十五夜の天体観測の思い出
小学校の頃,地域の十五夜相撲大会の後,学校で開かれた観月会に参加したことがあります。以前の当ブログで紹介したように,夜間の学校行事は実施できなかったため,おそらくPTA主催だったと思われます。しかし,当時は母親たちの参加は役員以外ほとんどなく,子どもたちだけで出かけました。交通量も少なく,不審者対策の必要もなかったよき時代のことでした。
観月会では,理科の先生が星座や北極星,北斗七星について詳しく説明してくれました。その中で,先生は「北極星にまつわる昔話」も語ってくれました。当時,この事を作文に書き文集に残っていたので紹介します。
薬売りの話
それは江戸時代のある薬売り夫婦の話でした。全国を巡りながら薬を売り,一度商いに出ると半年は家に戻らなかったそうです。
ある日,商いに旅立つ前に薬売りは若妻にこう言いました。「どこへ行っても,戌の刻(夜8時)になったらお前のことを思って「ねの星(北極星)」を見ることにする。お前も同じ時間にねの星を見て欲しい」と頼みました。薬売りたちは,夜の移動が多く北極星を目当てにしていたので北極星が動かないことを知っていたのです。
妻の寝床からは満天の夜空が見えていたため,旅立つ前の日に夫は障子に針で小さな穴を開けてくれました。約束通り若妻は,毎晩戌の刻になると障子越しにねの星を見ては旦那のことが心配で妙見菩薩(北極星)に旅の安全を祈りました。
しかし,何ヶ月か経つと動かないはずの北極星が少しずつずれていき,やがて穴の位置から見えなくなってしまったのです。妻は夫の身に何か起こったのかと心配になり,近くの妙見堂に毎晩お参りにいきました。二人の願いが通じ,長い商いから無事に帰った日に夫と二人でお礼に参拝しました。そして夫にこれまでのことを話すと,どうして「ねの星が動いた」のだろうと,とても驚いたそうです。

以上のような内容でした,子どもの頃の文集を読むと,当時のいろいろな思いが蘇り,懐かしさと同時に今の自分の価値観や考え方の原点になっていることを感じることがあります。母が懐かしい品物や古い文書などを大切に残していたお陰で,今でも思い出すことができます。
さて,この薬売りの話は他にも似たような話があり,明治期の遠洋漁業の乗組員の逸話など同じような話が残っています。科学的には地球の地軸の向きがわずかに動いていて,北極星からずれた「歳差」と言うそうです。地軸は数万年かけて動くと考えられ過去の北極星は,数千年の周期で別の星に交代しており,約3000年前はこぐま座のコカブという星が北極星だったと言うことです。また数千年後には別の星座の星が北極星と呼ばれるのでしょう。
現代では電気や時計があるため,星の動きを気にすることは少なくなりましたが,江戸時代の人々は月や星をカレンダー代わりにし,夜空をよく観察していました。明かりのない村や道端から眺める星空は,きっと今よりも美しかったことでしょう。
北辰妙見菩薩(明神)
北極星は北の中心にあり動かないことから,万物を司る神とされてきました。江戸時代には「北辰妙見菩薩」として篤く信仰されており,星空の中心に位置することから「天御中主尊」と名付けられ,日本創造の祖神ともされています。また,北辰妙見菩薩は「玄武は北方の神であり,亀と蛇が一体となった存在である」とも伝えられています。

・亀蛇にのった北辰妙見菩薩
この昔話の後,本格的な反射望遠鏡を使って天体観測を行いました。初めて月を観察し,ウサギの模様と回りの明るい部分に丸いクレーターがたくさんあるのを初めて見ることができ,驚いたことを覚えています。友人たちも大きく見える満月に歓声をあげていました。
この夜,北極星や月について詳しく教えてもらったことで,天体に強く興味を持ち,父にねだって,当時9,000円程度の天体望遠鏡を買ってもらいました。それからは,夜な夜な近くの公園へ出かけ,天体観測に夢中になりました。中学校の担任の先生が星座の専門家で後に文化センターのプラネタリウムで星の説明をされていたこともあり何回も会いに行きました。

妙見信仰について
妙見神社は古くから「妙見様」と称えられ,漁業や航海の守護神として厚く信仰されてきました。九州各県には,江戸時代に妙見信仰の中心であった八代神社(妙見宮)から,航海安全の御利益を願い,尊星王や北辰菩薩(ほくしんぼさつ),市杵島姫之尊を勧請して建立された神社が数多く存在します。ところが,明治元年の神仏分離により仏教系の妙見信仰は禁止され,多くの仏像が破壊されました。

・八代神社(妙見宮)

太陽暦への改暦
明治5年,政府の大久保さんが西洋に合わせて太陽暦への改暦を進めました。これに対し西郷どんは,「そんなことが出来るものか」と呟いたほど,当時の人々の生活には陰暦(太陰太陽暦)が深く根付いていました。明治43年になってようやく,上伊敷地区は太陽暦への移行を受け入れ,その際に「陰暦廃棄」記念碑が建てられました。ほかの地域でも同様の経緯があったようです。

・伊敷小近くの諏訪神社
陰暦の良さ
旧暦(陰暦)では,毎月の日付と月の形(新月・上弦・満月・下弦)が対応しており,月の中頃である15日には満月になり,「十五夜」と呼ばれます。また,月の始めや終わりには月が見えないため,月の形を見ればおおよその日付が分かり,カレンダーがなくても便利です。
さらに,1日は「月が立ち始める」ことから「ついたち(月立)」と呼ばれ,30日「三十日(みそか)」には月が隠れて見えなくなる意味から「晦日(みそか)」と言うのです。そして,一年の最後である12月の晦日が「大晦日」となる訳ですと,子どもたちに説明すると,毎回「へぇーなるほどね」と感心してもらえます。
月のクレーターについて
6600万年前に「巨大な隕石が衝突し,恐竜が絶滅した」と考えられているのは有名です。新しい研究によると,地球は月よりも大きく引力も強いため,8億年前の地球には大量の隕石が衝突していたそうです。もし月がなかったたら,さらに多くの隕石が地球に降り注いでいたと想像すると,哺乳類や人類の進化にとんでもない影響を与えていたかもしれません。月の表面に広がる無数のクレーターを観察すると,その壮絶な歴史に思わずぞっとします。このようなことを話しながら,お子さんと一緒に星空を見上げれば,きっといろいろなことに興味関心を持つ人になるでしょうね。

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