが強く印象に残り,現場で懸命に働く教職員にとっては,「臭いものに蓋をする」ように問題の本質よりも当事者を切り捨てることが優先されたかのような印象を受けました。
今振り返ると,あの事件は一人の教頭だけの問題ではなく,当時の教育現場が抱えていた過重な業務や労働環境という課題を改めて考えさせられる出来事でした。そして,それは現在の教員の長時間労働やブラック問題にもつながっているように思います。教育現場出身として初めて県教育長に就任された方だっただけに,あのときの対応には残念な思いが残っています。
