歴史資料等の典拠の必要性
郷土史を調べる中で,典拠や裏取りを含め関連する資料集めは大変です。主に県立図書館などで,必要な箇所をコピーしたり,ノートに写し取ったりしていますがそれにも限界があり,次第に史料そのものが欲しくなります。これまでも何十年という時間をかけ,少しずつ集めた史料を保管してきましたが,地元の郷土誌をはじめ,『麑藩名勝考』『地理纂考』『鹿児島県史料集』といった高額な史料がどうしても必要になってきます。

しかし,県内には古本屋が数軒しかなく,神田神保町のような古書店街を訪れるようなわけにはいきません。予算が限られるので,ネットショッピングやブックオフなどを利用して購入しています。そんな中,最近,国立国会図書館デジタルコレクションや地元大学のデジタル化資料を検索する機会が増え,非常に便利になったと感じています。
郷土史研究は時間と手間のかかる作業ですが,地域の歴史に対する一つの視点や考え方を形にし,後々の子どもたちに残しておきたいと考えています。

・ 霊巌洞の「二天一流の由来」の碑文
司馬遼太郎の作風
先日の投稿で「坂の上の雲」の作者,司馬遼太郎を取り上げました。明治維新を題材にした多くの作品を残しており,特に薩摩に関連する人物を描いた作品が印象的です。「翔ぶが如く」では,西郷隆盛と大久保利通という維新の立役者を中心に,二人の友情と決別を軸として,征韓論や政変,不平士族の反乱から西南戦争へと至る歴史を,司馬独特の鳥瞰的(多くの登場人物の視点や関連する史料などで補完しながら立体的に描く)な手法で描いています。私も全巻所有していますが,鹿児島県民にとっては親しみのある作家の一人です。なお司馬遼太郎は,昭和43年名誉高知県人の称号が贈られたそうです。

・高知桂浜近くの坂本龍馬像
ただ残念なのは,司馬遼太郎が坂本龍馬を英雄として描く一方で,小松帯刀などの力添えでなし得た実績である点が描写されていないことです。細かく見ていくと,一介の浪人には出来ないことばかりです。それにもかかわらず,日本史上の輝かしい英雄として語られるのは,違和感しかありません。

・熊本市武蔵塚公園の像
五輪書『THE BOOK OF FIVE RINGS』
一方で,武蔵については,「宮本武蔵」と「五輪書」が英訳され,世界中のビジネスマンに「バイブル」として愛読されているそうです。熊本市の霊巌洞を訪れた際,外国人のカップルが座禅を組んで瞑想している姿を見ましたが,これは『五輪書』の影響によるものでしょう。『五輪書』の英訳本『THE BOOK OF FIVE RINGS』は,海外のビジネスマンが経営哲学を学ぶ書になっているそうです。こうした歴史や文化が国境を越えて広がっていく様子は嬉しいことです。

・ 熊本市武蔵塚公園
江戸時代から作られていた英雄伝
江戸時代から,「為朝伝説」や「宮本武蔵」,「忠臣蔵外伝」といった物語は,歌舞伎や浄瑠璃,講談などの題材として広く親しまれ,人気を博してきました。特に宮本武蔵に関する伝説は,吉川英治が戦前に朝日新聞に連載した小説『宮本武蔵』を通じて,「最強の剣士・武蔵」のイメージが確立しました。その後,ラジオ放送や映画化も相まって,宮本武蔵という一剣士が世界中に多くのファンを持つ存在となり,家康を凌ぐほどの存在になってしまったのです。他にも伊達政宗や真田幸村,黒田官兵衛なども同様の戦国武将です。

・ 二天一流(五方の形)
案内板によると,武蔵は自分の剣法を五輪の書「地の巻」にて二天一流と名付けているそうです。二天一流の二天というのは,武蔵が晩年に泰勝寺の春山和尚から与えられた「二天道楽」の頭文字の二天から採ったとのことです。五方の方は,二天一流の基本となる形になります。
新聞記者出身の作家
新聞,小説,映画,テレビなど,時代とともにメディアの影響力が拡大する中,新聞記者出身の吉川英治や司馬遼太郎は,その影響力の大きさを深く理解していました。特に戦前・戦中に新聞記者として活躍した作家には,反体制的な視点から作品を描く傾向が見られます。その一方で,読者の興味を引きつけるために,誇張や脚色が用いられることも少なくありませんでした。当然,熱心な読者は小説を歴史的事実として捉えてしまうのです。
しかし,「宮本武蔵という人物を借りて話を面白くしただけで,小説は史実ではない。史実と混同しないでほしい」と吉川英治自身が語っているのです。司馬遼太郎も同様の考えを持っており,「あくまで小説であり,フィクションも含まれる」と明言しています。大河ドラマも歴史小説も次第に史実と思い込む人たちも当然でてきます。司馬遼太郎の歴史小説の内容について典拠を示せと言う歴史専門家が多いことも聞きました。そこは,あくまでも創作ですからと伝えれば済むと思うのですが,済まなくなってきているのも事実です。
一方で,史料や逸話を巧みに織り交ぜたその描写は,現在ワイドショーなどでよく使う「声色を変えて顔が分からないシャドーで覆い,ある関係者の話…」としてニュースに混ぜ込む手法~これをやり出したら何でもありになってしまうのです。一般読者にとって史実とフィクションの区別を難しくしてしまっています。小説の行間に多くの史料やエピソードを取り込み,歴史上の人物を生き生きとした存在に作り上げることで,読者にとって身近なものになっています。しかし,こうした小説は,歴史を考えるきっかけにはなりますが,「真実」から遠ざけ,登場人物の生き方など探求する楽しみや意欲を阻害しているのではないでしょうか。
大河ドラマ「西郷どん」のセリフ
大河ドラマ「西郷どん」は,原作・林真理子さんと脚本・中園ミホさんによる作品です。特に,江戸無血開城を巡る西郷吉之助と勝海舟の会談が見どころの一つです。遠藤憲一さん演じる勝海舟が放つ,「江戸100万の民に塗炭の苦しみを舐めさせて,つくる国にこの先どんな望みがあるってんだ。西郷どんが背負う新しい日本ってのは何だい」というセリフや,鈴木亮平さん演じる西郷吉之助が「分かりもした。半次郎,川路,明日の総攻撃は取り止めじゃ」と応じる場面は,二人の白熱した演技が光ります。
会談成立後,勝が縁側に立ち満開の桜を眺めながら放ったセリフも印象的です。「江戸が焼けないで良かった。おかげで今年も上野の桜が見られる。西郷どん,ありがとうよ」「礼を言われるのはまだ早すぎます」「いや,そんなことはないよ。こうなったら,上野にお前さんの銅像とやらでも建ててやらねぇとな」というやりとりです。
幕末の慶応4年(1868年)3月という時期に,このような銅像に言及するセリフが存在するはずもなく,西郷関連の史料や書籍を調べてもその記録はありません。これは当然ながら作者の創作によるものです。しかし,こうしたフィクションのセリフが,後々には史実と誤解される可能性があるのが歴史小説の面白さであり,怖さでもあります。
