かかわりの中で身につくもの
かつて勤務していた学校の校庭で,子どもたちが「花いちもんめ」をして遊んでいるのをよく見かけました。「あの子がほしい。相談しましょう。そうしましょう。」と大きな声で歌いながら,楽しそうに遊んでいました。
最近は,昔ながらの集団遊びがすたれてしまい,子ども同士の「かかわり」が減ってきたと言われます。子どもたちはこうした「かかわり」の中で,優しさや他者への思いやりを身につけていくものです。

昔の遊びと歌
昔の遊びは,TVゲームも何もない時代の子どもたちの大きな楽しみでした。「陣取り」,「馬乗り」,「ひまわり」,「ゴム跳び」,「ビー玉」,「案山子」,「ひょうたん」など,単純な遊びをいろいろと工夫しながら楽しんでいました。
「遊」という文字の成り立ちは,「子」が「方々」動き回ることを表しているそうです。遊びの中では,ルールを守らない子は他の子から批判されますし,年上の子が年下の子の面倒をみることで,自然に思いやりの心も育まれていきます。

ある年の学習発表会で,高学年の子どもたちが童歌を披露していました。全員が浴衣を着て,「ずいずいずっころばし」「おちゃらかほい」「かごめかごめ」「茶わんむしの歌」を楽しそうに歌っていました。(最近の若い先生方はこの手の演出が上手いと感心しました)。昔から子どもたちに歌い継がれてきたこれらの歌を歌うことは,遊びと同様に大変意味のあることです。
しかし現在,手毬歌をはじめとする昔からの懐かしい歌が急速に消えつつあります。子どもたちに「本当の遊びや歌」を伝え,残していきたいものです。
音楽の授業
合唱指導が得意な先生方は,民謡や童謡,わらべうたなど,その地方に古くから伝わる歌をとても大切にしていました。
小学校の時の音楽専科の授業では,ハーモニカやリコーダーといった楽器の指導以外に,さまざまな歌をたくさん歌わせてくれました。授業の終わりにはいつも一番だけの短く切った曲を4~5曲ほど連続で歌い,授業を終わっていました。そのおかげで,次の授業中も頭の中にメロディが残りよく口ずさんでいたものです。その中には,「茶わん蒸しの歌」も含まれていました。

遊びを工夫していた子どもたち
私が小学生の頃の学校は児童数が多い割に校庭が狭かったため,曜日ごとに学年の割当や男女で遊ぶ日がありました。その際の最初の遊びは,必ず「花いちもんめ」の短縮版をやっていました。「勝って嬉しい 花いちもんめ」「負けて悔しい 花いちもんめ」などの前半部分を省略し,すぐに「あの子が欲しい」「あの子じゃ分からん」「この子が欲しい」「この子じゃ分からん」と続き,最後に「相談しよう」「そうしよう」「アカンベェ」と大きな声で歌って,ジャンケンで勝敗を決める流れでした。
男の子たちは男女一緒の遊びを嫌っていたのか,あっという間に勝負がつき,すぐに男子は馬乗り,女子はゴム飛びと別々に分かれて遊び始めます。これが当時の子どもたちの暗黙のルールでした。

当時の遊びは,男子は「馬乗り」や「陣取り」,女子は「ひょうたん」や「ゴム飛び」などと決まっていました。この後は自然と校庭の棲み分けができていて,お互い伸び伸びと遊んでいました。
茶わんむしのうた
昭和の時代まで「茶わんむしのうた」は,県民のだれも歌える鹿児島を代表的する歌の一つでした。初任者の頃,隼人町の宮内小学校の研究会に参加したことがあります。そこで「茶わんむしのうた」の発祥の地がこの学校であることを知りました。
大正時代,この小学校の石黒ひで先生が学芸会で披露して県内に広まったそうです。メロディが覚えやすくネットの時代であれば全国的に流行ったかもしれません。宮内小学校のホームページに鹿児島弁の歌詞と意味がありましたので,紹介します。

① 歌詞
「うんだもこら・いけなもんな・あたいげんどん・ちゃわんなんだ・日に日に三度もあるもんせば・きれいなもんごわんさー・ちゃわんについた虫じゃろかい・めごなどけあるく虫じゃろかい・まこてげんねこっじゃ・わっはっは」
② 意味
「まったくそれはどんな物なのですか?私の家の茶碗は毎日,日に3回も洗っているため清潔なものです。茶碗についた虫のことでしょうか。洗い物かごなどをけちらして歩く虫のことでしょうか。まったく恥ずかしいことです。わっはっは」
③ 場面設定
この歌の場面設定は,ある茶店で客が「茶わん蒸し」を注文しましたが,主人・店員とも「茶わん蒸し」の料理を知りませんでした。主人は,店員が客に出した「お茶の茶碗に虫が入っていた」と勘違いして,店員を呼びつけ「お前は茶わんを洗ったのか?茶わんに虫がついているとお客さんから苦情がて瀬ているぞ。」と言います。
店員は「毎日・毎日に三度も洗っているんですよ。いったいその虫は茶わんにひっついていた虫でしょうか。それとも洗い物かごなどをはね歩く虫でしょうか。茶わんについている虫なら私の責任ですが。」と二人の会話を聞いていたお客さんがわっはっはと大笑いするという場面です。
きっとこの学芸会は大受けだったでしょうね。大正時代は自由な時代で,庶民が多くの分野で遊び方を工夫して楽しんでいました。この時代の県内各地の娯楽や遊び,伝統芸能等を調べると興味深いものがたくさんありますので,また紹介してみたいと思います。
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