鉄のフライパン
今日のNHKの「あさイチ」は「鉄のフライパン」の特集でした。かつてはわが家でも使っていましたが,高温で料理することが多いので,つい焦げ付かせてしまい,せっかくの素材を台無しにすることもありました。何といっても手入れが大変で,少し油断するとすぐに錆びてしまうのです。
ただ,番組を見ていると,鉄のフライパンには鉄ならではの良さがあります。ふっ素樹脂加工のフライパンのように,コーティングが消耗したら買い替えるというものではなく,サビや焦げを落としながら,手入れをして長く使えるのです。最初は「油ならし」や「油返し」など,少し面倒な作業がありますが,使い方を覚えてしまえば意外と扱いやすく,高温を保ちやすいので,肉や炒め物を香ばしく焼くのには向いているそうです。

ここ2~3年,妻も調理器具にかなり気を遣うようになりました。高齢になって体が弱ってくると,できるだけ発がん性が気になる食材や料理法,調理器具など,細かなことまで気になるようです。フライパンはセラミックコーティングされたものに,包丁はオールステンレス製に,そしてタッパーもプラスチック製からガラス製に変えました。ガラス製にしてからは,油汚れや匂いをあまり気にしなくて済むようになったそうです。
それでも,わが家は肉料理も多いので,「やっぱり肉料理は鉄でしょう」ということで,鉄のフライパンも一つ置いてあります。一方,煮込み料理では鉄分が染み出して,料理に鉄っぽい風味が付くことがあるので,あまり使いません。
考えてみれば,調理器具も一つですべてを済ませる必要はないのですよね。肉を焼くときは鉄,煮込み料理なら別の鍋,普段使いには手入れの楽なフライパンというように,料理に合わせて道具を使い分ける。そんなところにも,料理の楽しさがあるのだと思います。家事の道具も,便利さだけを追い求めるのではなく,「この料理にはこれ」と選ぶ楽しみがあるのは,なかなかいいものです。

・ わが家の囲炉裏と鉄製の調理器具です。囲炉裏は,私が管理職になってから,家での「飲み方」が増えたので購入しました。寒い冬場には,「囲炉裏」を囲んでの飲み方は弾み,酒も話も自然と進んだものです。
父が買ってくれた「種子包丁」
鉄製の調理器具と言えば,学生時代のこんな思い出があります。父が出張のついでに,当時私が住んでいた新高円寺のアパートまでやって来ました。出張の最終便に間に合わせるため,午前中にやって来ると,挨拶もそこそこに「金物店に行こう」と言うのです。言われるまま二人で高円寺の商店街を回り,「何を買うの?」と聞いてみると,「種子包丁」と言うのです。「そんなもの,鹿児島にしか売っていないよ」と言っても,「まあ,行こう」と言うので,何軒かの金物店を探して回りました。
「種子ばさみ」なら有名ですが,「種子包丁」なんて聞いたこともありません(当時の私は知りませんでした)。「そんなもの,売っているもんね」と半信半疑で探していると,なんと2軒目,高円寺駅近くの金物店に置いてあり,驚きました。しかも値段は7~8千円もする高価な包丁です。てっきり父が自分への土産に買うのだと思っていたら,「お前用に買った」と言うのです。
私は「ステンレス製の包丁があるから,いらないよ」と言ったのですが,父は「包丁は鉄製でないといけない。切れ味が違う」と譲りません。結局,包丁だけでなく,包丁を研ぐための砥石まで購入しました。さらに父は,「鉄製のフライパン」まで買おうとしたのです。さすがに「これは絶対に使わない」と思い,慌てて「それならラーメン用に使えるから」と,行平(ゆきひら)鍋に変更してもらいました。
今思えば,父にとっては「良い道具を息子に持たせてやろう」という親心だったのでしょうが,学生の私にとっては,突然始まった高円寺の金物店巡りから,種子包丁,砥石,そして危うく鉄製フライパンまで買わされそうになる,何とも忘れられない出来事になりました。

・鉄フライパンと行平鍋
包丁は鉄が一番
アパートに戻ると,父は買ったばかりの包丁の研ぎ方を教えてくれました。そこで父がわざわざ訪れたのは,「私のために包丁を買うためだった」と分かりました。当時のすでにステンレスの包丁を持っていたので,「そんな包丁,使わないよ」と言ったのですが,父は頑として「包丁は鉄が一番だ。切れ味が違う」と言い張ります。せっかく父が買ってくれたものですから,その後,何とか使ってみたのですが,結局使ったのは1~2回だけでした。今思うと,せっかく買ってくれた父には申し訳なく,反省しきりです。
使わなかった一番の理由は,とにかくすぐに錆びることでした。何しろ学生ですから,そもそも料理をほとんどしません。包丁を使うのもひと月に1~2度程度のことですから,使うたびに砥石を出して手入れをするなんて,面倒くさいのです。気がつけば,包丁は使われることもなく,押し入れの中へ。そうして何度か引っ越しをするうちに,いつの間にかその包丁も無くなってしまいました。父があれほど「鉄が一番だ」と力説して買ってくれた包丁でしたが,学生の私に,鉄の包丁の良さなど分かるはずもありませんでした。

男子厨房に入らず
結婚して料理を手伝うようになってから,時々あのときの父の気持ちを考えることがあります。父は,ただ本当に「鉄の包丁が一番いい」と思って買ってくれたのでしょう。学生の私に少しでも良いものを持たせてやろうと思ったのかもしれません。当時の私は,そんな父の思いなど知る由もなく,「すぐ錆びる,使いにくい包丁」くらいにしか思っていませんでした。
ところが,料理をするようになり,包丁を使ったり手入れをしたりするようになると,鉄製の包丁の良さも少しずつ分かるようになってきました。そう考えると,父がせっかく買ってくれた包丁を大切に使わず,結局いつの間にか失くしてしまったことが,今になって何とも悔やまれます。あの頃にもう少し料理をして,父の言っていた「鉄が一番」の意味を分かっていればよかったのですが,今さら後悔しても,あの「種子包丁」は戻ってきません。

「男子厨房に入らず」と言われた明治から戦前頃までは,家庭の炊事は女性の仕事という意識が長く続いていました。しかし,ガスや水道もなく,火を起こしたり,水を運んだりしなければならなかった時代の大変な炊事から解放され,調理器具もどんどん便利になってくると,料理は単なる家事ではなく,だんだんと「楽しむもの」にもなってきました。
そうなると,料理は女性だけのものではなくなりました。便利な道具を使って,いろいろな料理を試してみる。うまくできればうれしいし,失敗すれば「次はどうしようか」と考える。そんな料理の面白さを,男女を問わず一緒に楽しめる時代になってきたのだと思います。「男は台所に入るな」と言われた時代から,今では「男も料理を楽しもう」という時代に変わりました。調理器具の進歩は,単に料理を楽にしただけでなく,料理そのものを楽しむ人を増やしたのかもしれません。
台所の中にあった井戸
話は変わりますが,私が小学校低学年の頃まで住んでいた借家には,なんと台所の中に井戸がありました。家で使う水は「井戸の手押しポンプ」で汲み,火は薪を使っておこすのが私の担当でした。今考えると,小学生の仕事にしてはなかなか大変だったなと思います。
終戦直後ならともかく,当時は地方でもプロパンガスを使う家がだんだん増えていました。そこで2年目になると,大家さんが台所にプロパンガスを,井戸には電気ポンプを取り付けてくださり,水も蛇口をひねれば出てくるようになりました。薪を運んで火をおこし,手押しポンプで水を汲んでいた生活が,ガスと電気ポンプのおかげで一気に便利になったわけです。子ども心にも,「蛇口から水が出る」というのは,ちょっとした文明開化でした。

蛇口をひねれば水が出てくる生活
そのときは,本当にうれしかったものです。それまで1~2時間もかかっていた私の仕事は,風呂焚きだけになりました。子どもにとっては,ずいぶん楽になったのです。そして何より助かったのは,母だったと思います。毎日の水汲みや火おこしに時間を取られることがなくなり,料理にかかる時間も大幅に短くなりました。

今では,ガスはもちろん,蛇口をひねれば水が出てくるのも当たり前です。でも,当時の私たちにとっては,それだけで毎日の暮らしが大きく変わるほどの大きな出来事でした。水を汲まなくてもいい,薪をくべて火をおこさなくてもいい…それだけのことが,子どもの私にはこ毎日の暮らしを大きく変える出来事で,本当にありがたいことでした。

下駄を履いて下りた「土間の台所」
ガステーブルが入ると,時間に余裕が出て母の料理のレパートリーも少しずつ増えていきました。魚肉ハムやソーセージ,卵料理など,それまであまり食べることのなかったものが,毎日のように食卓に並ぶようになったことが,私には何よりうれしかったものです。ガスが使えるようになり,台所が便利になっただけでなく,食卓まで豊かになったのです。
一方で,当時の台所は一段低い土間になっていて,台所に入るときは下駄を履いて下りました。冬になると,顔を洗うだけでも寒くて,できれば下りたくない場所でした。しかも当時の住宅では,風呂や便所が家の外にあることも珍しくありませんでした。雪が積もるような寒い夜に風呂から出て,外を歩いて部屋に戻るだけで,体が冷えきってしまいます。私は,風呂から上がると湯冷めしないように,そのまま布団へ一直線でした。

今では考えられないような生活ですが,当時の高齢者にとっては,こうした寒さが命に関わることも少なくなかったようです。妻の祖母も(祖母の家はかまどや流し台がある台所が母屋の外にあった)正月の料理をするため朝早くから寒い場所で作業をしていたそうです。そして昭和40年代の正月,その料理の最中に寒さのため心筋梗塞で亡くなったそうです。まだ73歳の若さでした。

そう考えると,ガスや水道,家の中の台所や風呂といったものは,単に「便利になった」というだけではありません。料理をする人の負担を減らし,家族の食卓を豊かにし,そして寒さから命を守ることにもつながったのです。今では蛇口から水が出て,ガスや電気で料理ができ,暖かい部屋から風呂に入れるのが当たり前ですが,私たちが当たり前だと思っている暮らしの一つ一つが,昔の人にとっては大変有難いことだったのです。
| 2010年(平成22年)以降,除籍簿と改製原戸籍の保存期間が150年となったため,原則として幕末の1860年(万延元年)頃までしか戸籍を遡って調べられなくなりました。 幸い,我が家には父が昭和20年代に取り寄せていた戸籍が残っているため,江戸期の戸籍を見ることができます。その中には,正月というめでたい時期に亡くなった高祖母もいました。 妻の祖母の事例と同じように,こうした出来事は,当時の家屋の造りとも関係しているのではないでしょうか。大晦日になると親族が集まり,お正月まで大勢で過ごしていました。寒い台所で女性たちは一生懸命料理を振る舞い,その疲れと寒さから正月の時期に突然倒れ,亡くなる人も多かったのではないでしょうか。 |
健康や安全面にも配慮された調理器具
現在の調理鍋やフライパンなどの調理器具は,鉄製やアルマイト製だけでなく,アルミ,ステンレス,銅など,用途に合わせて実に多くの素材で作られています。それぞれに特徴があり,料理に合わせて調理器具を選べるので,より調理しやすく,料理もおいしく仕上がるようになりました。また,健康面や安全面にも配慮された製品が増え,人体に有害な物質が溶け出しにくいものも多く,安全性の面でもありがたい時代になったと感じます。

・アルミや銅制の鍋
