PTA設立の経緯
学校の金庫の中には「備付表簿(そなえつけひょうぼ)」という公簿が入っており,その保存年限が法律で定められています。その中でも永年保管が義務付けられているのが「学校沿革誌」と「卒業証書授与台帳」の二つです。学校沿革誌は学校の歴史が記されており,明治の開校以来の古い行事や出来事が詳細に記録されている貴重なものもあります。その中にPTAに関するものがあり,戦前までの学校後援会という組織の設立経緯やその取組,人事などについても記載が詳しく残っています。

後援会やPTAの設立と経緯
1 明治5年の「学制」発布 日本の初等教育は,明治5年の「学制」発布により始まりました。これにより,日本中で学校が設立され,多くの子どもたちが入学してきました。当初,小学校の多くが藩政時代の寺子屋を母体とした小規模で簡易な施設で始まりました。行政の手が全国隅々に届いていなかったため,授業料も有償で,敷地や校舎,建物の建材,備品の多くが地元住民や名士の寄付に頼っていました。この取り組みは,後に後援会の発足へとつながっていきました。 明治19年の「小学校令」により,尋常小学校の4年間について保護者に就学義務が課され,「義務教育」が正式に始まりました。その後,法改正を経て6年間の授業料が無償化され,現在の教育制度に近づいていきました。しかし,施設整備面に関しては行政の支援が十分ではなく,地域の協力に依存していました。 2 学校後援会の結成 明治32年には,すでに最初の学校後援会が結成され,多くの学校で「後援会」「父兄会」「父母会」「母の会」など,さまざまな名称の団体が設立し,日本におけるPTA運動の始まりと考えることができます。かつて勤務していた学校で,戦前まで20年近く連続で学校の後援会長を務めていた地元名士のお話を聞いたことがあります。その方は地元企業の社長や議会議員を兼任しており,大きな影響力を持っていた方で,当然保護者ではありませんでした。 3 GHQによるPTAの導入 学校後援会の活動はアメリカでのPTA発足とほぼ同時期に学校支援組織として始まっていたのです。このため,多くの地域で有力者が資金提供もするが,学校運営に意見を述べるケースも見られていました。学校の民主的自治を目指していたGHQはこの状況を重くとらえ,学校(教師)と保護者との関係性を重視したアメリカ型のPTA活動を導入したのです。 この学校後援会の組織や介入は戦後もしばらく続いており,ことを急いだGHQの指示を受けた役所の行政指導により,昭和23年頃に多くの学校でPTA組織として発足したのです。新たなPTAは戦前の後援会などの活動を引き継ぐ形で組織されましたが,従来の学校運営において地域の有力者が主導し,寄付集めを中心とした活動を行う傾向が色濃く残る団体でもありました。 4 学校予算とPTAの設立 行政からの教育予算が十分でない中,PTA経費から不足を補填する必要がありました。本来のPTA活動に充てられるべき支出の割合が低く,公費で賄われるべき学校活動費をPTAが負担したり,教員の給与補助金を支給したりする事例が少なからず見受けられました。これらの状況は適切とは言えず,後援会の存在が民主主義を阻害するものとして問題視されるようになっていきました。 5 本県の状況 戦後しばらくの間も,学校教育に必要な備品や経費を父母に頼らざるを得ない異常な状況が続いていました。「もはや戦後ではない」と言われた昭和30年代に至るまで,政府や県の教育予算は依然として厳しく,設備備品や教授用品費など,本来地方公共団体が負担すべき教育費の多くがPTAの寄付や父母の負担に依存している実態が問題になっていたのです。 鹿児島県においても「教育組合」と呼ばれる組織が小学校単位で設けられていたようです。この組織は地域住民で構成され,就学促進や校舎整備などの資金支援を目的として活動していました。しかし,これらの取り組みには弊害も多く,日本の民主化を目指していたGHQは,学校教育の抜本的改革を推進する必要性を考えていました。その一環として,PTAの設立と普及を有効な方策と位置付け,積極的に奨励する方針を掲げたのです。 |

※ 学校への「支援もするが,運営に意見も述べる」という学校後援会の存在と影響力を重くみたGHQ…。現在でも例えばスポーツ少年団の組織が力を持ちすぎるケースが見られます。「母親たちは仕事があるので先生に任せたい」と学校職員が勤務時間中にもかかわらず,「子どもたちの安全管理」を名目に,下校後直ぐに指導に当たる状況が多くの学校で見られます。中には大会が近づくと職員会議や研修を欠席し,年休を取り少年団の指導をしている教員もいるとのことです。このような少年団にとって都合の良い,明らかなルール違反や法令違反があるにもかかわらず問題視されないことが,「ブラック問題」を解決できない大きな要因なのです。

PTA不要論
PTA不要論が唱えられる中,岡山県PTA連合会の解散の話題は驚きでした。他県でもPTA解散を検討する小学校が増えており,地域に活動を引き継ぐ動きが見られます。子どもたちの健全育成という観点でPTAの果たしてきた役割は大きいのですが,その役割を地域に求めても抜本的な解決には至らないのではないでしょうか。

地域でも大きな存在となっているのが,若いPTAの力なのです。小さな地域の学校では,子どもの健全育成だけでなく,過疎化や高齢化問題,地域の活性化など多くの課題が山積しています。活動を継続できる人材や若者のみならず体が自由に動ける高齢者も少ないのです。
学校が自由参加で保護者に呼びかけ,行事の手伝いや見守り活動を任意参加で実施する例もあります。一方で,PTA解散により教育支援が分断され,地域社会の連帯感が薄れる懸念もあります。県外のある学校の「義務や会費が不要で,希望者が参加するボランティア型の組織(PTCA)」の設立が注目されています。PTAの意義は「保護者と教職員,保護者同士の交流の場」としての側面もあり,こうした場が失われることを惜しむ声も理解できます。地域に合った新しい枠組みの模索が重要です。

あいご会活動
鹿児島市には「あいご会」という組織があります。当時この会は,学校の教頭や担当者から役員を依頼することが多く,毎年役員決めの場でよく聞かれるのが,
「私のような高齢者に役を押し付けるのはどうかと思いますよ。今の学校の子どもたちの顔すら知らないのですよ。」というような意見でした。私の答えも毎回同じで,「鹿児島には郷中教育という伝統的なシステムがあり,それが明治維新を成し遂げる基盤となったと思っています。子どもは家庭,学校,そして地域で生活しています。また『子どもは地域の宝』と言われ,地域全体で協力して育てることが重要だと考えています。この『あいご会』は,全国でただ一つの珍しい組織なのです。子どもがいる・いないに関わらず,全市民が協力し,子どもを育てる組織なのです。ぜひ協力していただけませんか?」と話していました。
声かけ運動での出来事
さらに,「朝夕の挨拶運動や声かけ運動」などが主な活動で,その他には町内会と連携した青少年の健全育成行事が中心で,難しいことはありません。登下校時に近所の子どもたちへの挨拶や声かけをしていただくだけでも十分です。」「私が小さい頃,悪いことをすると近所のお爺さんたちによく怒られたものです。現在は顔も知らず,声かけすらない状況です。先ずは子どもたちの登下校時に近くを通る子に声かけをしていただくだけでいいのですよ。」こう話すと,「それならやってみようか」と引き受けてくださいました。

しかし,それから暫くたったある日のことです。私が出張から学校へ戻る途中,その方の家の前でパトカーが赤色灯をつけて停まっているのを見かけました。何かと思い近づいてみると,その方が警察官に職務質問を受けていたのです。そして私を見つけると,大声で怒鳴ってきました。
「教頭先生が声かけをしろと言うからやったのに,子どもの母親が警察に不審者だと通報したんだよ。どういうことよ。」私はその方と保護者にひたすら謝り,警察に事情を説明して帰ってもらいました。今では笑い話ですが,当時はその方をなだめるのに一苦労しました。その方は,良かれと思い挨拶だけでなく,子どもたちの担任の名前や授業の内容まで色々と聞いてきたと言うのです。驚いた子どもが母親に伝えると不審に思い警察に電話を入れたとのことでした。
翌週の全校朝会で「見守り隊」全員に集まっていただき,子どもたちに「黄色いタスキをしているこちらの人たちは,皆さんを見守ってくださる方々です。すれ違うときにはきちんと挨拶をしましょう。」と伝えました。今から30年近く前の出来事です。何でもそうですが,何か新しい取組をしようとするときは十分な理解と多くの方の協力が必要なのです…!。