指宿海軍航空基地哀惜の碑(その2)

魚見岳展望台麓の航空基地

・案内板より

 哀惜の碑より,「君は信じてくれるだろうか。この明るい穏やかな田良浜がかつて太平洋戦の末期本土最南端の航空基地として,琉球弧の米艦隊に対決した日々のことを拙劣の下駄ばき水上機に爆弾と片道燃料を積み見送る人とていないこの海から万感をこめて飛びたち遂に還らなかった若き特別攻撃隊員が82人にも達したことを併せて敵機邀撃によって果てた百有余人の基地隊員との鎮魂を祈ってここに碑を捧ぐ」

 指宿市東方にある魚見岳展望台の下から指宿総合体育館や野球場,グランドゴルフ場付近までの広大な敷地には,かつて指宿海軍航空基地がありました。この海岸地帯の基地は昭和19年に開設され,水上機の離発着基地として利用されました。ここでは水上機の訓練を行い,九州南方海域での敵捜索や船団護衛などの任務に従事していました。

 終戦間近には航空機の特攻作戦が行われ,その多くは「神風特別攻撃隊」として語り継がれています。1945年3月に始まった沖縄戦では,日本軍は大規模な特攻作戦を展開しました。これらの特攻隊の出撃基地は,鹿児島県,宮崎県,熊本県など南九州に集中しており,特に地理的条件から鹿児島県内の基地が多く利用されました。

 熊本県の菊池・健軍基地,宮崎県の冨高・新田原・宮崎・都城基地,そして鹿児島県の出水・第一国分・第二国分・岩川・串良・鹿屋・鹿児島・万世・知覧・指宿などの基地から多くの若者たちが飛び立っていきました。

水上機の基地

 説明板によると,指宿海軍航空基地は水上機の基地として昭和19年1月1日に開隊し,第453海軍航空隊(旧宿毛空を改編)の基地となり,同年12月15日,第951海軍航空隊に統合され,同隊指宿派遣隊となりました。配備されていた零式水偵(3座),94式水偵(3座),零式観測機(2座)にて索敵訓練及び対潜哨戒,船団護衛等の任務に従事していました。尚佐伯空の派遣隊が2式練艇にて大型機操縦の訓練と九州南方海域の対潜哨戒を行っていました。

・ 水上機

・ 水上機の基地として指宿海軍航空基地に配備されていた機種。なお当基地は3/18,米艦載機の攻撃に始まり5/5のB-29に依る爆撃で壊滅的被害を受けた。(説明板より) 

 沖縄戦が始まると南西諸島方面索敵の要衝の基地となり水偵増援のための佐世保空,佐伯空,串本空,大湊空,偵察302飛行隊(瑞雲)等の派遣隊が飛来してきました。この頃より戦闘後の未帰還機がでるようになったそうです。

 昭和20年4月1日沖縄本島に米軍が上陸,4月下旬に至り制海権,制空権共に米軍の手に落ちてしまい,沖縄戦においてはやがて特攻機の不足から水上偵察機も特別攻撃隊として使用されたのです。参加した水偵機は,零式水偵と94式水偵(北浦空魁隊,詫間空琴平水心隊),零式観測機(天草空第12航戦,福山空琴平水偵隊)の3機種でした。 なお当基地は3月18日,米艦載機の攻撃に始まり5月5日のB-29に依る爆撃で壊滅的被害を受けてしまいました。  

指宿海軍航空基地とは

 指宿海軍航空基地は水上機の基地として昭和19年1月1日に開隊し,第453海軍航空隊(旧宿毛空を改編)の基地となりました。同年12月15日,第951海軍航空隊に統合され,同隊指宿派遣隊となっています。配備されていた零式水偵(3座),94式水偵(3座),零式観測機(2座)で,索敵訓練及び対潜哨戒,船団護衛等の任務に従事していました。また佐伯の派遣隊が2式練艇にて大型機操縦の訓練と九州南方海域の対潜哨戒を行っていました。
 沖縄戦が始まると南西諸島方面索敵の要衝の基地となり水偵増援のための佐世保,佐伯,串本,大湊から偵察302飛行隊(瑞雲)等の派遣隊が飛来してきました。この頃より戦闘後の未帰還機がでるようになり戦火が激しくなってきました。
 昭和20年4月1日,沖縄本島に米軍が上陸,4月下旬に至り制海権,制空権共に米軍の手に落ちてしまい,沖縄戦においてはやがて特攻機の不足から機体の重い,水上偵察機も特別攻撃隊として使用されたのです。参加した水偵機は,零式水偵と94式水偵(北浦空魁隊,詫間空琴平水心隊),零式観測機(天草空第12航戦,福山空琴平水偵隊)の3機種でした。
 なお当基地は3月18日,米艦載機の攻撃に始まり5月5日のB-29に依る爆撃で壊滅的被害を受けてしまいました。

戦死者の出身県別の人数

1 神風特別攻撃隊琴平水心隊(詫間空)~香川県三豊市詫間    
福岡7・山口2・長崎2・広島2・静岡2・滋賀2・長野2・神奈川2・茨城2・大分・香川・新潟・兵庫・徳島・山形・石川・東京・愛知・群馬・京都・鹿児島・滋賀・埼玉・三重・和歌山(計38名)
2 神風特別攻撃隊第12航空戦隊二座水偵隊(天草空)~熊本県天草市佐伊津    
長崎2・福岡2・大阪・新潟・石川・山口・群馬・東京・鹿児島・静岡・高知・福井・愛媛・広島(計16名) 
3 神風特別攻撃隊琴平水偵隊(福山空)~広島県福山市鋼管    
静岡2・福島・愛知・徳島・香川・富山・鳥取・大分(計9名)
4 神風特別攻撃隊第1魁隊(北浦空)~茨城県潮来市大生    
東京5・茨城3・神奈川2・石川・静岡2・千葉・兵庫・鹿児島・宮城・福島・徳島・宮崎・福岡・佐賀・台湾(計23名) 
5 神風特別攻撃隊第2魁隊(鹿島空)~茨城県稲敷郡美浦村大山(霞ヶ浦)    
東京3・大阪2・神奈川2・京都(計8名)
6 佐伯空指宿派遣隊~大分県佐伯市東浜  
東京7・愛知3・山口2・宮城2・新潟2・福岡2・奈良2・岡山・滋賀・千葉・広島・神奈川・茨城・兵庫・高知・鹿児島・香川・島根・三重(計32名)
7 801空指宿派遣隊~鹿児島県指宿市東方   
千葉2・東京・兵庫・福島・高知・香川・静岡・岐阜・大分・新潟(計11名)
8 951空指宿派遣隊    
鹿児島9・大分7・東京4・愛媛3・山梨2・徳島2・福岡2・福島2・愛知2・大阪2・岩手2・和歌山・島根・香川・長崎・宮城・青森・徳島・沖縄・兵庫(計45名) 
9 偵302飛行隊    
福岡2・徳島・千葉・京都・富山・広島・鹿児島(計8名)                             鹿児島14名  合計 190名 

遺言(辞世の句)

 私は今,従容として皇国の礎となり,春爛漫の桜花と笑って散って征きます。神州大和島根に生を享けて19年,母上様伯母上様に御面倒をかけたばかりで,何の孝養もお努めし出来ずに征くのが何よりの心残りです。今悠久の大義に生きる血戦・特別攻撃隊の一人として沖縄の海に皇国の御楯と死んで征くならば「武人の本望だ」と言って孝行の端にも入れて下さると信じ,自分の心を慰めて居ります。気まま坊主の篤雄も猛訓練の結果,やっとお役にたつことが出来たのです。
 日本男子として生れ,最も働き甲斐のある搭乗員としていまや嵐の中の沖縄決戦場に死んでいく栄誉,思い残す事がありましょう。澎湃(ほうはい)と寄せる太平洋の荒波に醜敵の艦船百隻,必中必殺の巨弾を抱ける我が愛機は必ず敵艦を轟沈,沖縄の海の万朶の桜と開かせます。
 さようなら。お母様伯母上様,孝子ちゃん健やかに育ち,心と共に私の後継者たることを誓ってください。決して泣いて下さるな笑ってください。父の仇はきっと私がとって見せます。
 辞世「悠久の大義に生きん若桜 只勇み征く 沖縄の空」  
 房姉さんにもらった桐の木は大事に育てて下さい。家内皆様の御健勝を祈ります。

・ 松永篤雄「神風特別攻撃隊第12航空戦隊二座水偵隊(天草)」鹿児島県出身

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