指宿海軍航空基地哀惜の碑(その1)

 

県内の特攻関連施設

 指宿の知林ヶ島近くにある指宿海軍航空基地跡を訪ねました。昨年,パリオリンピック日本代表帰国会見で,卓球の早田ひな選手が「鹿児島の特攻資料館を訪ねて,生きていることや卓球ができることが当たり前ではないと感じたい」と語ったことが話題になりました。早田選手が,知覧を舞台にした映画『あの花が咲く丘で,君とまた出会えたら』を観て感動したことをネット記事で知りました。

 ・昭和53年に枕崎沖合で発見されたプロペラ

 またこの映画の原作者の汐見さんは鹿児島出身で、小中学生の時に社会科見学で訪れた知覧特攻平和会館で特攻隊員のことを知って衝撃を受けたそうです。高校の教員になって生徒が戦争や特攻隊のことを知らないという現実に直面し,若い世代に伝えるため、ケータイ小説を書いたようです。

・指宿海軍航空基地

 しかし,その後この発言を取り上げたテレビ局は多くありませんでした。表現や思想の自由が掲げられる中で,このような思いが公の電波で共有されない現状に,日本の不自由さを感じざるを得ません。

 私はこの若い人たちの思いをきっかけに,県内の関連施設を久しぶりにいくつか巡っています。一方で,知覧の特攻基地や戦争をテーマにした映画が,どうして「戦争美化」につながり中国や韓国から批判されているという話を耳にし,とても残念に感じています。何故そのような解釈になるのか,日本人として理解しがたく,感覚の違いに戸惑いを隠せません。

特攻平和会館の取組

 かつて南九州市の『平和へのメッセージ from 知覧 スピーチコンテスト』に審査委員として関わった際,知覧役場の方から,特攻記念館を訪れる外国人の反応について伺ったことがあります。彼らが示す反応や感想には多様性があり,平和を祈る思いが伝わる一方で,戦争や特攻の解釈の違いを改めて考えさせられました。

 役場の方の話によると,鹿児島からバスではるばる知覧を訪れる外国人も多く,その意見も賛否両論のようです。特攻平和記念館の展示内容についても親日的な意見もあれば,反日的なものもあるなど,捉え方も様々です。20名ほどいる朝鮮人の特攻隊員の多くは志願によるものであり,強制連行はなかったようですが,鹿児島や宮崎の特攻基地の建設や維持管理には,多くの朝鮮半島出身者が動員され,周辺にはいくつか集落が形成されていたことも事実のようです。また,映画『ホタル』をきっかけに富屋食堂や平和記念館を訪れる韓国の若い女性も多いことを知りました。
 展示内容については,「まだ10代の若者の悲劇を語り継ぐことには意義がある」「展示を見て特攻隊員への偏見がなくなり,考えが変わった」「家族を思いながら飛び立った若い特攻兵の気持ちになると辛い」と好意的な意見も多いそうです。一方で,「特攻で亡くなった米国人への敬意が感じられない」「日本の武力侵略や戦争責任に関する展示がない」「アジア諸国への侵略責任を描かない施設は,戦争を美化しているように見える」といった批判も根強いようです。今ではネット等で戦時中の戦勝国の残忍な行為も広く知られるようになっています。しかし,日本は敗戦国として平和を語ること自体色々な立場が混在しており,せっかく知覧まで時間をかけやって来て見学しているのに,主義・主張がほとんど変わらない外国人が多いことも考えさせられました。

・海軍飛行予科訓練生「指宿訓練基地」

 知覧の特攻平和会館は,「二度と悲惨な戦争を起こしてはならない」という平和のメッセージを発信し,「平和の大切さ」「命の尊さ」を語り継ぎ,世界恒久の平和に寄与することを目的としています。この理念に基づき,町民レベルでさまざまな活動が行われています。

 この平和への取り組みの一環として,『平和へのメッセージ from 知覧』は,もともと小学生対象の作文コンテストと,中学生から一般までを対象としたスピーチコンテストに分かれており,35年以上続く長い歴史があります。一方で,加世田の友人から「万世も百名以上の特攻隊員戦死者を出しているし,県内には多くの特攻関連の遺産があるのに,すべて知覧に注目が集まってしまう」と愚痴を聞いたことを思い出します。しかし,知覧がこれほど注目されるのは,町として単に施設面の整備にとどまらず,各種コンテストや語り部活動といったソフト面にも熱心に取り組んでいるからではないでしょうか。

 資料館によれば,知覧基地をはじめ九州各地や台湾など,さまざまな基地から特攻隊が出撃していました。その中でも,知覧基地は本土最南端に位置していたため,最も多くの出撃が行われました。全特攻戦死者1,036名のうち,知覧基地から出撃したのは439名と,半数近くを占めています。このような背景が,知覧が特攻に関する活動や記憶の中心地として位置づけられる理由の一つなのでしょう。

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